サレルノ夏期国際音楽講習会(イタリア・サレルノ)
守山 友季恵 4年 演奏学科 声楽専修
研修概要
研修機関:アカデミア・ムジカーレ・ヤコポ・ナポリ(Accademia musicale Jacopo Napoli)
研修期間:2016年8月23日~9月1日
担当講師:エンツォ・ディ・マッテオ教授
研修目的
・ベルカント唱法に触れ、歌唱時の身体の使い方を把握し、表現技術を深める。
・イタリアでどのように音楽が息づいているかを知り、体感することにより音楽的視野を広げる。
・年齢制限や一切の制限のないこの講習会で様々な方と知り合うと共に、語学力を向上させ、音楽への熱意をさらに高める。
研修内容
サレルノという港町から山を上がったところにある、カーヴァ・デ・ティッレーニという街で行われる。カーヴァ・デ・ティッレーニには中世の影が街のところどころに残っている。夏期講習会期間にはアーティストによるコンサートが同時に開催され、治安が良い中にもイタリアの明るく陽気な雰囲気を感じられる街である。
開かれる講習会はイタリアの著名教授陣たちを中心に、ヨーロッパを中心に第一線で活躍する演奏家たちによる指導を受けることができる。年齢などによる制限は一切なく、開講されるコースもピアノやヴァイオリン、ホルンやトランペット、そして珍しいものだとハープやアコーディオン、マンドリンなどと幅広い。
ディ・マッテオ教授によるレッスンは9時30分から13時、16時から18時程までで、一人当たり45分くらいのレッスンである。受講生は13人ほどで、レッスンが回ってくる日もあれば回ってこない日もある。自分が歌っていないときは他の生徒のレッスンを聴講するというかたちである。
ディ・マッテオ教授の発声レッスンは以下のパターンがあり、その中からその日の状態によって先生が異なるパターンを選ぶ。言葉はMiとOを日によって使い分ける。
8月23日
まずは曲を歌う前に発声を行った。この日に行ったのは①、④である。先生は繰り返し私に「声の響きをマスケラに入れること、母音が変わってもspazio(空間)が変わらないことに注意して」とおっしゃった。「歌うにあたって大事なことが3つあって、まずは喉を広く、そして縦に開けて響きをマスケラに入れる、そして外に響きを出す」ということもおっしゃっていた。
発声のあとアリアを歌った。V.Belliniオペラ『夢遊病の女』よりアリア”Ah,non credea mirarti”をレチタティーヴォから歌うと、先生は「悪くないが、オ母音が狭く、暗すぎる。そして響きがマスケラに入っていない。この2つが同時に起こって、音楽が停滞している」とおっしゃった。
ブレスの位置を1か所変更して、もう一度アリアから歌うとすぐに止められ、「それではオ母音の時に全く出ていない」と言われ、何度か試しているうちに自分でも分かってくる。声が外に出たな、と思ったときに先生にも「それだよ、分かったかな?」と言われたので安心した。
8月24日
喉に違和感を感じたが、とりあえずレッスンに行ってみることにした。先生に喉が痛いことを伝え、まずは発声をして、様子を見ようという事だったので発声をすることになった。中低音はかすれるが、高音にはあまり問題なし。昨日、先生に言われたオ母音を外に出すという事に気をつけた。この日行った発声は①、④、⑤。
しかしアリアに移ってみると全く声が出なかったので、「午後のレッスンでもう一度試してみてもいいか」と聞き、午後再チャレンジすることにして、一度ホテルへ戻って休んだ。午後のレッスンで歌うつもりだったが歌えるほどにはよくなっていなかったのでこの日は歌わずに終えた。
8月25日
午前中は自分で出来る勉強をしてゆっくり過ごした。
午後のレッスンから合流して、少し歌わせてもらおうと思っていたが、先生が「今はまだ治りかけだから歌わない方が良い。明日の午前か午後に試してみよう」とおっしゃったのでそうすることにした。そのまま他の生徒のレッスンを聴講した。受講生はほとんどがディ・マッテオ先生が教鞭をとっているマテーラのコンセルヴァトーリオ(音楽院)の門下生で、年齢は19歳から30歳くらいまでと幅広い。日本とイタリアの声の重さ(深さ)の基準は違うと聞いてはいたが本当にその通りで、日本より一段階自分の声が軽いと捉えられるようである。実際に、私が以前歌ったことのあるアリアを歌っている人がいたが、私よりずっと声が重く、深かった。実際にそのレパートリーに求められる声は、イタリアではそれくらいの重さと深さが必要という事なのかな、と思った。イタリア語を母国語とする人の言葉のイントネーションも少し異なるので聴いているだけで勉強になる。
8月26日
朝起きると、良くなった感じがしていた。レッスンに行き、他の受講生のレッスンを聴講。先生に「今日は歌えそうなので再チャレンジしたい」と言って歌わせてもらった。この日の発声は①、④、⑤、そして②を行った後に②と③を組み合わせたものを行った。初日と同じく『夢遊病の女』より”Ah,non credea mirarti”をアリア部分から歌い、問題なく進んだので先の”Ah,non giunge uman pensiero”まで進むと、1フレーズ終わったところで止められ2つ注意を受けた。「Ah,non giungeのgの子音が弱いのでもっと出すことと、uman pensieroの最後のオ母音をもっと外に明るく放出する事。この2点に気をつけてもう一度やってみて」と言われ、Ah,non giungeからもう一度歌う。言われた2つのことにそれぞれ注意して歌うと先ほどより息が前に流れたのを感じた。バリエーションに入る前に止められ「とても上手くいっている!素晴らしい!」とおっしゃってくださり、新しいアリアをいくつかもらった。イタリアに来てから初めて自分の歌をまともに歌えて、そして先生が認めてくれたのでとても嬉しかった。コース修了コンサートではこの曲を歌うよう言っていただいた。
8月27日
午前中は聴講。クラスの人数も多いので歌う順番が毎日まわってくるわけではなかった。
ディ・マッテオ先生のレッスンはとても自由で、自分で勝手に座ったり立ったり歩いたりして、今の声はどうだ、とか、私はこう思うけど先生はどう思う?とか話し合いながら進めていく感じである。初めて見た時にはあまりに自由で戸惑ったが、郷に入っては郷に従え、ということで私もディ・マッテオ先生スタイルにして座ったり歩いたりしながらレッスンを受けることにした。
午後は休講だった。
8月28日
この日は11時から受講生によるコンサートがあり、ヴァイオリン専攻生とディ・マッテオ先生の受講生男声3名によるものだった。
午前中はそのコンサートの参加者だけのレッスンがあったので、聴講していた。ディ・マッテオ先生は生徒それぞれのことをとてもよく見ていて、発声パターンもその生徒に必要なものを吟味してくださっていた。受講生の韓国人のテノールの方がG.Verdiオペラ『アイーダ』から”Celeste Aida”というアリアを歌っていて、曲のクライマックス、高音に飛ぶところでピアノにしようと試みて上手くいかなかった。その時にディ・マッテオ先生は「ここをピアノにして歌いたいのはとてもよく分かるけど、今はフォルテで歌う方がずっといいし、ピアノで上手くいかないよりフォルテで堂々と終わった方がずっといい。ピアノにする技術はそのうちつくから、今はフォルテで歌おう」とおっしゃった。実際、フォルテで歌った時の方がずっとエネルギッシュで若々しく、輝いた音色だったので、生徒の声のことを理解されているのだな、と思った。
修了コンサートは皆さんとても素晴らしく、それぞれの個性と情熱をとてもよく感じられた。
8月29日
この日は午前中に自分のレッスンがあり、この日の発声は①、④、②、②と③を合わせたもの、②と③と①を合わせたものを行った。そして25日に先生にもらった曲、V.Bellini『カプレーティ家とモンテッキ家』より”Eccomi,inlieta vesta”~”Oh,quante volte”を歌うと、「前よりずっと良くなっている」と言っていただいた。この曲はとても静かで、長い息とレガートの技術が高く求められる。歌っているうちにどんどん息が胸に上がってきてしまうことで悩んでいたが、先生に「息をマスケラに入れて、滞ることの無いように流し続ければ、良いポジションで歌い続けることが出来る。そうすれば息が足りなくなることも無くなるよ。」とアドバイスをいただいた。これは私にとっては非常に難しく、息がどんどん上がってきてしまうのは日本で歌っている時から悩んでいる事だったので、基本であり基礎である「息を流す事」の難しさを再認識した。修了コンサートではこの曲も歌うように言っていただけた。
本来の修了コンサートは8月31日で、9月1日にディ・マッテオ先生とマテーラ音楽院のディ・マッテオ先生門下生によるオペラ『ドン・パスクワーレ』の公演の予定だったのが、8月24日に発生したイタリア中部地震をうけてオペラ・ブッファ(喜劇)の上演はふさわしくない、とのことで中止になった。これを受け、修了コンサートが9月1日に変更になった。ブッファな内容は慎むべきという事で『夢遊病の女』も”Ah,non credea mirarti”のカンタービレ部分のみで、”Ah,non giunge uman pensiero!”部分は歌わないこととなった。
8月30日
この日はオペラ『ドン・パスクワーレ』の稽古があったので聴講させてもらった。
演者を見ていて、語学力の必要性を強く感じた。言葉の意味を「訳」として知っているのと、「言葉」として知っているのでは当然ながら生まれるリアリティは大きく違う。私はイタリア語の全てが分かるわけではないので、何か曲を勉強するとなったときでも品詞分解から行い、言葉の意味を調べるという作業を行う。その作業を行ったとしても技術面に捉われてしまって、意味を忘れてしまうこともある。語学力が身につけば言葉のニュアンスや言葉の持つ魅力をもっと出せるのではないか、と思った。実際、イタリア語を母国語とする人、それと同じレベルで扱える演者たちから話され、歌われる言葉にはニュアンスや雰囲気や色がたくさん含まれて、常に流動的な動きを持っていた。
午後は休講だったので学校で練習した後、友人のヴァイオリニストたちの修了コンサートを聴きに行った。
8月31日
この日は午前中がレッスンで、午後は昨日と同じく『ドン・パスクワーレ』の稽古だった。
午前のレッスンでは①、④、⑤、②、②と③を合わせた発声を行った。しかし、「きみがこの一週間で学んだことを見せてみてくれる?僕は家での君の練習にずっと立ち会えるわけではないからね」ということで、先生のアシストはなかった。初日に先生がおっしゃった、歌うにあたって必要な事3つが全て同じ配分で行えるように気をつけた。発声が終わると、『夢遊病の女』のアリアを歌った。やはりオ母音が完璧にマスケラに入っていないので息が止まっていて、響きが内側に入ってしまっていることを自分自身感じたし、先生にも指摘された。”Oh quante volte”はレチタティーヴォから歌うことにした。先生が出してくださったこの曲は無理なく歌うことが出来たし、「もし、君がヨーロッパの劇場のオーディションを受けることにしたら、この役柄やVerdiの『リゴレット』のジルダがとてもあっていると思う」と言っていただいた。自分でも、この役は合っているのだろうな、と感じた。「母音を全てつなげることによって、言葉が全てつながるし、それに伴ってフレーズも長くとらえることが出来るよ」とのことだったのでやってみるが、母音が変わるとポジションが変わってしまったり、マスケラに入っていた響きが外れてしまったりする。発声で出来たとしても、曲でも同じことを維持するのはやはり難しい。発声を離れて曲になると、どこか力んで、声を作ってしまう癖があるので、これもまた課題だな、と思った。
9月1日
修了コンサート当日。朝10時にいつもとは違う場所で、修了コンサート参加生のみ発声のレッスンを受けた。この日は①、④、⑤、②、③、②と③を合わせたもの、②と③と①を合わせたものに加えて、「日本に帰ってから、この発声も練習するといいよ」と、新しいパターンも教えてくださった。「君が声を出す前、背中には空気が入っているが、腰には入っていない。腰まで緩やかに空気が入るのが望ましいよ」と言われて、呼吸法も教えて頂いた。椅子に座り、脱力して上体を倒す。そのままの体勢でゆっくり鼻から息を吸い込んで止める。この時にお腹にも腰にも空気が入るようにする。そしてそのまま空気が逃げないように上体を起こし、細い筒を通すように空気を吐き出せるところまで口から吐き出す。これを反復練習することによって空気の入る場所を認識するとともに身体全体をつかってブレスが出来るようになる。「レッスンを受け始めた時より母音も明るく明確になったし、声量も出てくるようになったね」と言って頂いた。自分としても同じ実感を持っていたので、方向性が間違っていないことを確認できて良かった。
修了コンサート
修了コンサートに参加したのは6名。野外ステージで行われる予定だったが、夕立が降ってしまったのでコムーネと呼ばれるいわゆる街の集会場のホールで行われた。演奏会開始は20時で、会場入りしたのは19時20分頃。私からしたら考えられないくらいギリギリで、「もっと早く会場入りできないか」と友人にきいたところ、「ここはイタリアなのだから、まずコンサートは20時ちょうどには始まらないと思うよ」と言われた。実際、コンサートが始まったのは20時15分ころだった。私はV.Belliniのオペラ『夢遊病の女』から”Ah,non credea mirarti”と同じくV.Belliniのオペラ『カプレーティ家とモンテッキ家』から”Oh quante volte”を演奏した。リラックスしようとしたがやはり緊張してしまい、力んだ演奏になってしまった。母音は少し明るく明確になったが、息の流れももっとスムーズになるべきだな、と反省点も多々ある演奏だった。しかし、遅い時間にも関わらず、たくさんのお客様が足を運んでくださり、温かな空間で歌うことが出来た。演奏後に直接お客様からBrava!とお言葉を頂いたりすることが出来、とても幸せだった。
研修を終えて
この研修を経て、私が学んだことは書ききれないほどある。音楽の事にせよ、語学の事にせよ、自身の精神面の事にせよ、毎日が新鮮で全てが私の糧となった。
しかしやはり一番は音楽面の事である。全く声を作りこんでいないイタリア人の自然な発声がまず、大きな刺激になった。私は歌う時に力んでしまい、声を作ってしまう。結果的に自分から出ていく声は生まれ持った声よりも少し重く聞こえ、歌っているうちに喉も疲労してしまう。長く歌っていくためには自分が持って生まれた声を磨くことが全てなのだなと思った。それと同時にレパートリーのことも考えさせられた。少し重く歌ってきたせいもあるかもしれないが、日本では私の声はそんなに軽い方ではない。軽い声の役柄ではなく、少し重くてリリックなレパートリーを今まで勉強してきたが、イタリアに行ったら私の声は軽い(レッジェーロ)ジャンルに分けられる。先生も「君の声はリリコ・レッジェーロだ」とおっしゃっていた。年齢を重ねていけば自然と声に重みや深みは出てくる。それまでは、自分の声のためにも、無理なく、軽いレパートリーを勉強すべきなのだな、と思った。
そして語学面でも多くの学びが日々あった。英語には自信があったのでホテルでのやり取りや、英語が話せる友人とは英語でやり取りすることも多かったが、そもそも英語を話す人が少ない。イタリア語も、カーヴァ・デ・ティッレーニで最初にイタリア人と話したときはアクセントが聞きなれていないものだったのでとても戸惑ったが、2週間いる間に少しずつ慣れて行った。イタリア人同士の会話に耳を傾け、ずっと聞いているだけでもリスニングのトレーニングになったし、「この言葉はこういうニュアンスをもっているのか!」とか「こういう風な使い方もできるのか!」と毎日発見と学びがたくさんあった。 イタリア人と同じペースで話すことを試みてみたり、知らない言葉はメモしておいてホテルへ却ってすぐに調べたりして、自分のボキャブラリーも増えて行った。言葉が話せるようになると友人達もいろんな話をしてくれるようになったし、私も自分の伝えたいことを少しずつ伝えられるようになっているな、と感じることが出来た。
3週間半という短い期間ではあったが何もかも自分一人でやらなければならず、心細い時が一瞬もなかったと言えばそれは嘘になる。しかし、国を越え、歳を越え、たくさんの素晴らしい友人たちに出会えたこと、素晴らしい指導を仰いでくださり、そして娘のように親しんでくださるマエストロに出会えたことは一生忘れないであろう大切な時間であった。イタリアでもっと勉強したいと思い直すと共に、音楽、また語学への自分の情熱が前より一層強いものになったことは帰国して1か月が経とうとしている今も日々感じている。音楽も語学もまだまだ勉強することは山積みだが、情熱を絶やすことなく、イタリアでの経験を糧に精進していきたい。
最後に
今回、このように素晴らしい経験をさせて頂くことができて本当に光栄で、幸せでした。国内外研修奨学生としての機会を与えてくださった大学関係者の皆様、いつも優しく親身にサポートしてくださった学生支援課の皆様、毎日のように勉強を見て下さったイタリア語研究室の先生方、恩師の先生方、そしていつも支えてくれる友人や家族に、心から感謝いたします。
久保田真澄先生のコメント
ナポリの近郊の町カーヴァ・デ・ティッレーニという町で行われている夏期講習会に参加してきた。レッスンは朝9時30分~13時、午後16時~18時で、1人45分程度の時間をもらえていたようだ。レッスンの雰囲気はとても自由で、大学のレッスンとのギャップがあったようだがそれも新しい刺激になり楽しむことが出来た様子。自分が歌う日もあれば歌わない日もあるが、他の参加者のレッスンを見学できる形態をとっていて有意義な時間を過ごせていた。
レッスンは発声から始まり、曲を歌って行く中で響きの位置や空間を意識することを繰り返し指導を受け、自分でもうまくいくときとそうでない時の違いが分かるようになった事は大きな収穫だと思う。また、自分の声とレパートリーについて向き合うことが出来、自分がどのような作品を勉強していかなければならないのかを理解できたようで、これからの守山さんの変化が楽しみである。
彼女は語学をよく勉強していたが、その語学力をより磨こうと積極的に他の参加者とコミュニケーションを取り、友達もでき、声楽だけでなく「言葉」についても大きな収穫を得られたとのこと。
外国での生活は色々な意味でプレッシャーも大きかったと思うが、1人で乗り切れたこの経験は彼女を大きく成長させたことは間違いないだろう。