国立音楽大学

音楽徒然草

第3回 「6月の瞳」  花岡 千春 副学長

花岡 千春 副学長

 5月の下旬くらいから6月にかけて、各地で行われる進学ガイダンスに出かけ、高校生やその保護者の方々にお目にかかります。希望と不安の両方を胸に抱いた高校生の皆さんとの出会いでは、実際にいろいろなお話が聞けて、考えさせられることが多いのです。

 中学や高校への進学時に特別な選択をしない限り、小学校~高校という「社会が定めたレール」に載ってさえいれば、それは「順調」に世の中を進んでいるということになります。この時期にいち早く自分の将来を深刻に見つめる人もいるかもしれませんが、おそらく大半の人にとって、人生最初の重大な決断は、「大学を決める」ということになるのでしょう。

 ところで、もしあのとき、あのように決断していたら、と思うことが人生にはあります。「あのときピアノを続けていたら今の自分はない」と思っている実業家がいるとしたら、それがその例です。勿論その逆の例もあるわけですが、「実現されなかった方の人生」は時に魅力的に見えるものです。

中庭・小道

 つい最近、若い友人に「自分よりもっと力があるピアニストが居るというのに、ピアノを続けられた理由は?」といった類の質問をされ、一瞬絶句したのを思い出します。お気楽な自分のこと、実は余り他人(ひと)様のことなど考えないでやってきた、というのが本当のところなのです。自分の裡にある、ひとかけらの「ささやかな自負」と、「音楽への愛」があったから、とでも片付けたいのですが、僕の場合はこれとて怪しいものです。失敗や恥ずかしいことばかり満載の人生で、誇るようなことなどは結局何もありません。ただ不思議に自分の人生=音楽の径に迷い込んだ人生に後悔はありません。もうお分かりのように、僕は今ある人生を他人のそれと比べたり、あるいは「実現されなかった人生」に未練を持ったり、といったことの比較的少ない人間のようです。だから実は、そういったことで悩んでいる人を見ると、妙に気になる人間でもあるのです。

 ガイダンスなどで若い後輩たちに話をするとき、僕の心にあるのは、一人でも多くの生徒を国立音楽大学へ、という使命感などではありません。未だ音楽の径の険しさが見えていない人にはむしろ敢えてそれを語り、或いは勉強はまだまだ間に合っていないが音楽が自分にどうしても必要だと感じているらしい子たちには、心からのエールを送ることこそ、今の自分の役目のような気がしてなりません。

キャンパス風景

 キャンパスには楽しい声が溢れています。彼らのきらきら輝く瞳にまじって、時折音楽への志向を戸惑っているような瞳に遭うこともあります。6月はなぜかそんな瞳が多い。だからこそ、ついこんなことを書きたくなりました。

 在学生にも、卒業生にも、そしてこれから国立にやってくる後輩の皆さんにも申し上げたい。人生は、自分で選び、築き上げるものです。音楽をする、ということは極めて自発的なことです。どうか勇気を持って音楽の径を邁進して下さい。 受験生の不安と期待に満ちた瞳、キャンパスの様々な瞳・・・僕らがその「6月の瞳」を時々想い起こしていることを忘れないでください。そんな瞳のときをなんとか乗り越えて今あるのが、僕らだということも。

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