くにたち*Garden
第17回 国立音楽大学 シンフォニックウインドの歩み(雲井雅人先生)
日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学の歩みを知る授業。後期の第3回は本学のサクソフォーン教授雲井雅人先生に、国立音楽大学シンフォニック ウインド アンサンブルのレパートリーとその歩みについてお話しいただきました。
まず、現在スタイルとして定着している「ウインド アンサンブル」は、日本ではそのルーツが薩摩藩軍楽隊にあり、近代以降の日本の西洋音楽受容に欠かすことのできない演奏形態であったことが紹介され、本学のシンフォニック ウインド アンサンブルもその系譜に連なるものであると雲井先生よりお話がありました。
本学のシンフォニック ウインド アンサンブルは、当時設置されていた2部(夜間部)の演奏会に端を発し、1972年に第1回公演が行われました。1979年に2部が廃止された後は、前期にブラスオルケスター、後期にシンフォニック ウインド アンサンブルの演奏会が行われるようになり、2021年に第50回を数えたことが紹介されました。
特に、1973年の第2回の公演で初演された藤田玄播《キャンパス・フェスティバルマーチ》は、シンフォニック ウインドを象徴する曲としてその詳細を解説していただきました。
この曲は、本学を卒業し作・編曲家として活躍された藤田先生が、2部の学生たちの熱心な練習の様子とその心意気に感銘を受け、1973年に2部が募集停止となったことから、学生たちへの「はなむけ」として作曲された曲であること、また、曲のモチーフには「学生歌」として1970年代に広く知られ、その替え歌(くにたち独自のもの)が学生たちの間で親しまれていた《ちんたら節》の一節が引用されており、当時の本学の雰囲気を今に伝えるくにたちの管打楽器専修ならではの曲であることを雲井先生にお話しいただきました。
加えて、このシンフォニック ウインド アンサンブルの演奏会は、第2回にしてその後の演奏会の方向性を定めるように「邦人作品を演奏する」というコンセプトを打ち出し、本学の作曲の教員への委嘱作品をはじめ、多くの邦人作曲家の作品が演奏されました。このコンセプトについては、本学初代学長の有馬大五郎先生が演奏会に寄せた挨拶文でも触れていることも特筆に値するとして、雲井先生よりそのテキストが紹介されました。
現在もその伝統が引き継がれ、邦人作曲家の委嘱作品の初演や、作曲専修の学生の作曲による新作の演奏が行われ、吹奏楽作品のレパートリー拡充に大きな役割を果たしてきたこともお話しいただきました。
その他、雲井先生が学生時代に作成した貴重なサイン入りのパート譜(慣例として、ライブラリー係が作成したパート譜に自身のサインを入れることができたとのこと)を見せていただいたり、第13回(1984年)に雲井先生がソリストとして演奏した徳島敦《風蝕II》の貴重な音源をご紹介いただいたり、第41回(2012年)に演奏されたカレル・フサ《サクソフォーン協奏曲》について、先生ご自身のエピソード*を交えてお話しいただいたりするなど、明治期以降の西洋音楽の受容、本学のあゆみと演奏の歴史が一体となったあり様を改めて振り返り、歴史の重みを感じる機会となりました。
次回も、雲井先生にシンフォニック ウィンド アンサンブルをテーマにお話しいただきます。
* 大学入学後、レコードで聴いたカレル・フサ《サクソフォーン協奏曲》のソリストを務めていたのが、後に雲井先生が師事するノースウェスタン大学のフレデリック・ヘムケであり、この演奏に憧れてヘムケに師事したこと、留学中にこの曲のレッスンを受けていたものの長く演奏会で演奏する機会がなく、後年第41回の定期演奏会で初めて披露することができたこと、また同曲は世界的にも演奏されることが少なく、演奏の際にカレル・フサ本人より丁寧な礼状を受け取り、その手紙をとても大切にされていることなどをお話しいただきました。