国立音楽大学

音楽徒然草

第20回 「道具 ~ 工具と治具 ~ から学ぶこと」 大津 直規 専任講師

大津 直規 専任講師

 1975年3月に別科を修了した私は、4月から1年間の期限で、あるピアノ修理場の師匠のもとでピアノの修理全般について修行をする徒弟になりました。
 そのころのピアノ技術の教育機関は、別科調律専修以外ではメーカーの養成機関があるだけでしたから、私の修業先のようなところで、10~15年間の経験を重ねて技術を習得し、そして独立していくということが一般的でした。

 師匠のところには2年目、4年目、10年目という三人の兄弟子(あにでし)たちがいました。修理では1年目の弟子として学びながら、調律では師匠や10年目の兄弟子と同じようにスタジオやホールを担当するという、多くのことを実際の仕事として経験することのできた貴重な期間でした。特に師匠の修理技術に対する考え方が、私が別科で教わってきた基礎的な知識や価値観とほとんど同じであったことも、非常に恵まれていました。 『新しい「治具(じぐ)」で作業の精度と効率を高めることができるのなら、それを作り上げることに二、三日の時間を費やしても良い』ということも、師匠の考え方・価値観をよく表しています。

工具鞄の中身(2004)
工具鞄の中身(2004)

 調律や調整、修理では専用工具だけでなく一般的なドライバーやプライヤー類などの工具を使います。ピアノ調律師の作業に接する機会があれば、その時にいろいろな工具の入った工具ケース(鞄)を目にするでしょう。修理ではこれらの工具とともに「治具」という道具を使うことが多くなります。

 治具とは英語の「Jig」の当て字と言われていますが、古くから日本語としてあったかのような印象を受ける、実にすばらしい当て字ではないでしょうか。
たとえば、一定の幅にフェルトを切って一台分(88個)の部品を作るときに、刃物と治具を組み合わせることで、同じ形に正確に裁断することができます。あるいは、弦を打つハンマーという部品に、シャンクという部品(金槌に例えるなら柄にあたる部分)を取り付けるための穴をハンマーの木部にあけるときにも、専用の治具が大活躍することになります。穴をあける角度など4項目以上の要所を微調節を経て固定して、そのうちの一つの条件を一定の割合で変化をさせながら穴を開けていくことを可能にする「ハンマー穴あけ治具」にはそのような機能を満たしていることが必要です。

 師匠の作業場には、すでに独立していった兄弟子たちが工夫して作った、そして、その後も試行錯誤や改良を重ねていったいろいろな治具がありました。
 その中でもハンマー穴あけ治具は圧巻でした。私も、その後に勤務したピアノ専門店で、自分なりの改良を加えたものを部品から自作しました。

自作裁断機 ver. 5.7 (2010)
自作裁断機 ver. 5.7 (2010)

 別科には、50年以上使われているたくさんの治具があります。そして、今でもいろいろな治具を作っています。
 今年度、二年生の製作実習では、ハンマーの穴あけ治具を学生たち自身で作るということも行いました。
一年生の時の修理実習では、すでにハンマーの穴あけを既存の治具で行っていましたが、改めてハンマーの穴あけに求められる条件を考え、それを満たすことのできる治具を新たに作りました。これは、治具を作ったという体験もさることながら、別科修了後に未知の故障に出会っても、必ず解決にたどり着くことができる、そのような力につながると確信しています。

 私たちが行うピアノの修理と、新しいピアノを作る工場での作業には、その工程や考え方に大きな違いがあります。しかし、ピアノの仕組みについての基礎的な知識・原理が判っていれば、製造工程の中で見かけた全く未知の工具や治具であっても、その目的や作業方法について推察して理解することができます。 徒弟時代に浜松の工場見学に同行させてもらいました。在学中にも見学していたピアノ製作工場のそれぞれの工程や、そこで動いている機械、そして工員さんたちの作業をみるだけで、それぞれが何を意味するのかが判るようになっていたことに自分自身が驚きました。

 治具を作り、それを使うことで作業の手順を考え直すこともあります。 しかし、治具があれば何でも正確に加工できるというわけではありません。治具も工具も、まずは使いこなすことが大切で、使いこなすからこそ改良もできるのです。 作業の目的と手順を検討して、よりよい修理ができあがるように「治具」と向き合うことで、ピアノ修理への限りのない想いも楽しみのひとつになります。

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