くにたち*Garden
アンジェラ・ビーチング氏 インタビュー
音楽大学生のためのキャリア支援の世界的権威であるアンジェラ・ビーチング氏が初来日され、本学を拠点に全国で講演やワークショップを実施されました。
ビーチング氏は、ボストンにあるニューイングランド音楽院で
音大生のためのキャリア支援活動に長年従事されており、その成果は『Beyond Talent』(初版2005年、改訂版2010年)にまとめられ、世界中から注目されました。現在は、ニューヨークのマンハッタン音楽院のアントレプルヌール・センター長をしておられます。
多忙なスケジュールの中、インタビューに応じてくださいました。(インタビュアーは久保田慶一教授)
久保田慶一教授(以下、久保田)
アンジェラさんは今回が初めての来日ということですが、いらっしゃる前と後での日本の印象についてお聞かせください。
アンジェラ・ビーチング氏(以下、ビーチング)
この国がどのような国かイメージがはっきりしていた訳ではありませんでした。しかし「起業家精神(アントレプレナーシップ)」という言葉を、日本にどのように浸透させていくか、日本の文化にどのように浸透していくか、ここの現場でもそうだし、今後のこととしてもとても強い関心を持っていました。今回の来日で、多くの大学に行くことができましたが、どこの大学においても、とてもポジティブなエネルギーを感じました。それはキャリアのディベロップメント、キャリアの発達に関しても、また学生たちの将来への展望に関するコミットメントについてもそうです。その他のことにおいても多くを感じることができ、日本に来られて本当に良かったと思っています。
久保田
“くにたち”という大学はいかがでしたか?
ビーチング
開放的なところ、積極的に発言する力、素晴らしい考え方、また進んで演習に参加してくれたことがうれしい。学長をはじめ、この学校全体に起こっている雰囲気・文化にそれらが感じられました。教員も職員も共にキャリアについて興味を持って取り組んでいることが、素晴らしいですね。
久保田
学生のキャリア支援は、教職員だけでなく、経営する方たちも巻き込んで組織的に動かないとうまくいかない。特に日本はそうかもしれません。そういう状況はアメリカでもありますか?
ビーチング
上層部に限らず、変化はどこでも難しいことだと思います。しかし教員でも職員でも変化を望む人がいます。そこに学生が加わることで、学校は変化していけるのです。もしかしたら今回の講演を聞いて、学生の方から「ワークショップをやってくれませんか?」と言い出すかもしれない。また今回のワークショップがきっかけになって、卒業生や先生に話を聞く機会を持ってくれればうれしいですね。
久保田
当然そういう声もあがってくるでしょう。日本では経済が委縮して人口が減り、大学生の数も減り、音楽大学にくる学生も減り、さらにクラシック界も小さくなり、とどんどん縮小傾向にあります。将来的には音楽大学同士が連携をしていかないと共倒れになってしまいます。
ビーチング
他の学校と自分たちが違うということを打ち出すためにも、協力していくことが大切です。他にもいろんなことを起こしていただきたいし、どういうことができるのか、今後とても興味を持っています。一緒に助成金をとり、一緒に企画を実行していく、つまり協働することがすばらしいのです。そのうえで、それぞれの学生に適した、学校の特色を活かした教育を行う方が、有効ではないでしょうか。
久保田
次は、アントレプルヌールについてお話を伺いたいと思います。これまでのキャリアサポートという名称から変化していますが、それはアンジェラさんの意識の変化か、それとも社会的な変化なのでしょうか。
ビーチング
10年くらい前までは、みんながこうしているから真似してやろう、ぐらいにしか思っていませんでした。それがどんどん変化が見えてきました。“キャリアサポート”と聞くと、履歴書の相談をするところだとみんな思ってしまう。一方、“アントレプレヌール”というと起業やお金に関すること、つまり“ビジネス”と考えてしまいますが、それは違います。大事なのは考え方。起業家的に考える力ということ。カリキュラムに組み込むとしたら、自分の学びに責任をもって自発的に行っていくというのが、アントレプルヌール的な考えです。教育に対するアプローチも、科目もそれによって変わってきます。それがいろんなところに波及していくところが面白いですね。
久保田
アントレプレナーシップははじまったばかりだと思いますが、これからの課題は何でしょうか?
ビーチング
アントレプレナーシップのためだけのコースにするか、それとも他と組み合わせるか、それをまた必修にするか選択にするか、大きな課題です。カリキュラムの中にアウトリーチをどう組み込むか、組み込まないか、何年生でやるか、そういうことと同じ課題です。ただし、アントレプレナーシップ、起業家という名前を使わない方が正しい場合もあります。キャリアという言葉も、アントレプレナーシップも慣れないし、怖い言葉でもあるのです。
“音楽家”というものの定義も変わってきています。演奏家だけではない、他にいろんなことを調べる人、研究をする人、教える人、音楽にかかわる人たちを「音楽家」と呼びます。ミュージシャンというのは、いろんなスキルをもっていないといけません。マンハッタン音楽院のジャズの先生は、「あなたたちは、演奏するほかにアレンジもしなくてはいけない。教えられないといけない。演奏をしないからといって、失敗者ではない。」ということを、授業の最初から教え込んでいます。
久保田
おそらく日本でも世界でも同じだと思いますが、音楽大学の先生をしている方は、非常にマルチな才能をもっている人だと僕は思っています。小さな会社の社長さんのような。
ビーチング
イーストマン音楽院の先生で、起業家のプログラムを集めたその方なんですが、「(キャリアとか起業家とか)そういうアイデアが嫌いだ」と言う先生に、「あなたは最近こんな素晴らしいアレンジをされましたよね?」とか「音楽祭で素晴らしいことをされましたよね?」と質問を投げかけました。そして「それをどうやってあなたたちが成し遂げたかを、学生に伝えたくはありませんか?」と、先生たちが気が付かないうちに、自分たちが起業家であることを気付かせるのです。「もちろんそれはしたい」と言う先生たちは、自分が起業家であることを認めざるを得ませんね。
久保田
音楽家の定義が変わってきたとのことですが、音楽家の仕事を要素に分解していって、見えるようにする必要があるのでは?たとえば演奏のスキル、社会の情勢や地域や周囲のニーズを読む力、それに合わせて演奏会の規模やアカウンティングの問題の計算ができるなど、それぞれ別の能力のはず。だから一度分解してみるのです。その中の一つがアントレプルヌールだと思います。
ビーチング
みんなが社会に出てすぐに起業しようというのではなく、そういう考え方を自分の中で育んで、自分には何ができるか、という考えをもつことに意味があります。分けるという考え方はとてもいいですね。ホームページで、いろんな要素があることを明示していくのもいい方法かもしれません。
久保田
一歩踏み出せる力、新しいことをはじめられる勇気も、非常に重要な能力だと思っています。
ビーチング
すべてのコースで、起業家精神を育てるものを取り入れていくのが理想的です。書くことや話すことの能力を修得するように、ジュリアード音楽院などはとても努力しています。
久保田
日本の音大生も、パーソナルでの話はよくするが、パブリックなところで話すのは非常に苦手です。話すことも音楽家の仕事として非常に大切な要素ですよね。さて、これで2週間の滞在を終えてアメリカに戻られるわけで、これから来年に向けて、大きな予定やプロジェクトはありますか。
ビーチング
せっかく日本で素晴らしい人たち、いろんな学生と会い、大学を見させていただいて、理想としては1週間くらいかけて、それをゆっくり消化する時間がほしいですね。日本で経験した中で強く思ったことは、人々の協働についてです。協働が起業家精神を用いるのにどう影響してくるか、それがいい意味で影響できるのかに興味があります。一緒に行動するというのは日本の特色だと思いますが、他国でも使えるいい例になるかもしれません。出生率が下がって生徒の取り合いも生じてくるでしょうが、大学それぞれの特色を出すということが大事になってきています。他よりも優れているという意味ではなく、ここが本学の特色だというところを意識する必要があります。
久保田
おそらく『Beyond Talent』の第2弾が出ると思うのですが、そのときはぜひ日本の音楽大学の様子も。
ビーチング
私にとって本を書くのは重労働。少しまたアイデアが出てきてはいるので、様子をみて書けたら書きたい。
久保田
ハワイ大学に日本人で面白い研究をしている人がいます。アジア系の音楽家が欧米で活躍するときに、なぜ日本、中国、韓国、台湾といった東アジアが多いか研究している。彼女は、それはみんな儒教圏だからだというのです。非常に師弟関係がはっきりしていて、小さい頃から教え込む楽器に向いているそうです。特にピアノ、ヴァイオリンでアジア人が活躍することが多いそうです。そういう意味で、東アジアはヨーロッパ音楽に対して、他のアジアとちょっと違うのかもしれません。
ビーチング
ある先生から聞いた話で、アメリカへ初めて留学した、ひとりのアジア系学生なのですが、先生が言ったことをすべてそのままやる、質問も絶対にしなかったそうです。アメリカ人の先生は、このフレーズは自分でどう思うのかを質問して、なんとかして学生から何かを引き出そうとする。学生にどうやって弾きたいか、どう持っていきたいかを聞くが、学生は自分では考えられないと答え、先生は大変なことになったと、頭を抱えてしまったということです。
両親からのプレッシャーが大きい子どもたちが、アジア人には多くいる。コンクールに入賞できなかったら家族の恥だ、本当におしまいだ、と考え込んで悩んでしまう。そういう状況の中で、いつどうやって日本の学生たちは、自分の意見を出していいと気が付くのでしょうか。
久保田
気が付くかもしれないし、気が付かない子もいるかもしれないですね。
ビーチング
アメリカに初めて留学する学生は、先生からの要求がまったく違う種類のものだということを、理解する必要があります。いろんなスタイルの教え方があるのを知ることはとても大事です。同じ学校の中でも、先生によって教え方はいろいろ。先生ご自身も他の先生の教え方を見て、いろんなアイデアを取り入れて、とてもいい影響になっています。コミュニティーを作っていく話をしているが、本当に同じことです。
久保田
本学でも授業を公開して、先生方のレッスンなどを見られるようになっています。
ビーチング
みんな積極的に参加しているのは素晴らしい。
卒業生を呼んで、さまざまな経験を話してもらうということも、有効かもしれませんね。在学生と近い関係にあるのが卒業生。そこに先生方も巻き込んで、身近な例として示してもらうことは、役に立つでしょう。誰も話したがらない両親との関係や財政的なことを、卒業生に自分の経験談として話してもらうのはとてもいいことです。さらにご両親も呼んでしまうとか。日頃学生が聞く機会のない話を聞くことによって、本当に励まされると思います。
久保田
本日はありがとうございました。非常に楽しかったです。
アンジェラ・ビーチング氏 プロフィール
ボストン大学、ニューイングランド音楽院修了後、ニューヨーク大学で博士号を取得。
1993年から2011年までボストン・ニューイングランド音楽院のキャリア・サービス・センター長を務め、現在はニューヨーク・マンハッタン音楽院の音楽アントレプルヌールセンター長。2013年4月より本学招聘教授に就任予定。