くにたち*Garden
第24回 岡本敏明、小山章三の音楽教育論と合唱行脚の展開(1)(津田正之先生)
日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学のあゆみを知る授業。2週にわたる津田正之先生による講義では、岡本敏明、小山章三の音楽教育論と合唱行脚の展開をテーマに行われ、昭和の時代における音楽大学による合唱を中心としたアウトリーチ活動、また国立音楽大学「合唱行脚」の取組についてお話しいただきました。
まず、津田先生より本学が昭和30年代から全国に先駆けて、直接、音楽を必要とする現場を訪れるアウトリーチ活動を行ってきたことに触れ、今回の講義を通して「社会に出る時、いろいろな形でアウトリーチ活動に関わっていくことは避けては通れないことであり、そのための有効な視点を皆さんにお伝えしたい」とお話しされました。
続いて、本学の合唱行脚の歴史についてお話しされました。 合唱行脚の中心的な活動を行ったのは、教育音楽学科(現音楽教育専修)でした。教育音楽学科は日本で音楽教育に特化した最初の学科として1950年に創設されました。合唱行脚の中心となった教員として岡本敏明先生、小山章三先生のお名前を挙げ、昭和の時代に36年間にわたり展開されたこと、そして2019年に30年ぶりに復活を遂げたことに触れました。
合唱行脚は、全国各地の小・中・高等学校の体育館等において実施され、合唱を中心とした1時間程度の演奏会形式の音楽教室を行い、1回の旅行で何箇所も連続して実施されていたと解説されました。そして、合唱行脚で学んだ本学の卒業生として、武田雅博先生、源田俊一郎先生など合唱のプロの方から作・編曲家など様々にご活躍されている方を紹介いただきました。
岡本敏明先生は本学の前身である東京高等音楽学院の一期生であり、卒業後は教員を務める傍ら合唱団の指揮を担当するなど教育に携わり、戦後は音楽教科書、音楽科の学習指導要領の作成などを通して輪唱曲を日本に紹介しました。昭和10年から本学に勤務され、昭和25年から専任教授となり、岡本先生が中心となって昭和29年に最初の合唱行脚が行われたとお話しいただきました。
また、岡本先生の後任として合唱行脚を率いた小山章三先生は、本学の教育音楽学科の第一期生であり、昭和34年から本学に勤務されたと紹介されました。
次に、昭和の合唱行脚のプログラム構成について、合唱行脚は、学生たちの指導力の向上が目標の一つとなっていたことから、必ず学生にも指揮をさせていたこと、行脚に同行する指導者の役割についても解説していただきました。ここで、唯一映像の記録が残されている昭和63年の千葉大学教育学部附属中学校の事例を視聴しました。プログラムは古典合唱、世界の民謡・日本の民謡、女声合唱、男声合唱、音楽劇、バリトン独唱、そして楽しい合唱の構成となっており、当時の合唱行脚の様子や生徒の反応などを感じ取ることができました。
津田先生は、フレーズの最後に楽 しい体の動きを取 り入れた《山のごちそう》のシーンを取り上げて「楽しく笑いがあふれる合唱であっても、最後は、最初の落ち着いた合唱で終了すること、つまり“音楽としての終始感”をもたせる表現に終着したことに意味がある」とお話しされました。
講合唱行脚の展開と昭和のプログラムを映像を通して知ることで、音楽を必要とする現場に出向き、音楽で交流を深めること、学生自身が実体験を持って音楽の指導力を見つけることという合唱行脚の意義について改めて考えるきっかけとなりました。
次回も津田先生による、岡本敏明、小山章三の音楽教育論と合唱行脚の展開(2)についてお話しいただきます。