くにたち*Garden
第21回 雅楽の姿ー近現代(宮田まゆみ先生)
日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学のあゆみを知る授業。本学招聘教授で世界的な雅楽(笙)奏者である宮田まゆみ先生による講義では、近現代における雅楽をテーマに、日本の雅楽の歴史を概観しつつ、近代以降の雅楽の諸相を演奏を交えてお話しいただきました。
近現代の雅楽についてご紹介いただく前に、宮田先生より日本の雅楽の大まかな歴史について、雅楽奏者で本学元招聘教授の芝祐靖先生(1935-2019)がご執筆された「『日本の雅楽』について」の文章に沿って、お話しいただきました。
雅楽にはいくつかの系統があり、古事記や日本書紀にも著されている日本古来の音楽である国風歌舞、5〜9世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸などから伝来した渡来楽舞、そしてこれらを土台として9〜12世紀にかけて日本で創作された詩歌管絃をもって最も栄華を誇ったこと、15世紀以降は新興の芸能の隆盛により雅楽は次第に衰退、15世紀半ばの応仁の乱では楽器や楽譜が消失し、存続の危機にさらされるものの、その後も時の将軍や寺社の保護により危機を乗り越えたことをご紹介いただきました。
次に、明治期以降の雅楽について説明していただきました。明治政府は、10世紀頃に成立した楽所、またそれに属する楽家に伝わる伝承を一つにまとめ「明治撰定譜」を制定しました。この時、難曲や演奏の機会が少ない曲は整理されることになりましたが、「明治撰定譜以外にも興味深い曲が多数あった」と宮田先生は指摘されました。
例えば、芝祐靖先生は、唐代の音楽や伝承が失われた日本の雅楽作品、復元された古代楽器を含む創作曲や復曲作品を多数行い、明治撰定譜にまとめられた作品以外の作品へスポットを当てる活動をされていたと、宮田先生にお話しいただきました。
また、芝祐靖先生のご尊父で宮内庁式部職楽部楽長を務め、1956年より本学の教授として後進を指導された芝祐泰先生(1898-1982)は、正倉院所蔵楽器の調査を行い、五絃琵琶の録音などを記録し、大陸との豊かな文化の交錯を明らかにされました。
芝祐泰先生は他にも、1964年に神楽歌、催馬楽、朗詠などの雅楽の古典譜の歌曲を五線譜に記譜した『五線譜による雅楽歌曲集』を出版、1968年には歌曲に加え、管絃、舞楽などを含めた4巻から成る『五線譜による雅楽総譜』を出版し、雅楽の普及に努められました*。宮田先生は「芝祐泰先生は、雅楽奏者ならではの視点で曲を捉えており、現在私たちがよく耳にする《越天楽》でも平安時代にはこんなふうに演奏されていたのではないか、という解釈を含めて楽譜を整えていらした」とお話しくださいました。
続いて、国立劇場の活動についてお話しいただきました。国立劇場では、1970年代初頭より、雅楽楽器を用いた新作の委嘱を開始します。黛敏郎や武満徹、シュトックハウゼンにも作曲を委嘱、新たな表現を模索しはじめました。その一方、明治時代以前の宗教儀式などでの音楽を復興しようとする試みも行われ、国立劇場の活動は現在、文化デジタルライブラリーのほか、国立劇場図書閲覧室、国立劇場視聴室でも閲覧・視聴できると紹介していただきました。
最後に、雅楽奏者としての宮田まゆみ先生の活動についてお話しいただきました。宮田先生は芝先生が復曲された作品から現代作曲家の作品まで幅広いレパートリーを持ち、管絃から独奏曲まで多くの作品の初演にも関わっておられます。その中から講義では一柳慧《星の輪》(1983)、芝祐靖《匏竹のたわむれ》(2017)の2曲の一部を演奏いただきました。宮田先生は《星の輪》について「初めてのリサイタルを開催する時、笙の独奏曲といえば(舞楽や管絃などの最初に演奏する)『調子』しかなかった。そこで笙の独奏曲をということで、一柳先生に作っていただいた、とても思索的な曲」、また、《匏竹のたわむれ》については「4章から成る曲で、記憶の彼方からやってくるような音がする曲」と演奏者ならではの表現でエピソードをお話しいただきました。
日本の近代化は、西洋音楽をもたらしただけでなく、日本の伝統音楽の在り方にも影響を与えたこと、その変化を乗り越え雅楽の響きが伝わっていること、そして雅楽の伝承とともに新たな表現を追求するその最先端に本学の教授陣が関わっていることを改めて知る機会となりました。
次回は前島美保先生による「継承と革新〜近世邦楽の近現代〜」をテーマにお話しいただきます。
*『五線譜による雅楽歌曲集』(1964)は国立音楽大学出版部より発行。本学初代学長の有馬大五郎先生(1900-80)、作曲家の信時潔(1887-1965)による前書きが著されている。また、全4巻から成る『五線譜による雅楽総譜』(1968-69)はカワイ楽譜より出版されている。