音楽徒然草
第12回 「フレッシュ・コンサートが開く新しい時代」 藤本 一子 教授
冬が去り、春の到来が告げられるこの季節は、大学においても、時の流れを感じるときです。とくに年度末の教授会での退職される先生によるご挨拶は、クニタチに受け継がれている教育の伝統が何であるかを教えてくれます。今年は秋山恵美子先生から、これまで教育に注いでこられた熱意や次代への期待をうかがいました。
そうしたなかで、3月に東京オペラシティで開催された大学主催の「フレッシュ・コンサート」を聴きました。コンクールに入賞し、または博士号を取得した若い人たちによるコンサートです。作品発表(中辻小百合)とその打楽器演奏(山本晶子)、トランペット独奏(川田修一)、メゾ・ソプラノ独唱(湯川亜也子)、クラリネット独奏(田中香織)、バス独唱(斉木健詞)、それに本学の新旧世代の学生・教員の皆さんによるオーケストラ演奏。精錬された技術と表現がじつにみごとで、音楽芸術の力に圧倒される思いでした。自由で大胆で活力にあふれ、心が大きく拡がっていきました。
このコンサートを聴きながら、昨夏の短い旅を想起しました。私が研究対象にしているR.シューマンは19歳の夏にスイスから北イタリアへと、郵便馬車と船と徒歩で闊達に旅をして感動を日記にメモしています。その旅の一部を可能な限り同じ日時で辿り、書かれた言葉のイメージを追体験するのが私の目的でした。181年前(1829年)と同じ8月26日に、同じく雲ひとつないリギ山頂(1752m)に立てたのは天の恵みとしかいえません。湖面を眼下に、マッターホルンやピラトゥスなど150の山々を360度で眺望したシューマンは、今も残るホテルで、日の出よりも夕暮れに感激し、一気に山を下りながら奥深い林道を“ロマン的”と呼んでいます。
この旅で私は大変重要なことを体感しました。矢継ぎばやに馬車を乗り継ぎ、物凄い凄い速度で各地を見聞する若者の好奇心と活力です。数年後、当時の音楽界にあきたりないシューマンは “詩的な新しい音楽の時代”にむけて評論活動を開始するのですが、そのエネルギーの一端を知るようでした。ちなみに彼のいう“詩的な”の根幹にあるのは、古典を尊重し、凡庸な体制を退ける自由さでした。
じつはフレッシュ・コンサートの音楽から伝わってきた大胆な自由さは、何百年もこうした若い音楽家たちが目指してきたものだったのではなかったでしょうか。その歴史の力があのコンサートで実現していた、そのような演奏でした。コンサートの発表者はクニタチで学び、ある人はさらに留学の地で、技術と精神を修練されたと紹介されています。既存の枠にとどまることなく、しなやかに自由に羽ばたく若さ。ここに芸術の伝統と力を感じます。この春クニタチはあらたにスイスのバーゼル音楽院と提携を始めるところと聞いています。さまざまな場所で若い皆さんが技術と精神を鍛錬し、新しい時代を招来してくれますことを――。