モーツァルテウム夏期国際音楽アカデミー
齋藤 亜都沙 4年 演奏学科 鍵盤楽器専修(ピアノ)
研修概要
- 研修機関 モーツァルテウム夏期国際音楽アカデミー
- 受講期間 2011年8月1日~2011年8月13日
- 担当教授 ユラ・マルグリス教授
モーツァルテウム夏期国際音楽アカデミーは、毎年夏にザルツブルクで開催される有名な「ザルツブルク音楽祭」の一環として世界の若い音楽家の育成を目的に開講している。
1916年に創設され、今年で95年目を迎える伝統ある講習会である。
研修の目的
私はこれまで国内に於いて何度か海外の教授によるレッスンを受ける機会に恵まれた。
それらのレッスンでの体験を通して、西洋音楽の根底にある精神性と音楽との結びつきや音楽的背景について考えさせられ、海外経験の少ない私にとって、ヨーロッパで本場の音楽環境に身を置き、実際に文化や宗教、歴史等を肌で感じる事は、自分の感性を磨き音楽をより深めるために特に必要である事と感じた。研修先のザルツブルクはウィーンと並んで音楽の都と呼ばれ、数多くの著名音楽家を輩出してきた街であり、研修期間中はザルツブルク音楽祭も開催され音楽を学ぶ身としてはとても恵まれた環境である。その様な環境で本場の音楽に触れること、世界の一流演奏家のレッスンを受ける事、又、世界中から集まる受講生達との交流によって視野を広げ自分自身を見直す機会とする事を目的とした。
研修内容
この講習会は前期・中期・後期と全3期に渡って開講され、私は中期に参加した。初日のオーディションによって実技受講生が決定される。レッスンは全てのクラスが公開で行われ8つのピアノのクラスはもちろん、ヴァイオリンや声楽等の専攻外のクラスも自由に聴講する事が出来た。約2週間で各クラス平均4回のレッスンが行われた。
レッスンについて
講習会開始の前日、大学で受講手続きを済ませた後、講習会初日のオーディションの時間と部屋番号が書かれた紙を確認すると、オーディションは朝10時からと記載されていた為、当日は朝の8時から練習室で指ならしをして予定の15分前には部屋の前へ移動し、緊張しながらその時を待った。同じクラスの受講希望生のほとんどが部屋の前に集まるが一向に私のクラスの先生だけが現れなかった。他のクラスでは続々とオーディションが開始され、終わって合格をもらった人が先着で期間中2週間分の練習室の予約が出来る為、他のクラスの方々は続々と練習室争いへと繰り出していった。そんな中、30~40分経っても先生が来ず、戸惑った。しかしその間に受講希望生たちと簡単な会話をし、少しずつ打ち解けてリラックスする事が出来た。アメリカ人、ドイツ人、ロシア人、スイス人、メキシコ人、イタリア人、スロベニア人、と多国籍でとても新鮮であった。しばらくすると、係の人が来て、このクラスのオーディションは16時半からに変更になったと言われ、一人ずつ臨時練習室が与えられ、そこでひたすら練習する事となった。時間になる頃には疲れ果てていたが気合を入れてオーディションへ向かった。レッスン室で緊張していると、先生は色々と説明をし、その後名前が呼ばれた。そしてなんとオーディションは行われず全員受講決定となった。今までの緊張はなんだったのだろうかと一瞬落胆したが、無事受講出来る事となり安心した。希望の時間を書いて、私は火曜日と木曜日にレッスンを受ける事となった。
第1回目レッスン(8月2日) Beethoven/ KlavierSonate Nr.31 Op.110
初回レッスンではベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番を持って行った。
曲目を伝えると大変奥が深く内容の難しい曲だからまずは1楽章をじっくりやって続きは次回にという事となった。1楽章を弾き終えると、全体に良く弾けているが私の演奏はまだノーマルな演奏で、ベートーヴェンが活力に満ちた初期の頃の作品と精神の差があまり感じられないと仰った。ベートーヴェンの後期、それも晩年の作品であるこの曲は、ベートーヴェン自身耳が聞こえず、それはある種の普通で無い世界が広がって、現実とは違うそれまでとは別の音色、響きを探し求めていた事を意識しなければならないとアドヴァイスを頂いた。先生が弾いて示してくださった冒頭部分は本当に遠く現実を超えた世界が広がり、和音の中に苦悩や痛みのつまった優しい響きがして私は思わず涙が出そうになるほど心に染みた。響きのバランスを作る為の腕の使い方や、表現に合った最善の運指、身体の使い方、アーティキュレーションの処理といったテクニック的なアドヴァイスも沢山頂き、有効的な練習方法も教えて頂いた。特に弦楽器における弓のボウイングをピアノのテクニックに置き換え説明して下さった個所はこれまでの不自然な表現の解消につながった。ボウイングのイメージとしてはアイロンやオレンジの皮を剥く様な動きと説明して下さった。また、先生は音楽が常に自然である事を1番に重視していて不自然なところは見逃さず全てご指摘して下さった。西洋音楽の基本は1に向かって進む事でありそれは西洋音楽に根付いていて当たり前の事であるという事であったが私はそれを意識的に実践する必要があると感じた。デュナーミク記号に関して私は書いてある通りの音量で処理しがちであったが、フォルテやメゾピアノ等の強弱記号もキャラクターとして捉えて大きなかたまりで見て表現する事の大切さを教えて下さった。また日頃クレッシェンドとあればすかさず大胆にかけたりしてしまいがちだがピアノの中のクレッシェンドやフォルテの中のディミヌエンド等いつも同じでなく曲想に合った表現の見極めをして、理性のある音楽を目指す必要性を痛感した。1楽章の最後の部分では天使が飛び交う中でベートーヴェンと天使が最後の会話をする場面で遠い憧れの世界に見える希望の明るい光を金色に輝く音で弾く様にと仰った。なかなか先生の様に非現実的な世界観の中で明るく輝く音を出すのは難しく研究の余地ありという感じで1回目のレッスンが終わった。アカデミーは平均40~50分のレッスンであるところ、じっくりと1時間以上熱心なレッスンをして下さり良い先生と巡り合えてこれからのレッスンがとても楽しみで仕方なくなった。
第2回目レッスン(8月4日) Beethoven/ KlavierSonate Nr.31 Op.110
前回に引き続きこの日はベートーヴェンピアノソナタの第2楽章、第3楽章を見て頂いた。前回のレッスンで培った事を自分なりに踏まえつつ2楽章から最後まで通して弾き終えると、Sehr gutと満面の笑みでお褒めの言葉を頂いた。そしてこれからの課題として、自分はオーケストラを操る指揮者である必要があると仰った。オーケストラでは表現できない様な唐突なritardando等不自然なテンポのゆらしのある部分もいくつかご指摘して下さった。2楽章は現実世界の汚さや死者の踊りが描かれていて、1楽章とは対照的に硬く鋭く綺麗でない音が求められると言って先生が弾いて下さると本当に死者のダンスする情景が目に浮かび、歪なリズムの意味するものについても考えさせられ自分の中でのイメージが明確となり今まで苦労していた個所が緩和された。和音のバランス、手の構え(上から下へ)などここの部分に合ったテクニックもアドヴァイスして下さった。
また、2楽章の初めの和音の指使いに関して、私は使用しているヘンレ版の楽譜に書いてある通りに弾きながら少し不自由な動きをしていると、先生はそれを見てヘンレは頭も良く音楽史もよく出来た人物だがピアノは弾けなかったため、楽譜に記された指使いは実は犯罪的に悪い指使いであると仰った。私は何事も信じ込みやすいが、疑いの目を持って最善の策を考える事も大切であるという事を学んだ。3楽章はRecitativoや嘆きの歌、フーガ等様々な要素があるが、先生が弾いて下さると心が締め付けられるほど痛々しく悲しい絶望感に満ちていて今も耳から離れないほどの名演奏を聴かせて下さった。特に印象に残ったのが、Recitativoの中に出てくるAの音の連打の部分で、ここは、ベートーヴェン自身がピアノの中に顔を近づけ歯で木の棒を加えてピアノの中の振動から一生懸命音を聴こうとしている姿を表しているという説明で、それはあまりに悲しく涙が出そうであった。今までこれは何なのか意味が解らずに弾いていたが、この様にイメージすると理解しやすいとの先生のアドヴァイス通り、納得して弾く事が出来る様になった。最後は光に向かって突き進むようにと言われフーガから先生が最後まで一緒に弾いて下さった。この作品の奥の深さを再認識したと共に、作品を多角的に見て理解していく事の重大性を痛感した。今回このレッスンを通じて、ベートーヴェンの心に少しでも寄り添える音楽を目指したいと感じた。
第3回目レッスン(8月9日) F.Liszt ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲
第3回目のレッスンではリストの『ダンテを読んで』を聴いて頂いた。レッスンの前日、Dozenten Konzertと呼ばれる講師のコンサートでユラ先生がオールリストのプログラムによるリサイタルを開き、レッスン中の先生の演奏ですっかり先生のファンとなっていた私はとても楽しみに聴きに行った。非の打ちどころの無いテクニックの完璧さ、音色、響きの多彩さ、繊細かつ大胆な表現、観客を弾きつける魔力の様な何かに私はこれまでにないほどの衝撃と感動を体感し、今回の研修で聴いて頂きたい曲数の関係上、リストを聴いて頂くかを悩んでいたが、これは是非ともアドヴァイスを頂きたいという気持ちが高まり聴いて頂く事にした。曲名を告げると、先生はとても驚き、とても大変な曲だと仰った。先生の前でリストを弾く事はとても緊張しましたが精いっぱいの演奏をした。技術的に苦労している個所は効果的な練習方法を伝授して下さった。また、リストの演奏におけるペダリングについては細かくアドヴァイスをしてくださり、繊細なペダリングの研究の必要性を痛感した。ベートーヴェンの時の哲学的なレッスンとは対照的にこの日のレッスンはとにかく激しく、隣で一緒に弾いて下さるテンポの凄まじい速さに圧倒されながら一生懸命について行った。激しい部分で耳触りにならない為の裏技も伝授して下さり、他の曲でも応用して使っていきたいと思った。
第4回レッスン(8月13日)Rachumaninov/ Piano Sonata No.2
今回、私がユラ・マルグリス先生を希望した理由の1つとして、ロシア音楽をロシアの先生から学び、ロシア音楽の幅広さ、力強さを直に感じてみたいという気持ちがあった。曲目を告げると先生はこれまでで1番嬉しそうにFantastisch!と連呼し喜んで下さり、やはりロシアの音楽を心から愛しているのだなと感じた。私はザルツブルクに着いた時点ではまだ暗譜どころか指がのったばかりで完成には程遠く見せるに至らないという状態であったが、どうしてもラフマニノフのレッスンを受けたく、約2週間必死に練習した。その甲斐あり、なんとか2楽章まで暗譜にこぎつけましたが、この日のレッスンは不安もあり緊張していると、先生は弾き真似をしたり歌ったりして和ませて下さった。全部見ていただきたい気持ちは山々でしたが、時間の関係上1楽章を重点的に余裕があれば2楽章もという事でレッスンは始まった。ひとまず通し終えると、緊張が良い集中力となり練習では上手くいかなかった部分も何故か順調に進み現時点での最大の力を出せたのではないかと感じ、まだまだ道のりは長いと思いつつ少しホッとした。すると先生は意外にもこれまでで1番褒めて下さりそれは自信につながった。しかし、いざレッスンが始まるや否や先生の大砲の様な強烈に分厚い音で自分とは比べ物にならない凄まじい迫力に圧倒され、唖然とし目が点になる程だった。ベートーヴェンやリストの時とは全く異なる、地の底を突き破る様なあの響きは今でも忘れられない。その音を目指し、冒頭部分から再び激しいレッスンが繰り広げられた。中間部分にある鐘の響きは先生が弾いて下さると、これは本当にピアノで出せる音なのかと耳を疑う様なグロッケンの音がして、そこの部分におけるこれまでのイメージが一新された。綺麗でなく汚くない音の絶妙な加減がまだまだ私には難しい課題となった。2楽章も先生がたくさん弾いて聴かせて下さり、郷愁に満ちた独特な響きで光と影を明確に表現している様に感じた。ラフマニノフのレッスンは全体を通して言葉でなく先生自身がたくさん弾いて音で示してくださりロシア人の奏でるロシアの音を肌で感じる事ができ、とても収穫の多いレッスンとなった。
レッスンが終わると、楽譜にひっそりと修了証が挟まっていて、先生のクラスのディプロマを頂くことが出来てとても嬉しいと同時に、レッスンが終わってしまった事への寂しさも感じた。
コンサート
モーツァルテウム国際夏期音楽アカデミーでは期間中クラスコンサートや優秀生徒によるアカデミーコンサートが開催される。アカデミーコンサートは、私のクラスからはスロベニア人とアメリカ人の友人2人が出演する事となり私は出演する事が出来なかった。最終日にクラスコンサートがあると思っていたが、私のクラスではクラスコンサートも行われなかった。他のクラスでクラスコンサートや修了証の授与をしている中、私の先生は、最終日の夜遅くまでレッスンをしていた。今回の研修でレッスン以外に人前で演奏する機会は得られなかった。しかし、アカデミーコンサートやクラスコンサートで様々な国の人たちの多種多様な音楽をたくさん聴く事が出来た事は大変刺激になり、とても勉強になった。
現地での生活について
ザルツブルクの街は、とても小さくすぐに馴染む事が出来た。観光名所や有名な場所はほとんど旧市街に集中していて徒歩でほとんど見て周る事が出来た。私は学校から徒歩10分くらいのホテルに滞在し、朝、学校までの道を歩いているととても清々しい気分にさせられた。ヨーロッパの空の美しさは特に印象に残っていて絵画の中に自分が居るかの様に感じられた。また街中に響く教会の鐘の音がとても美しく心地よかった。様々な曲の中に鐘の音は頻繁に出てくるが、本場の音を聴いてより身近に感じられる様になった。
また、ザルツブルクの気温は基本的にとても涼しくて過ごしやすく、良い避暑となったが、気温の変化が激しく服装には苦労した。
レッスンが無い日には学校裏のミラベル庭園を抜けて旧市街の教会や歴史的建造物の観光名所を見て周り、日曜日にはモーツァルトが洗礼を受けた大聖堂にて行われたミサにも参加した。教会に響くオルガンの響きや神聖な雰囲気を味わえて鳥肌が立った。ミサの中で、日本の津波被害や福島に対しての労りの言葉をかけて下さった事にはとても驚いた。こんなにも遠い地で日本の事をとても心配して下さっている事にとても感激した。
そしてなんといってもモーツァルテウムアカデミーの練習環境の充実さは素晴らしく、私は2週間を通して朝9時から昼、14時から16時、18時から21時という時間帯で部屋を借りる事が出来、毎日集中した練習に励む事が出来た。部屋もピアノも大きくてとても恵まれた環境であると実感した。聴講にもたくさん足を運び様々な先生から自分の演奏にも生かせる多くのヒントを得られた。
研修を終えて
私はこれまで海外での講習会はもちろん、国内でもこの様な講習会に参加した事が無く、不安な事ばかりで最初はこの先どうなるのかと思ったが、この研修は本当に貴重な体験であり充実した時を過ごすことが出来た。毎日がとても新鮮で、2週間はあっという間に過ぎ去りもう少しヨーロッパの地に居たいと思う様になった。西洋音楽を学ぶ上で、ヨーロッパでの生活体験はそれ自体に学びがあり大切な事であると感じ、またその街に居るだけで感動や発見も多くあった。レベルの高いレッスンや様々な国の同世代の演奏家達との交流からもたくさん刺激を受けた。意思がハッキリしている外国の方々を見て、いつも受け身がちな私はもっと自立して自分の力で行動出来る人間に成長したいという意識も芽生えた。この様な環境に身を置いてみて、改めて私にとって音楽はとても大切な存在であると身にしみて感じ、自分自身を見つめなおすきっかけにもなった。漠然としていた留学への願望も、留学の意義を再確認した今、視野に入れて考えたいと思う。今回学び得た事を、これからさらに発展させていきたいと思う。
最後に、国内外研修奨学生として貴重な機会を与えて下さいました大学、学生生活委員会の皆様、たくさんのサポートをして下さった学生支援課の皆様、熱心にご指導下さった先生方、励ましてくれる友人、そして家族に心より御礼申し上げます。これからも感謝の気持ちを忘れずに日々精進していきたいと思います。ありがとうございました。