くにたち*Garden
音楽文化論:ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」特別授業
本学の必修科目のひとつに「音楽文化論」の授業があります。この授業では、複雑で多様化した現代の社会、そして音楽文化の中で、西洋音楽に限らず豊富な知識や経験を積むことが、これからの音楽家にとって重要であるとの考えから、時代や国にとらわれないさまざまな音楽、音楽文化を学んでいます。
この授業の一環として、ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」の奏者として日本で活動されているカテリーナさんによる特別授業が行われました。
カテリーナさんご自身のこと、ウクライナの音楽事情、バンドゥーラの演奏など、これまで詳しく知ることの少なかった「ウクライナ」という国や文化全般についてお話しいただきました。
「戦争があったから注目されていると言われるウクライナ、そしてバンドゥーラのイメージを変えたい」と話すカテリーナさん。平和への願いとウクライナの豊かな音楽文化を知るきっかけとなる授業の様子をレポートします。

カテリーナさんの音楽活動

カテリーナさんは、ウクライナ チョルノービリ(チェルノブイリ)原発から2.5kmの町、プリチャピで生まれ、生後1ヶ月で原発事故に見舞われました。町からの避難を余儀なくされ、首都キーウに移り、幼少期を過ごしました。カテリーナさんとバンドゥーラの出合いは3歳から親しんだピアノがきっかけでした。ウクライナの人々にとって音楽は極めて身近な存在で、どこの家庭にもピアノやギターがあり、カテリーナさんはピアノを習いたいとご両親に話しましたが、6歳の時バンドゥーラの先生を紹介されたそうです。ウクライナには日本の音楽教室に当たる音楽教育システムがなく、音楽を学ぶには音楽学校への入学が通常。小学校から高校までの一貫教育で一般教科を学びつつ、放課後は音楽学校で学んでいたとお話しされました。
バンドゥーラの先生には「バンドゥーラは世界的にも珍しい楽器でウクライナの象徴、バンドゥーラを勉強すれば必ず歌も習えるし、ピアノも同時に習える」と聞き、ピアノが習えるならいいかなと思い、バンドゥーラを習い始めたそうです。

原発事故避難民が立ち上げた音楽楽団に入団後、海外での公演を経験したカテリーナさんは10歳の時にチャリティコンサートで来日。日本での公演の際、平和で人々が親切な日本へ憧れを抱き、また「言葉が通じなくても音楽で思いは伝わる」と実感したと、当時の気持ちを振り返っていらっしゃいました。
19歳の時に音楽活動の場を移すべく来日。日本語学校に通いながらバンドゥーラでの音楽活動を開始するも、レコード会社へのプロモーションは手応えを得られず、レストランなどでの演奏の機会すら得られない日々が続いたそうです。思うような活動ができなかった時、知人に「バンドゥーラという楽器自体がかなり珍しい。演奏だけではなく、楽器や音楽文化、ウクライナのこと全般について多くの人に知ってもらうことが必要なのでは」とアドバイスされたそうです。
それから、カテリーナさんはウクライナの文化芸術やウクライナという国自体を知ってもらおうと、バンドゥーラの演奏を通して活動を行ってきたとお話しされました。
バンドゥーラはピアノに近い?

続いて、カテリーナさんより、演奏を交えながら楽器の特徴についてご紹介いただきました。
バンドゥーラは12世紀頃に成立したと言われており、65本の弦をもち、指に専用のつけ爪をつけてはじいて音を出す撥弦楽器の一つです。4.5オクターブの音域があり、二重弦(弦が二層に張られている)になっています。カテリーナさんは「二重弦はピアノで言う白鍵と黒鍵のような関係。爪で弾いて演奏するけれどピアノに似ているので、バンドゥーラを始めたばかりの頃はピアノで譜読みをしてそれからバンドゥーラで演奏していました」と説明してくださいました。
バンドゥーラはかつて主に目の不自由な男性が歌いながら演奏し、歌詞の内容も民族の歴史や英雄譚が中心だったことから、日本の琵琶のような存在であるとも言われているそうです。
ウクライナが旧ソ連の支配下にあった時代には、歌詞がふさわしくないと演奏を禁じられたこともあったとカテリーナさんはお話しされました。

演奏の際には、右手は小指以外の指を使い爪ではじきます。左手はベースの役割で、弦を押さえるのではなく人差し指、中指、薬指を用いてこちらもはじいて演奏します。
さらに、バンドゥーラは楽器の背面に7本のペダル(レバー)を有し、曲によって♯と♭を半音ずつ上げ下げして演奏できるようになっていることが大きな特徴であるとご紹介いただきました。楽器自体はト長調で調弦されており、ペダルを使うことで弦自体を調弦せずに調性を変更できることをお話しいただきました。
歌詞に込められた思いー音楽を通して伝えたいこと

授業では、ウクライナでは子守唄として広く知られている《幸せの鳥》、多くの人に歌われている《キャロル》、日本の《翼をください》といった曲も演奏され、美しく少し物悲しげなバンドゥーラの響きとカテリーナさんの澄んだ歌声に学生たちも聴き入っていました。
カテリーナさんは演奏を終えて「ウクライナ民謡の歌詞やウクライナの詩において、花を母に、鳥や動物を父や兄に例えることがあります。《幸せの鳥》は木を切らないで、花を切らないで、と呼びかけている歌詞で、私にとって叫びのような曲です」とお話しされました。そのうえでご自身の活動について「日本での音楽活動をはじめて15年、戦争が始まったから活動を始めたと言われることもありますが、そうではありません。私はデモに参加するのではなく、ステージに立ち、バンドゥーラの音色と歌でウクライナを知ってもらいたいし、戦争が起きたことで注目されたウクライナやバンドゥーラのイメージを変えていきたい」と力強くお話しされました。バンドゥーラ以外にもウクライナ発祥のコサックダンスの映像や国立音楽団、バンドゥーラを演奏するジャズミュージシャンの映像など、豊かなウクライナの文化、芸術についてもご紹介いただきました。
原発事故、ロシアによる侵攻といった苦難の歴史を乗り越え、ウクライナに平和がもたらされ、美しい街並みや自然が戻ることを願ってやみません。

なお、授業当日はカテリーナさんをお迎えし、本学楽器学資料館主催のレクチャーコンサートも開催しました。
ウクライナの民族衣装で登場したカテリーナさんは、来場者に出迎えられ、ウクライナの民謡や日本の作品などを弾き歌い、美しいバンドゥーラの音色と歌声で会場を魅了しました。奏でられる音楽とともに、平和や祖国への想いが、聴衆の心に響き渡りました。
演奏や楽器の解説のほか、ウクライナの文化について映像を用いながらのお話もあり、盛り沢山のプログラムとなりました。
質疑応答では多くの質問がありバンドゥーラやウクライナの文化の理解を深める機会となりました。アンコール後はあたたかい大きな拍手が鳴り響き、コンサートは幕を閉じました。