国立音楽大学

くにたち*Garden

講義を行う吉成先生

第19回 日本のジャズとくにたち(吉成順先生)

日本の近現代の音楽と音楽文化への理解を深め、本学のあゆみを知る授業。吉成順先生による講義では「日本のジャズとくにたち」をテーマに、ジャズの変遷から日本のジャズの発展、そして本学とジャズの関わりについてお話しいただきました。

まず、吉成先生からジャズの歴史的な概説をお話しいただきました。ジャズとは20世紀初頭にアメリカのニューオーリンズに発祥したポピュラー音楽で、概ね10〜20年周期でそのスタイルを変化させながら、1910年代のニューオルリンズ・ジャズからスイング・ジャズ、ビバップ、モダン・ジャズ、フリー・ジャズ、フュージョン、そしてメインストリーム・ジャズと変遷を遂げてきたことを説明していただきました。
中でも、現在のように音楽大学などの教育機関でジャズが教えられるようになったのは、1980年代のメインストリーム・ジャズのスタイルが契機となっており、これは1950年代に流行したモダン・ジャズのスタイルを「正統」として継承するもので、技巧的かつ複雑なコード進行で高い音楽性を志向することから、「ジャズのクラシック化」が起きたことは注目すべきことであると吉成先生は指摘されました。

続いて、「ジャズらしさ」について、吉成先生は1996年に招聘教授の山下洋輔先生が本学の創立70周年の際に行なった講演をもとにお話しくださいました。ジャズを構成する要素として、テンション・ノートやブルーノート、スイングするリズムが挙げられますが、山下先生はブルーノートは旋律的なものであって和声的なものではなく、西洋音楽的なハーモニーの上にアフリカ由来のメロディがぶつかり合うことで生まれた節回しであるとお話しされていることに触れていました。

次に、日本におけるジャズについてお話しがありました。1920年代にはすでに日本で「ジャズ」という名称が使用されていましたが、本格的なジャズの演奏が行われるようになったのは、戦後の進駐軍キャンプでの需要拡大がきっかけとなりました。1950年代には空前のジャズブームが起こり、世界の流行と足並みを揃えるように、スイング・ジャズ、モダン・ジャズが流行していきます。穐吉敏子、渡辺貞夫らがアメリカに渡る中、1966年には山下洋輔(Pf.)、中村誠一(TS.)、森山威男(Dr.)によって第1期山下洋輔トリオが結成されます。

吉成先生はここで「日本的ジャズの模索」という問題提起をします。つまり、日本の楽器や日本のモティーフを使用することが果たして「日本的なジャズ」なのだろうか、という問題です。日本でジャズの演奏が始まって以降、1930年代から日本の民謡のメロディをモチーフとしたジャズ民謡や、穐吉敏子による和楽器を用いたジャズ《孤軍》などの作品があるものの、果たしてそうした作品だけが「日本的なジャズ」と呼ぶべきものなのでしょうか。
そこに一石を投じたのが山下洋輔トリオの活動であると吉成先生は指摘され、1974年に渡欧した第2期山下洋輔トリオの演奏評を紹介してくださいました。「アメリカでもヨーロッパでも、あんなふうにパワーとエネルギーを表現できるグループはほとんどないだろう」という山下洋輔トリオのプロデューサーである、ホルスト・ウェーバーの言葉です。吉成先生は「世界のジャズシーンが日本のジャズを認識した」という当時の評価を紹介しつつ山下洋輔トリオの活動は、日本のジャズのイメージを塗り替えた存在であると言及されました。

続いて、本学出身者とジャズの関わりについてお話しいただき、山下洋輔先生を中心とした世代では、山下洋輔トリオの第1期に活躍された中村誠一、本田竹広、その次の世代として、梅津和時、佐山雅弘、国府弘子が紹介され、ジャズ専修設立以前から本学にはジャズミュージシャンを生み出す土壌があったことに触れました。また、1983年からは山野ビッグバンド・ジャズ・コンテストで殿堂入りした本学のサークル、NEW TIDE JAZZ ORCHESTRAのメンバーをご紹介いただき、現ジャズ専修で教鞭をとられている池田篤先生、塩谷哲先生もメンバーとして活躍されていたこと、現在ジャズ作曲家として世界で活躍されている挾間美帆、2011年に設置したジャズ専修一期生でジャズ・サクソフォーン奏者として活躍されている中山拓海の活動をご紹介いただきました。
本学の自由な雰囲気の中で培ってきたジャズの伝統を引き継ぎ、アカデミックな学びとしても発展させているジャズと本学の歴史を改めて振り返る機会になりました。

次回も吉成先生による、くにたちと「日本人の音楽」研究(1)についてお話しいただきます。

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