くにたち*Garden
第20回 くにたちと「日本人の音楽」研究(1)〜音の科(しぐさ)、むすんでひらいて、歌謡曲、歌唱〜(吉成順先生)
まず、吉成先生より今回のテーマについて、近代以降の日本の音楽を概観するうえで「ナショナルアイデンティティについて考える大きなテーマの一つ」であり、今回の授業で紹介する4人の本学の教員、卒業生による研究は「『日本人の音感覚』の由来を探求しようとするもの」であることに言及されました。
導入として日本の音階とその研究について概観しました。日本の音階(旋法)は五音音階(ペンタトニック)であり、その種類として雅楽の律・呂、俗楽の陰・陽などとして理論づけが進んだが、1958年に小泉文夫『日本傳統音楽の研究』が著されると、5音を3音ずつの4度枠(テトラコルド)の組み合わせと捉える理論が流行したこと、山下洋輔先生の『ブルーノート研究』(1969)でもこの理論を援用し、ブルーノートの節回しについて論じていることを紹介していただきました。
ここで吉成先生から、小泉理論についての疑問点が提示されます。小泉の示す「中間音」を固定的なものとしてしまうあまり、かえって旋法の柔軟な変化を説明しにくくさせているのではないか、というものです。その疑問を補う理論が、柴田南雄『音楽の骸骨のはなし』(1978)での骸骨図(構造模式図)であると吉成先生は指摘されました。
こうした日本の音階に関する研究は、講義で紹介された本学に関係する有馬大五郎、海老沢敏、繁下和雄、安田寛の研究とも関わっていきます。
本学の初代学長である有馬大五郎先生は、ウィーン国立音楽院で声楽と作曲を、ウィーン大学で音楽学を修め、日本音楽の歴史に関する博士論文を執筆、博士号を取得されます。帰国後も民謡研究や日本音楽の特徴、日本人の音感覚に関する研究を重ね、エッセイ集『日本人の音楽ー国際歌手への道』(1951)、論考「音の科(しぐさ)」(1959)、「日本人の音楽」(1961)をはじめ数々の著作を発表、節回しや音のしぐさ(旋律線の動き方)、また後年にはジャズにヘテロフォニー(多声性)の可能性を見出すなど、一貫して「日本人の音感覚が西洋の音楽の中でどのようになっていくのかを意識した著作が多い」と吉成先生にお話しいただきました。
本学の二代目学長である海老沢敏先生はモーツァルト研究で広く知られていますが、講義では日本人なら誰もが知る「むすんでひらいて」について史料研究を行った『むすんでひらいて考ーールソーの夢』(1986)についてご紹介いただきました。
研究では、「むすんでひらいて」は思想家J=J.ルソーのオペラ《村の占い師》中の「パントミーム」を発端とし、その旋律が歌曲として広まり、それを踏まえたJ.P.クラーマーのピアノ曲《「ルソーの夢」、ピアノのための主題と変奏》で「むすんでひらいて」の旋律が確立したこと、この旋律を用いた多くの曲が世界中で作られ、歌曲、讃美歌、民謡、軍歌などとして世界中に広まっていったことが膨大な史料研究として示され、吉成先生は「この曲が成立した18世紀以降の世界の文化史がどのように形成されていったかを知ることにつながる研究」と評されていました。
繁下和雄先生は、本学教育音楽科を卒業後、専攻科を修了、長きに渡り本学で教鞭をとられました。音楽教育、幼児教育の研究のかたわら、小泉理論を用いた歌謡曲の音楽構造に関する研究も積極的に実践されました。1960年代末から80年代にかけて、小泉自身はあまり馴染みのなかった歌謡曲の旋律の動きや音階構造を分析し、発表するなど、「日本人大衆の音感覚」にこだわった研究が特徴的であると吉成先生よりお話がありました。
安田寛先生は、本学声楽科を卒業後、大学院修士課程の一期生として音楽美学を修め、研究者として後進の指導に当たられました。特に唱歌の研究で注目を浴び、明治期の洋楽教育の背後には日本人を讃美歌の響きになじませることでキリスト教の価値観に親しみやすくするというキリスト者たちの思惑があり、五音音階に親しんでいた日本の子どもたちの音感覚が、原曲は讃美歌である「小学唱歌」の歌唱によって西洋化していったことを解き明かされました。
吉成先生は「音楽性の⻄洋化が進んでいく過程を示す重要な研究だ」と話されました。
吉成先生はまとめとして、「4人の研究はそれぞれ異なるアプローチをとりながらも、日本人の音楽とは、日本人は西洋音楽をどのように捉えている/捉えてきたのか、また、日本人が演奏する西洋音楽が世界で通用するようにするにはどのようにしたらよいか、というテーマに収斂していく。これは、本日の4名だけではなく、今後先達に続く皆さんが音楽について考えて、追求する道とも繋がるのではないでしょうか」と締めくくり、授業を終えました。
次回は宮田まゆみ先生による、雅楽の姿ー近代化についてお話しいただきます。