くにたち*Garden
第8回 現代音楽部門その2「実験工房から大阪万博まで」(川島素晴先生)
日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深める授業の第8回。作曲の川島素晴先生による、現代音楽に関する講義のその2では、戦後に発足した作曲家らの諸団体と前衛世代について、1922年から32年生まれの作曲家に焦点を当ててお話しいただきました。
まず、戦後の現代音楽の活動においては「戦争責任」という点に着目したお話がありました。戦前、芸術がプロパガンダとして利用されたことから、音楽において一切の情動を排した態度、また市民レベルでの表現活動など、さまざまな振る舞いが提示されました。
また、1946年から次々に作曲家らによる諸団体が結成され、12音技法の紹介、オリヴィエ・メシアン『我が音楽語法』の邦訳の出版、といった活動が日本の現代音楽受容史に大きな影響を与えていたことをお話しいただきました。
1960年代初頭には、いわゆる「ケージショック」により、「1960年代に活動を行っていた現代音楽作曲家の6-7割がジョン・ケージの影響を受けたのでは」と川島先生が指摘、その例として図形楽譜、偶然性など、日本の作曲家による諸活動が紹介されました。
一方で、世界の現代音楽の潮流を捉える活動だけだなく、1950年代からアジア的発想、日本の民俗性を表現するグループでは、日本独自の作風を模索し始めていたこと、1960年に結成された「グループ音楽」では集団即興を実践して世界的にも先駆的な活動を行ったことについてお話がありました。
特に、日本の独自性の追究については、1960年代半ばから70年代において、同時代的現代音楽の実践の時代となり、邦楽演奏家の諸団体への参加や、能や禅といった日本的美意識と西洋音楽を融合した作曲実践など、「世界の潮流をつかみつつ、日本の独自性をどのように打ち出していくのか」という問題意識が作品に表れた時代でもあったことが紹介されました。
講義では、1980年代の終わりに川島先生が高校時代に本学で行われた湯浅譲二のレクチャーに参加された際、高橋アキのリサイタル等のプロデュースでも知られるピアノ調律師の原田力男氏と出会い、氏が発行するニューズレターを譲り受けたエピソードも披露されました。
講義の中で紹介された作曲家と作品は以下の通りです。
松下 眞一:《星たちの息吹き》(1969年)
芥川 也寸志:《エローラ交響曲》(1958年)
佐藤 慶次郎:《ピアノのためのカリグラフィー》(1960年)
湯浅 譲二:《オーケストラの時の時》(1975/76年)
松村 禎三:《管弦楽のための前奏曲》(1968年)
間宮 芳生:《合唱とオーケストラのためのコンポジション IV「子供の領分」》(1963年)
黛 敏郎:《涅槃交響曲》 (1958年)
廣瀬 量平:《天籟地響》(1976年)
諸井 誠:《協奏交響曲「偶対」》(1973年)
武満 徹:《七つの丘の出来事》(1966年)
松平 頼暁:《コンヴォリューション》(1994年)
なお、松平頼暁と同年生まれの篠原眞については、川島先生の授業「ワークショップ」のゲストとして6/15(水)、7/13(水)の2回にわたりご本人にご登壇頂くため、この授業では割愛されたとのご案内がありました。
第9回は、その3として1970年代の諸傾向をテーマにお話しいただきます。