くにたち*Garden
第15回 日本の電子音楽〜シンセサイザーの広まり(大矢素子先生)
日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学のあゆみを知る授業。後期の第1回目は日本における電子音楽をテーマに電子楽器オンド・マルトノの演奏者でもある大矢素子先生にお話しいただきました。
日本における電子音楽についてお話いただく前提として、オンド・マルトノの開発者であるモーリス・マルトノとその時代背景についてお話がありました。
モーリス・マルトノは幼少期よりピアノ、チェロを演奏する人物でしたが、いかにしてありのままの自己表現を行えばいいのか、という課題を抱えていました。第1次大戦中に無線技師として活動したことにより、テクノロジーを用いて困難を克服することを思いつきます。音楽的な素養がなくても楽器を演奏することができれば、誰しも自由な表現ができると考えたのです。1928年、ラジオの技術を用いたオンド・マルトノが開発されると、モーリスは一躍時の人となります。
こうしたテクノロジーと音楽の交差は20世紀前半のヨーロッパにおける一つのムーブメントとなっていきます。同時代にはテルミン、ダイナフォーンといった楽器が発明され、専門知識や教育を必ずしも要求しない楽器は、音楽実践の裾野を広げることになります。テクノロジーが人々の生活を豊かにする、という20世紀前半における科学至上主義とも言える思考は、人々の楽観的/悲観的な感情を生みつつも、技術の発展とともに進んでいきました。大矢先生は「科学技術のポジティブな側面を表象する文化的な媒体がすなわち電子楽器であったのでは」と多様な電子楽器が生まれた背景について話されました。

続いて、日本における電子音楽について、黎明期から発展までお話しいただきました。1928年に開発されたオンド・マルトノは1931年にモーリスの来日とともに日本に紹介されました。同年、テルミンも日本に輸入され「ここから、日本における電子音楽の受容の一端が始まったとも考えられる」と大矢先生は言及されました。
また、日本でも、オンド・マルトノの、今までにない音を創造している、という点が1930年代当時から着目されていたことに触れ、その後の日本における電子楽器の受容にあたりすでにその萌芽があったと大矢先生はお話しされました。
第二次世界大戦を経て、1954年にはNHK電子音楽スタジオが設立され、黛敏郎のほか、鈴木博義ら実験工房に所属する現代作曲家が中心となり、先鋭的な試みを始めます。
同時期には東洋電子楽器研究所で開発された電子オルガンのクロダトーンや、音色を変化させ、さらにヴィブラートをかけることのできるClavioline(クラヴィオリン)がクラシックのみならず映画音楽やポピュラー音楽でも多用され、1930年代の電子楽器の流れを汲んだ取り組みが活発化していきます。
1960年代後半にはシンセサイザーを小型化したモーグシンセサイザーが日本でも広まり、冨田勲、YMO(坂本龍一)らが活躍していきます。
大矢先生は「電子楽器の受容と広まりは、とかく既存の楽器の音を手軽に模倣できるという「経済的」側面から語られることもあるものの、新しい⾳の創造という点に着⽬する動きが日本においても生じていた。その思考は戦後の混乱にあっても新しいものを生み出す意欲につながり、テクノロジーと人々の営みをつないできたのでは」と締めくくられました。
次回は、今井慎太郎先生による「日本におけるコンピュータ音楽」をテーマにお話しいただく予定です。