国立音楽大学

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授業を行う伊藤先生の写真

 テーマ別演習 第27回 日本におけるリトミック教育の普及〜板野平を中心に〜(伊藤仁美先生)

日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学のあゆみを知る授業。2週にわたる伊藤仁美先生による講義では、日本におけるリトミック教育の普及をテーマにお話しいただきます。第2週目は戦後、リトミック教育を全国に広めた人物として、本学元名誉教授の板野平(1928-2009)の功績についてお話しいただきました。

伊藤先生からはまず、板野とリトミックの出会い、普及活動についてお話しいただきました。

板野は、広島県に生まれ広島師範学校を卒業後、1949年から中学校の教員となります。板野の恩師である太田司朗は、1925年から1930年頃、広島で小林宗作のリトミック講習を受けた人物で、すでに中学校の教職に就いていた板野に、リトミック留学を強く勧めます。というのも、太田は板野の在学中、ニューヨーク・ダルクローズ音楽学校校長、シャスター氏より受け取った、広島の復興を教育面から支えたいとの手紙を授業で紹介しており、板野は興味を抱いていました。板野はその時点での留学は見送りましたが、やはり留学の夢を諦めきれずにいました。1952年、板野は太田の推薦を受けニューヨーク・ダルクローズ音楽学校へ留学、1956年に同校を卒業し帰国します。この留学は戦後の広島の復興に寄与することを目的としたものでしたが、帰国後、太田は板野が身につけたリトミックをさらに広めるためには東京での活動が良いと考え、本学を紹介しました。
板野は本学に着任後、附属中学校、高等学校でもリトミックを教え、1958年には当時の文部省からの委嘱で実験研究「音楽反応の指導法」を附属中学校で実施します。これは、中学音楽へのリトミックの導入を提唱することが目的とされた実験で、「文部省 昭和33年度中学校音楽実験学校研究発表会」が実験校である附属中学校にて開催されると、大きな反響を呼んだことをご紹介いただきました。伊藤先生は板野が「音楽反応」という言葉を使用してリトミックを表現した理由について、できるだけカタカナを使わずにリトミックを表現する手立てとして「音楽反応」という言葉を使ったのではないかと、言及されました。

1962年に本学にリトミックを専門的に学ぶ教育音楽学科第II類が発足、板野はリトミック紹介のための映画を制作し、大学のリトミック講習会や音楽講習会、東京オリンピックでリトミックのデモンストレーションを行うなど、イベントやメディアを用いながらリトミックの普及に邁進しました。NHKラジオにて「ラジオ音楽教室小学校3年生」を担当し、1970年には「中学校指導書音楽編」にて当時の学長である有馬大五郎と共同執筆を行いました。そのほか、板野はダルクローズの論文集やリトミック教育に関する数々の書籍の執筆、ダルクローズ音楽教育研究会(現 日本ダルクローズ音楽教育学会)の設立など、リトミック教育の普及に尽力しました。

伊藤先生は板野の功績として、三点を挙げています。①リトミック教育研究機関の設立、②リトミック教育の普及活動、③幼児教育とリトミックの相関関係です。
中学音楽におけるリトミックの提起、大学でのリトミックの専門化といった功績のみならず、全国での講習会、メディアを活用したリトミックの一般への普及、リトミックの専門教育を受けた卒業生を多数輩出したことにより、卒業生が保育者養成校や音楽教室等でのリトミック教育を広め、「リトミック」が人口に膾炙していきます。その一方、リトミックの本質的な理念を理解するに至らず、幼児のお稽古ごととしてもてはやされるような風潮もあり、警鐘を鳴らす教育者も現れました。特に幼児の音楽教育としてリトミックが普及した点については、板野の功績とともに1956年に文部省が告知した幼稚園教育要領に領域「音楽リズム」が成立したことによる影響があるのではと伊藤先生はご指摘されました。加えて、領域「音楽リズム」の内容に歌唱や、器楽のみならず「動きのリズムで表現」という項目が付されたことでリトミックの実践が合致し、その状況もあいまって幼児期におけるリトミックが広まっていったと伊藤先生はお話しされました。

続いて、幼児教育におけるリトミックの実践について、伊藤先生の実践されているリトミックの資料映像を視聴しながらご紹介いただきました。
特に、3歳児クラスと5歳児クラスのリトミックへの反応を示した映像では、その違いが見て取れます。
3歳児のクラスでは、テンポの早い音楽が聴こえると歓声をあげながら走り回り、音に対して身体が即時的に反応をしているような動きが中心でした。一方、5歳児クラスでは、子どもたちが教室の空間を広く使いながら、テンポ、強弱といった音楽面を聴き分け、身体を使って表現することができるようになっています。また、子どもたちの発達状況に合わせ、3歳児クラスではギャロップ、5歳児クラスではスキップを導入するなど、身体の使い方にも違いがみられました。

伊藤先生は最後に、受講生からの質問に対し印象的なエピソードとして2つのことをお話しされました。一つは、視覚や聴覚に障がいを持った方のリトミック実践について、もう一つは才能教育とリトミックの関係について、恩師である繁下和雄先生に学生時代にかけられた「名だたるコンクールで入賞した人たちは皆リトミック経験者なのだろうか。いや、そう明言は出来ないだろう」というお言葉についてです。
伊藤先生は、繁下先生のお言葉はとても考えさせられる大きな示唆だったとしたうえで「リトミックは教育目的ではなく、あくまでもプロセス。私たちはさまざまなメソッドの理念を理解し、目の前の子ども達にとって最善のことは何かを問いかけ、実践していくのです」とお話しされ講義を締めくくりました。

全27回にわたり行われた近現代日本の音楽に関する講義。音楽のみならず、芸術全般、テクノロジー、教育など、すべての営みが今、国立音楽大学で西洋音楽を中心に学び、演奏、研究活動をしている私たちの基礎になっていることを実感する1年でもありました。目まぐるしく変化する現代において、それぞれが音楽と向き合い、これからを切り拓いていくとき、先達に学んだこの1年間の講義がその原点となっていくことでしょう。

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