音楽徒然草ラインナップ
くにたちの先生方が、 “つれづれなるまゝに、心にうつりゆくよしなしごと”を書きつづっていきます。
ラインナップ
2011年度

3月の大学では入学試験も終わって入学や新学期を待つ皆さんと、「くにたち」での学びを終えて新しい出発を控えた皆さんが共存しています。そして卒業と修了を記念する大学主催の音楽会がたくさん開かれます。

あの東日本大震災とそれに続く原発事故からもうすぐ1年が経とうとしています。この間,多くの音楽家や音楽療法士が被災地に入りさまざまな音楽活動を行ってきたのはご存じの通りです。最近,ある音楽雑誌が「3.11後の音楽」という特集を組み,「いま音楽に何ができるか」という問題意識のもと,今日の状況下での音楽の在り方や可能性について刺激的な議論を展開しているのを読みました。

みなさんはご自身の音楽表現をどのようにして世に発表してゆこうと考えていますか? 作曲し、演奏し、コンサートを開催し、録音してCDを作成し、或いはネットの音楽配信サイトに登録し、映画やゲームのサウンドトラックという手段も考えられるかもしれません。しかしそれらとは少し違った、新しい音楽表現の可能性について、この機会に書いてみたいと思います。

一人の演奏者が一つの役割を担当する形態がsoloですが、鍵盤楽器や他の複音が出せる楽器は一人で多声部を表現でき、solo演奏の中でオーケストラに匹敵する音楽を表現することが可能です。

1975年3月に別科を修了した私は、4月から1年間の期限で、あるピアノ修理場の師匠のもとでピアノの修理全般について修行をする徒弟になりました。
そのころのピアノ技術の教育機関は、別科調律専修以外ではメーカーの養成機関があるだけでしたから、私の修業先のようなところで、10~15年間の経験を重ねて技術を習得し、そして独立していくということが一般的でした。

私は民謡や民俗芸能に興味があって、そのような学会に入っているのですが、その会員であるIさんからのお誘いで、8月29日から9月4日まで、ブータン王国に行って来ました。一行は総勢5人で、リピーターであるIさん以外は私も含めて初めてブータンに行く人たちです。

今から四十数年前、私が中学三年生の秋、進路相談のための三者面談の席で突然「音楽学校へ行きたい!」と爆弾発言をしてしまい一家は大混乱。中学入学時からブラスバンドやオーケストラの魅力にハマっていた私は普通高校への進学がこの土壇場に来て我慢が出来なくなったのでした。まあプロの管打楽器奏者を目指すスタートラインの話というのは大抵こんなものなのです。

東京では毎日どこかでコンサートが行われています。すばらしいプロフェッショナルの演奏会も聴きごたえがありますが、私は国立音楽大学の学生たちのコンサートに行くことを楽しみにしております。そこでは、いつも「くにたちの<音>」に出会うことが出来ます。

私は、高速バス、JR山手線、さらに西武新宿線に乗って大学まで通勤しています。距離にすると片道100キロを越えますから、お弁当を持って毎日がピクニックみたいなものです。でも電車やバスなど乗り物は大好きですから、趣味と実益を兼ねた通勤と言えるかもしれません。

「フィールドワーク」という言葉は一般にもよく使われるようになりました。文化人類学では「参与観察」を意味し、現場である程度の期間を過ごし、実地に体験しながら観察することを指しますが、今では「行って見てみる」程度の意味合いになっているようです。

今は一年中で一番美しい季節、国立音楽大学のキャンパスのあちらこちらに可憐な花々が咲き乱れています。新しい命をもったかのようにぐんぐんと緑を増す木々、生命の偉大さと再生を繰り返す自然の強さを感ぜずにはいられません。

大学生の時期というのは、「日本では」18歳から22歳というのが一般的です。日本ではという言葉が「 」に入れてあるのは、日本に特有の現象だからです。先進国のなかで大学進学率が60パーセントもある国もあまりありませんし、大学生の年齢が4年ないしは5~6年というのも例をみないかもしれません。