音楽徒然草
第15回 「音楽作りの現場に足を運ぶ」 横井 雅子 教授
「フィールドワーク」という言葉は一般にもよく使われるようになりました。文化人類学では「参与観察」を意味し、現場である程度の期間を過ごし、実地に体験しながら観察することを指しますが、今では「行って見てみる」程度の意味合いになっているようです。自分が学生の頃には、この言葉にはある種の憧れを抱きながらも、何か大きな覚悟を必要とする印象がありましたが、少し軽やかにイメージされるようになったのを逆手にとり、学生たちと音楽作りの現場に出かける機会を作るようになりました(とはいえ、「フィールドワーク」という言葉には敬意を払って敢えて使わず、地理学で使われる「巡検」という言葉を借りています)。
こうした機会を持ちたいと思った理由は、ある音楽的事象を文献だけでなく、音源や映像資料を動員して説明しても、何か本質的なところを伝えきれないもどかしさが常にあり、一方、説明を受けた学生たちはそれで分かった気になっていると思わされる場面にしばしば遭遇したからです。玉川上水からどこかに出かけて何かを調べるのは授業ではなかなか難しく、自主ゼミという形になってしまいましたが、かえってそれが幸いして、特定の授業や専攻、学年を超えてさまざまな学生が参加してくれています。この自主ゼミでは単に音楽や芸能の現場を見学するだけでなく、それをドキュメントし、まとめるということまでを想定します。出かける当日には画像、映像、録音を手分けして担当し、場合によってはインタビューをし、後で疑問が出たらさらに質問をする、といったプロセスを経験します。そして文書化し、後日、報告会をして終了となります。
楽器を製作する方々、都市のいくつかの祭りの主催者と祭りの運営、能の装束・面と能舞台の実際、国内のイスラーム礼拝堂での祈祷の意味・在り方、エスニックタウン化する地区などなど、テーマはそのつど異なり、それだけに準備のしかたも違えば、相手に対する気の配り方も変わってきます。しかし、どの巡検でも、相手をしてくださった方々は貴重な時間を割き、時には見当はずれな質問にも丁寧に対応してくださり、こちらの想定よりはるかに多くのことを話し、見せてくださいました。
音楽やパフォーマンスとして表に出てくるものは形が整い、華やかですが、舞台裏は地味、というよりは驚くほど慎ましいこともあります。楽器作りでは材料の確保、あるいは転用など、こだわりを感じる側面もあれば、時代の移り変わりが反映している面もあり、当事者だけが知る情報に触れることになります。こうした音楽作りの精神の部分が分かってくることで、ものごとの見え方が変わり、その後の学生たちがさまざまな課題に取り組む時に大きな力を発揮します。今では自主ゼミから複数のフィールドワーカーも誕生し、本当の意味でのフィールドワークをそれぞれに繰り広げ、自らの研究につなげています。その姿に学生時代の自分自身の姿を重ねながら、さて、次の自主ゼミの対象はどんなことにしようか、と思いをめぐらせています。