くにおん*Garden
海外で学ぶ、働くために―小林資典先生による特別講座(前編)
音楽大学を卒業したあとの進路は様々ですが、“海外で演奏したい、仕事に就きたい”という希望を持っている学生も多くいます。しかしそのためにはどんな勉強をすべきか、どのようにコネクションを作っていけばいいのかわからない…という方も多いことでしょう。7月21日、そんな疑問を解決するような対談が行われました。
ご登壇くださったのは10月19日、20日と上演される国立音楽大学大学院のオペラ「偽の女庭師」で指揮をしてくださる小林資典先生、演出の中村敬一先生です。当日は中村先生によるインタビュー形式で、様々な疑問に小林先生がお答えくださりました。その対談の模様をお伝えします。
対談前編
中村
小林先生は現在ドルトムントの劇場で第一指揮者としてご活躍されています。それまでの経緯について教えて頂けますか。
小林
「オペラの指揮を振りたい」という想いがあり、東京藝術大学の大学院(指揮科)を修了後、「日本よりも劇場が多いぶん、仕事のチャンスも多いかもしれない」とベルリン芸術大学に留学しました。師事していた先生に「言葉ができないと指揮者の仕事はできない」といわれたので、並行して語学学校にも通いました。
中村
仕事はどのように見つけられたのでしょう?
小林
学校に通いながら情報を集めて探しました。ただ、指揮者の公募は少ないですし、経験の浅い、まして外国人である自分には厳しいということもあり、まずはコレぺティトゥア(オペラ歌手に稽古をつけるピアニスト)の仕事を探しました。ただ、一つのポジションに対して100人以上の応募があるので非常に狭き門です。
中村
そのような厳しいポストを勝ち取るにはどうしたらいいのでしょう?
小林
いまは選考する立場になったのでよくわかるのですが、まず学生や外国人は「経験がない」ということで書類審査の時点で落とされてしまい、演奏を聴いて頂く段階にすら立つことができません。当時の私が取った手段は「直訴」でした。どうしても仕事をしたいなら直接電話をするのがおすすめです。相手も断りづらいので(笑)。ある日私は最初の勤務先であるデュッセルドルフの劇場に電話して、コレぺティトゥアの統括的立場の人とお話をしました。そうしたら「明日来て」と言われたのです。そして次の日に行くと「何を弾いてくれる?」と言われて…。電話の時には演奏するようにとは言われていなかったので衝撃でした。
中村
学生の皆さんは驚かれるかもしれませんですが、これはヨーロッパでは当たり前の風景なのです。突然「弾いて」「歌って」ですからね。そのような状況で、小林先生は何を演奏されたのでしょうか。
小林
ただ、幸いなことに基本的にコレぺティトゥアのオーディションというのは演奏するべき曲のレパートリーがだいたい決まっているんですよね。イタリア、ドイツ、フランスもののオペラからの楽曲で、モーツァルトとリヒャルト・シュトラウスは必ず弾かされます。私はこのとき劇場で楽譜を借りて、「ラ・ボエーム」や「フィガロの結婚」の第2幕フィナーレ、「カルメン」の五重唱に「サロメ」などを弾きながら歌いました。特に「フィガロ」や「カルメン」は速くて難しいので、こういったオーディションではマストといえる楽曲です。そして演奏が終わった後、「三週間後に来て」といわれました。
中村
指揮者には様々な経歴の方がいらっしゃいますが、小林先生のようにコレぺティトゥアから入っていくのが一番の近道ですよね。実際に仕事が始まってからのことを教えて頂けますか。
小林
デュッセルドルフの劇場は年間で300公演はやっていました。その稽古をピアニスト10人くらいで回していくような状態です。私が最初に任されたのはヴェルディの「ドン・カルロ」とロッシーニの「アルジェのイタリア女」でした。
中村
指揮をする機会はありましたか?
小林
立稽古のときには指揮もしていました。ちょうど劇場は指揮科を出ているピアニストを求めていて、私はその条件に合っていました。稽古以外にも本番でバンダの指揮もしていましたね。副指揮者がいないのでコレぺティトゥアが兼任することは普通なのです。また、デュッセルドルフはバレエ公演もあり、そちらで「白鳥の湖」を振ったりもしています。
中村
それでは指揮者としての活動についても伺いましょう。デュッセルドルフでのコレぺティトゥアとしての日々を終え、ドルトムントで指揮者をされるようになった経緯を教えてください。
小林
私は25、6歳のときにデュッセルドルフのライン・ドイツ劇場に入り、34歳でドルトムントの市立歌劇場に移りました。コレぺティトゥアというのはとにかくやることが多く、モーツァルトのオペラだと合わせ無しで本番というのも普通にありました。私としてはもっと稽古を重ねて解釈を深めて本番に臨みたいという想いがあり、移籍を考えたのです。その際、80通くらいは応募を出しましたがほぼ返事はなく、一つだけオーディションのチャンスを頂けたのがドルトムントでした。
ピアノが弾けて指揮の勉強をしていたこと、たいていの演目はレパートリーとして持っていた、というのが大きかったと思います。指揮者には色々な経歴の方がいるので一概にはいえないのですが、やはりピアノは弾けてコレぺティトゥアの経験はあったほうがいいと思います。歌手のみなさんは指揮者にはいえないテンポやブレスのことなどもコレぺティトゥアには話してくれるのですが、これらが実際に自分で指揮をするときに大いに役立つのです。また、できれば応募するときにはなるべく大きな劇場が望ましいです。少しでもいい声、いいものに触れておくことがその後の経験にもつながるので。
中村
レパートリーを多く持っているというのは大切なことですね。ドルトムントではどのようなオーディションが行われたのでしょうか。
小林
どの劇場もほぼ同じで、指揮者の選考はオーケストラの稽古を30分ほど行い、その様子を見られます。終わるとオーケストラの団員が挙手して可否を判定し、次に進めるかが決められます。だいたい選考は3次くらいまであり、最終審査では歌い手との簡単なタイミングの確認以外のリハーサルなしでオペラを振らされました。
中村
厳しいシチュエーションのなかで、どれだけまとめていけるか、というのを見られるのですね。
小林
そうですね。ちなみに私に与えられた課題は「道化師」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」でした。どちらも非常に難しい作品ですが、コレぺティトゥアの仕事で暗譜するくらい弾いていましたし、いろいろな指揮者の振り方を知っていたので、どうにか乗り切ることができました。
中村
審査にはどんな方が入られるのですか?
小林
劇場の支配人に事務局の方ですね。ただ、審査の実権はオーケストラの団員が握っています。どんなに支配人や劇場の人が推しても、オーケストラからNGが出たら採用されません。契約はだいたい1年か2年ごとで、更新される場合は特に何もないのですが、打ち切られる場合は秋ごろに「次の年の夏で終わりです」という手紙が届きます。ある程度長い期間が設けられているのは、次の仕事を探す猶予のためです。
小林先生と中村先生の対談を通して、ヨーロッパのオーディションの実情がおわかりいただけたことでしょう。前編はここまでです。後編では、オーディションやコンクールを受けるための選曲のコツや経歴書の書き方など、さらに深堀りしていきます。