くにたち*Garden
授業レポート:音楽情報研究法
「音楽的アプローチからの電子楽器開発」―インタビュー編―
音楽情報専修の授業のひとつ「音楽情報研究法」では、本学での学びを生かし活躍する卒業生の活動を定期的にお聞きしています。カシオ計算機株式会社にて多数の電子楽器開発に携わってきた奥田広子さん。学生への講義のあと、学生時代のお話、音楽を志す方へのメッセージなど、さらにお話を伺いました。(講義編はこちら)
ポジティブな気持ちで演奏できること―デジタルならではの楽しみ方のひとつ
――本日は貴重なお話をありがとうございました。本日お話しいただいた「Music Tapestry」についてもう少しお話をお聞かせください。「音楽」という時間芸術を絵として表現する発想はどこから生まれたのでしょうか。改めてお聞かせいただけますか。
奥田広子さん(以下、奥田):音楽を絵で表現したいという発想は実はかなり以前から考えていたことでした。音楽を可視化する例でいうと、いわゆるビジュアライザーが思い浮かびますが、ビジュアライザーの特徴は音の強さに反応するだけですよね。それが一過性でなくきちんとした音楽解析によってリアルタイムでどんどん映像が変わりながら、最終的に一曲を通して演奏した結果が表現されるというのがいいかなと思って開発を行いました。もちろん、「Music Tapestry」も演奏した曲の全てを表現できるわけではありませんけれど、そのエッセンスが表現されるということです。
――結果として1枚の絵になるというところがポイントですね。講義の中でボーナス特典として、いい演奏だとリボンが出てきたり、蝶々が出てきたりと、絵から何か励まされるようなこともありますよね。
奥田:そうなんです。だから曲を弾いてみて、あれ、今日はあんまり調子良くないなと思って弾き始めたけど、こんな絵が出てきたということはそうでもないんだなとか、リアルタイムで絵が出来上がって行くからこそ、自分の状態を知ることができるというのも楽しいですよ。一枚の絵として完成されるのはもちろんですが、自分の演奏が即座に絵となって見える、出されている絵を見ながらじゃあこうしてみようかと、いつのまにか気分まで変わっていく、そんなところがデジタルならではの楽しみ方なのではと感じています。
実は高齢者施設で弾いてもらったことがあるんですが、演奏は恥ずかしいけれど、絵が出てくるならいいねとおっしゃった方がいらしたんです。なぜって「絵が出てきたら演奏だけに集中せず、みんなで楽しめるでしょ」って(笑)そういうポジティブな気持ちで演奏に向き合ってくれたら、こんなに嬉しいことはないと思っているんです。演奏を継続するモチベーションになるというのも大事な要素です。
自分が作ったものが新しい文化になって戻ってくる、これほど嬉しいことはない
――ありがとうございます。今日せっかくお越しいただいたので、もう少し学生時代のお話を伺いたいのですが、1970年代当時、レゲエの研究をするには文献としても、音源としてもなかなか手に入らなかったのではと想像していました。
奥田:当時はレゲエに関する文献って本当に世の中になかったんですよ。でも輸入盤でレコードは手に入りました。だからとにかくレコードを買って、音楽を聞きまくって、歌詞を翻訳して…というのをひたすらやりました。今日の講義でもお話ししましたけれど、当時はポピュラー音楽に関する大学の講義も全くないし、卒論を担当してくださった礒山先生は美学が専門じゃないですか(笑)原典講読の授業でそれこそ美学の文献もたくさん読んできましたし、美学的なアプローチならどうにかなるのかなと。レゲエについてはとにかく詳しい人はいなかったので、ある日『ミュージック・マガジン』の創刊者でもある中村とうようさんが定期的に開催しているレコードコンサートに行って、とうようさんに直接、レゲエの研究をしていることをお話ししたんです。そうしたら、文献を紹介してくださってぜひ読んでみたら、と。親切でしたね。
――中村とうようさんのところまで!熱意が伝わったんですね。その文献が唯一の手がかりということでしょうか。例えばそのほかに、研究の枠組みとして何か参考になった文献などはあったのでしょうか。
奥田:紹介してくださった文献は手に入れて読みました。最初はこれでレポートを書こうかと思っていたのですが、それだけでは言いたいことが伝わらないと思い卒論にまとめることにしました。何よりも一次資料としてはレコードが大事でした。歌詞は英語なので、日本語訳をすれば、歌詞のメッセージは伝わります。また、当時は「第三世界ブーム」だったのでアフリカの本などがたくさん翻訳されていて、色々な文献が役に立ちました。何かの理論を援用して新しい理論を打ち立てるということは考えていなくて、ポピュラー音楽とは何かということから始めて、レゲエというパワフルで素晴らしい音楽文化があり、当時の音楽の中で何よりも影響力があったので、「なぜ今レゲエなのか」ということを伝えた論文でした。
ご指導いただくにあたって、礒山先生から「一度レゲエを聴かせてよ」とリクエストがあって一緒にレコードを聴いたんです。先生のご感想は「身体に響くね」と(笑)あとは論文の書式が守られているか、日本語として破綻はないか、という点を見ていただきましたが、問題ないねとおっしゃってくださいました。礒山先生には、指導教員として担当するよ、レゲエの研究をしていいよと背中を押していただいたので、それだけで感謝しています。
――レゲエの研究に挑戦できたのは、何よりも奥田さんの熱意と、やはり文献を読み解く能力の基礎がしっかりと身についていらっしゃるからなんですよね。基礎の力というのがカシオ計算機に入ってからも生きていると。
奥田:それに気づいたのは、社会人になってだいぶ経ってからなんですよね。意識していませんでしたが、大学時代に深くレゲエに向き合ったことが、例えば『MT-40』の開発などにつながったのだと思います。色々な勉強が結びついていく感覚です。カシオ計算機に入ってとにかく忙しかったので、振り返る間もないというか。でもやっぱり真剣に勉強しておいてよかった、というのは大きいと思いますし、挑戦という意味ではあの「rock」のリズムも、絶対このパターンを入れたい!という強い思いがあったんですよね。
実はもう一つもっと過激なリズムパターンも作っていて、上司に聴かせて「そっちはだめだけれど、こっちのrockはOK」と言わせるように(笑)通った時は「やった!」という感じでした。
――奥田さんの戦略勝ちですね(笑)そもそもあのリズムパターンをなぜ「rock」と名付けたのでしょうか。
奥田:上司にも「rockはこれでいいの?」と尋ねられて、「ロックの曲からインスピレーションを受けたリズムパターンなのでいいんです」と答えていました。もう一つ、あの音源はドラムとベースしかないため、音が動くのはベースだけなんですよね。コードが入れられないという制約を逆にとって、ベースを動かして特徴のあるパターンにしました。実はレゲエもベースパターンが動くんですよ。かなりメロディックなベースの進行があるので、レゲエではベース音量が大きい。「rock」もわざとブーストさせてベース音を出しているんです。アナログ音源で太い音を出せていたので、結果的にレゲエに近いバランスになりました。
コードがあればもっと普通のリズムパターンになったと思いますが、なかったことが功を奏したという感じでしょうか。
――奥田さんの根幹にあるのは一貫してレゲエやその音楽文化に対するリスペクトだったと思いますがいかがでしょうか。
奥田:そう、本当にそうだと思います。受け手が「全然何も知らない人が作ったんじゃないんだろうな」と感じてくれたから伝わったんだと今は思います。自分が作ったものがちゃんと伝わって、「新しい文化になって戻ってくる」ってこんな嬉しいことはない。本当に貴重な経験をさせてもらいましたし、「イノベーションを起こす、文化を作る」ことは狙ってできることではないので。自分の想いだけじゃなく、外の受け手が気づいてはじめて成立することなのでラッキーだったなと。
――本学の基本理念に「世界の文化の発展に寄与する」という部分があるのですが、まさに奥田さんはそれを体現されていらっしゃいますね。
その音楽が本当に面白いかは、音楽を専門に学ばないとわからない
――その当時もすごい反響でしたけれど、それがまた2000年代になって「あのかっこいい音源を作った人は?」というオリジンを辿るような動きが出てきたというのは、音楽文化として積み上げられた厚みがあったということですね。
奥田:そうですね。あの音源を作ったのは42年前ですよ。高校生の時に「音楽における本物と偽物」というタイトルの論文課題がだされて、その時に私は「残るものが本物」と書いた。今振り返って、40年以上も残っていたら本物じゃん!と思ってるんです。
――それだけ影響力の大きなお仕事をされて、もっとレゲエを伝えるお仕事に舵を切るということはお考えにならなかったですか。
奥田:私はもともと裏方の仕事が好きで、だから楽理を目指したようなところもあったんですよね。カシオ計算機に入ったら「楽器開発は天職だ!」と思えたし、本当にものづくりに携わることができて、しかも最初に手がけた楽器があれだけ受け入れられて楽しかったし、次々に開発したいことがあって、楽器開発以外のことは考えられなかったですね。1986年の雑誌掲載の時にも、周りから「表に出て話したら」と言われましたけれど、「私、そんな暇ないから!次にはこれやりたいから!」という感じで(笑)その時にもし表に出ていたら違ったのかも、とは思いますけれど、やりたいことがあって、楽器でこんなことをしたいという想いが少しずつできるようになっていましたから。調性判定するシステムができた時に、同業他社の人から「こんなことできるの!」と言われたという話をきいて、ああ、やってよかったなと思いました。
――最後に、これから音楽を学びたいと思っている方、特に演奏以外の可能性を考えている中高生に向けてメッセージをお願いします。
奥田:どのような形で音楽を学ぶにせよ、演奏はできた方が可能性は広がります。今の時代、演奏できなくても音楽は作れますよね。それはそれで面白いし楽しい。ですが、そうやって作ったものが「本当に面白いか」は音楽を専門に学んでみないとわからない。偶然できたものではなく、理論を組み立てた上でできたものは必ずいいものに繋がるし、自分も周りも納得できると思うんです。それに、音楽ってやはり「学ぶ」ということをしないと一朝一夕には身につかないものなんですよ。
電子楽器を開発するということは、デジタルの力を使ってユーザーをサポートする機能を提供できることだと思っています。それは光鍵盤楽器のようにユーザーのモチベーションをあげるものだったり、今日お見せしたMusic Tapestryのようにアートという新たな芸術をつくりだせるものであったり、地道にレッスンをサポートするものであったりします。
ユーザーはとても賢いので、先が見えたらやめてしまう。開発は「その先」を見通す長い目が必要なんです。その力はやはり、音楽を学んだからこそ身についたと感じています。楽器の練習は粘り強さが必要ですよね。誠実に音楽に向き合ってほしいですね。
――奥田さん、貴重なお話を本当にありがとうございました。今後の開発も楽しみにしています。