国立音楽大学

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授業を行う前島先生の写真

第22回 継承と革新〜近世邦楽の近現代〜(前島美保先生)

日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学のあゆみを知る授業。前島美保先生による講義では近世邦楽の近現代をテーマに、戦前/戦後に本学の教育に携わった教員による活動についてお話しいただきました。

まず、前島先生より、本学の前身である東京高等音楽学院の創立期の教員についてお話がありました。日本音楽研究の大家である田邉尚雄と双璧をなす人物で、逆説的な主張で論壇をにぎわす存在でもあった兼常清佐は、創立当初より音楽史、美学を担当。日本古典音楽、音楽心理学、ピアノを修め、西洋音楽を研究しながらも、日本音楽に造詣の深い研究者でした。
兼常は著書『日本音楽』では「日本音楽史といふものは果たして本当に可能であるか」と投げかけ、多少古い楽譜は残っているものの、それが厳格な意味での音楽史の素材にはならないが、楽人の伝記、音楽に関するさまざまな事柄を時代順に集めてみれば歴史になり、「これだけのものでも無いよりはよろしい」と結んでいることを紹介していただきました。前島先生は「兼常がくにたちで教鞭をとっていたことは驚きの事実だった」としつつ、「シニカルな論調で知られた研究者ではあったが、雅楽の催馬楽を五線譜化するなど、日本音楽の構造を実証的に見ていこうとする考えの人物だったのでは」と言及されました。
また、創立期の教員には宮内省楽部に所属する教員も多く、第21回の宮田まゆみ先生の講義でもご紹介いただいた芝祐泰先生のご兄弟である芝祐孟は本学ではヴァイオリン講師として後進の指導にあたっていたことに触れました。

続いて、1933年〜37年に本学に設置されていた「選科長唄部(長唄科)」についてお話しいただきました。選科長唄部では、松永和風(唄)、杵屋勝太郎(三味線)といった歌舞伎界、長唄界において一流の演奏家が指導にあたっていましたが、わずか数年で閉鎖となったことについて、「1936年に東京音楽学校にて本科・甲種師範科と並列する形で邦楽科が新設されたこと、日中戦争の開戦等の社会情勢がなんらかの影響を与えたのでは」と述べ、今後の先生の研究の課題としても興味深い内容であるとして、その可能性を示唆されました。

次に本学教員以外の話題として、近世邦楽の大きな動きである「新日本音楽」を掲げて活動した宮城道雄についてご紹介いただきました。宮城道雄は《春の海》で知られる箏曲家、作曲家ですが、和洋音楽の融合、それに伴う楽曲形式の拡張、さらに邦楽器の改良などその活動は多岐に渡りました。主に低音部分を補強するための十七絃や八十絃といった改良楽器を考案、宮城以外にも複数の演奏者が改良楽器や新楽器の開発を行ったことをお話しいただきました。

最後に戦後における本学での邦楽教育・研究について、近世邦楽の研究に連なる先生方をご紹介いただきました。竹内道敬先生は1983年より本学で教鞭をとられ、近世の音楽のみならず芸能全般をご専門として、多くの日本音楽研究者を育成されました。また、主に江戸時代以降の三味線音楽を中心とした錦絵、正本、番付など1万点超のコレクション『竹内道敬寄託文庫』を備え、そのうちの一部については竹内道敬文庫の世界としてWeb公開されていることに触れました。

今藤政太郎先生は1984年から2002年まで本学で教鞭をとられました。歌舞伎公演での演奏のみならず、新曲の作曲、普及にもご尽力され、2013年には長唄三味線の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されています。前島先生は「今藤先生の『誰かがいずれやるべきであったことを失敗を恐れず、先取りして試みるチャレンジ精神が大事だ』というお言葉に前へ前へ進んでいく先生の活動のすべてが表れている」とお話しされ、講義を終えました。
本学では創立当初より、西洋音楽と並行して日本の伝統音楽の教育も重視してきたこと、その流れが現在まで伝承され、演奏、研究の分野で多様な試みが行われていることを知る機会となりました。

次回は横井雅子先生による「くにたちと「日本人」の研究(2)〜日本の楽器とその音楽をめぐる研究」をテーマにお話しいただきます。

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