国立音楽大学

音楽徒然草

第30回 「リーメンシュナイダーへの旅」  佐藤 真一 教授

佐藤 真一 教授

 1979年の9月、ミュンヒェンの国立博物館でさまざまな彫刻を見ていたときのことです。ある展示室に足を踏み入れたとたん、身が震えるような気配に包まれました。マクダレーナ像をはじめ、人物の表情は深い内面性を湛え、指のしぐさ、衣服の襞にいたるまで繊細な気品を漂わせる一群の彫刻がそこにありました。今思えば、これがティルマン・リーメンシュナイダー(1460-1531)の作品との最初の出会いでした。

昇天のマリア祭壇

 それ以来、この彫刻家の作品に惹きつけられ、ヴュルツブルク、ローテンブルク、バンベルク、ハイデルベルクなどでその彫刻に接してきました。
 しかし、どうしても見たい作品がまだありました。クレークリンゲンのヘルゴット教会にある「昇天のマリア祭壇」です。昨年夏、史料研究のためドイツを訪ねた折、仕事の合間をぬって訪ねることにしました。
 クレークリンゲンは、中世の家並みを今につたえる「ロマンティック街道」沿いの小さな町です。列車をいくつも乗り継ぎ、ヴァイカースハイムからバスに揺られ、さらに30分ほど歩いて教会にたどり着きました。
 ほの暗い教会堂の中央に、祭壇は聳え立っていました。マリア像を目にしたそのとき、みずみずしい、まったく新しい世界が開けたような思いがしました。マリアの面持ちのなんと清楚なことか。合掌するその手の表情は、これまで見た彫刻の中でも際立ったものでした。たぐいまれな清冽さをもつ像は、彩色を施されていない木の質感のゆえに温かみをそなえています。彫刻の前に立ちつくし、離れがたいものがありました。

十字架祭壇

 マリアの祈りの姿を通して、人間を超えるものへのまなざしが深く迫ってきました。それは、この世にだけ目を向け、それにとらわれているわれわれ近代人の姿をも映しだしていました。
 翌日は、タウバー川をさかのぼったデットヴァンクという村の教会に、同じ彫刻家が刻んだ「十字架祭壇」を見に出かけました。皮膚の下の血管まで丹念に浮き彫りにされた木彫でした。十字架で息絶えたイエスの姿をわがこととして見据えている兵士は、彫刻家が自らを刻んだ像であるということです。
 リーメンシュナイダーの作品を訪ねる旅のおわりは、薫り高い文化都市シュヴェービッシュハルでした。ベルリンで手にした新聞で、この彫刻家の作品展がここで開かれていると知ったからです。
 4人の福音書記者の像には凛としたたたずまいが漂っていました。「歌い奏でる天使たち」の彫刻も見ることができました。リーメンシュナイダーの作品には、真摯なもの、苦悩や悲哀を表すものが多くあります。しかし、この群像には、朗らかな喜びが感じられました。

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