クールシュベール夏期国際音楽アカデミー
河野 俊也 4年 演奏学科 鍵盤楽器専修(ピアノ)
研修概要
- 研修機関 クールシュベール夏期国際音楽アカデミー
- 受講期間 2010年7月31日~8月22日
- 担当教授 ロマーノ・パロッティーニ教授、ジョルジュ・プリュデルマシェール教授
クールシュベール夏期国際音楽アカデミーはパスカル・ドゥヴァイヨンとドン=スー・カンを芸術監督とし1999年に誕生した。クールシュベールはフランスの高級リゾート地であり見渡す限り山の大自然に囲まれた場所である。パリのリヨン駅からTGVにおよそ4時間半乗りムティエという駅で降り、そこからアカデミーの用意したバスで30~40分かけて講習会場へ向かう。講習にはパリ国立高等音楽院やリヨン国立高等音楽院などのフランスにある音楽院を中心に、ジュリアード音楽院やブリュッセル王立音楽院、ベルリン芸術大学、東京藝術大学、ソウル国立大学など全世界の音楽大学・音楽院の講師陣が参加している。
講習会場は標高1850メートルの所にあり、地上よりも酸素が薄く少し歩くだけでも疲労感があった。また泊まるホテル、食事をするホテル・練習室のあるホテル、レッスンがあるホテルが違い(人によっては同じ場合もあったようだが、大抵の人は別だったと思われる。)1日の間に山道を往復していた。しかし大自然に囲まれた会場を歩くのは気持ちの良いものでとても健康的に過ごす事ができ、また音楽に集中出来る環境であった。天気の良かった日の夜には星がたくさん見え、流れ星も度々見る事が出来た。
研修目的
昔からフランス音楽にとても興味を持っていて、その作曲家が生まれた国でフランス人の先生と勉強をしたいという考えがあった。なので解釈を深めるべくフランス音楽を中心に見て頂こうと思った。将来海外で勉強したいという気持ちも強くあり、海外の先生方が集まるこの講習会で師事したい先生を探すという事もあった。
また様々な国の学生と交流をする事はとても大きな刺激になると考えており、その経験は演奏面だけでなく自分自身の成長につながると思っている。
研修内容
レッスン
この講習は全部で3期あり、それぞれ12日間開催される。私は第2期と第3期を受講した。レッスン回数は大抵の先生は1日おきで計5回。先生によっては(特に弦・管楽器)毎日あるクラスもあった。
第2期では、Romano Pallottini(ロマーノ・パロッティーニ)先生のクラスを受講した。パロッティーニ先生はイタリア出身のピアニスト・ピアノ講師で、いつも陽気でレッスン室に入ると笑顔で「Bonjour! shunya~!」と言ってくださった。レッスンの最中も大きなジェスチャーや分かりやすい説明をして下さったり、レッスン中も冗談を仰るとても親切なユーモア溢れる先生という印象を受けた。現在、先生はフランスのパリ国立高等音楽院のアシスタントとサン・モール音楽院の講師を勤めている。
レッスンは1回1時間で1日おきにあり合計5回あった。門下は確か18人いて1番人数の多いクラスであったと思われる。現在パリやサン・モールの音楽院で先生に習っていてこのクラスにいる学生も数人いた。
第1回:W.A.Mozart 「Piano Sonata k.333」 1st mov
最初に曲を通した後「この曲は小さなオペラのように様々なキャラクターがあり、それが出ていた。」と感想をいただきレッスンが始まった。「細かい16分音符は真珠が転がるように一つ一つの音が明確に聴こえるように指を平らにして弾くように」と仰った。またスラーのかかった16分音符とかかっていない16分音符の差をつけるように、スラーのかかっていない16分音符は全てを明確に。先生が鍵盤の蓋を閉め両手で16分音符のリズムを均等に叩き「このように均等に!」と説明してくださり、とても分かりやすかった。そしてペダルに関しては踏んでいると分かられないよう踏むように、展開部のアルベルティバスの音型はハッキリ弾かずペダルは踏まないが踏んでいるように弾くように、と仰った。
第2回:W.A.Mozart 「Piano Sonata k.333」 2nd, 3rd mov
先生の仰る独特なディナーミクが最初は慣れなかったが、何回も弾いているうちにその発想は音楽の方向性を良く考えられたものだなと感じ、曲を解釈する上で音の方向性を常に考えていかなければならないという事を実感した。また「そこに頂点を持っていくとベートーヴェンみたい。モーツァルトはこう。」と解釈の違いも教えてくださった。
このレッスンで1番考えさせられた事は指使いである。3楽章では右手に同じBの音を4回弾く箇所があり、そこを「全部親指で。」と仰った。最初は戸惑っていたが「それ(2・1・2・1と変える指使い)は楽だけど綺麗じゃない、この指使いは難しいけど綺麗!君ならできると思うよ。」と仰ってくださり、何回もやっているうちに指を変えて弾くよりも全て親指で弾く方が音楽的なのかもしれないと感じるようになった。
レッスン終了後に、聴講に来ていた日本人の友人がパロッティーニ先生に「日本では同じ音は変えるべきだと言われます。」と尋ね、それに対し先生は「その意見も分かります、あなたの先生の言ってる事は素晴らしいと思います。でも親指を連続して使う事でとても素敵な効果が得られる事もあるんだよ、例えば…」と仰りながらシューマンのピアノソナタ第1番の1楽章冒頭の右手のメロディを全て親指だけで演奏し始めた。それはとても重厚な深みのある音がしていた。
人それぞれ手の作りも違うのでこの指使いが正解という事はないと思うが、「弾きやすさ」ではなく「表現のため」に指使いは選ばないといけない事を実感した。
第3回:F.Chopin 「Ballade No.4 op.52」
まず初めに「最初の部分が1番難しいよね。レガートで歌っているように聴こえるにはある程度のテンポが必要だよ。」と仰った。また「最初の mezza voce、君のは sotto voce だよ!」と仰った後、「shunya-!」と内緒話をするような声で呼ばれ「これじゃ聞こえないでしょ?mezza voce だから声はちゃんと聞こえないとだめだよ。」とアドヴァイスを頂いた。
特に印象に残っているのは「フレーズの頂点で大きくするのではなく逆に小さくする事で際立たせる事も出来る。」と仰った事。コーダの前の部分では先生の仰る独特のルバートや強弱にすぐに慣れる事が出来なかったが、うまくいった時には「素晴らしい!ホロヴィッツみたい!」と笑顔で仰り、とても喜んでいらっしゃる顔が印象的であった。レッスン終了後に冷静に楽譜を読んでいると、それもまた音楽の流れをよく考えられておりフレーズを大きく捉えている解釈であるfと感じた。
このレッスンがあった翌々日、先生方が出るコンサートでパロッティーニ先生はショパンの「ピアノ三重奏 作品8」を演奏していらっしゃったが、それはまさにホロヴィッツを彷彿とさせるものであった。指を真っ平らにして弾く独特のスタイルでそこから出される音は透明感溢れる輝きに満ちた音で、強い音から弱い音までホールの隅々まで広がるような深い響きがしていた。また強弱の幅がとても広く音色の種類も多く、とても素敵な演奏であった。
第4回:F.Chopin 「Ballade No.4 op.52」(コーダから)、C.Debussy 「Etude Pour Cinq Doigts “d'apres czerny”」
前回は時間がなくなりこの日はバラードのコーダからレッスンが始まった。音が多く熱情的な性格の部分だが特定の音にアクセントがついたりしないように全てがレガートに聴こえなければならない事に注意を、というアドヴァイスを受け、冷静に音と音のつながりを聴く事の大切さを再認識した。
ドビュッシーでは題名に惑わされてドビュッシーらしさを忘れないように常に立体的に、と仰っていた。また「クレッシェンド書かれている部分は大抵弱めから始まるんだよ。」とアドヴァイスを頂いた。
第5回:W.A.Mozart 「Piano Sonata kv.333」 1st mov, F.Chopin 「Ballade op.52」
レッスンの前日に山道を歩いていたら先生に偶然お会いして「明日の学生コンサートでモーツァルトの1楽章か2,3楽章のどっちが弾きたい?」と急に尋ねられた。コンサートへ出させて機会を頂けてとても嬉しかったのだがモーツァルトはまだ弾き込みが浅くとても怖かったのだが、1楽章をコンサートで弾く事になった。また「明後日のクラスコンサートでは何を弾く?」と聞かれ、ショパンのバラードを弾く事にした。
この日のレッスンは2つのコンサートで弾く曲の仕上げ、という感じであった。
学生コンサートは先生が生徒を数人選抜し演奏するコンサートで、全ての楽器の学生が出演する。各門下から5人前後出ていたと思われる。パロッティーニ先生の門下からは確か4人であった。このコンサートは2日間に亘って約100人の生徒が出演していた。
クラスコンサートは門下の発表会のようなもので先生によってあるクラス、ないクラスがあった。コンサートは講習会場の中で1番大きいホールで行われた、パロッティーニ先生は不在のまま…(この門下は特に人数が多く、先生は1日中レッスンが入っていたため。)
クラスコンサートが終わり、その日の夜9時からホテルにあるバーで Farewell Party(送別会)があった。最終日という事で学生と生徒が集まりお酒を飲みつつ談笑していた。そこでは様々な国の学生やお世話になった先生や講習のスタッフと会話をしたり一緒に写真を撮り、その後ホテルに戻り日本人の学生10人程度で集まり深夜まで講習の思い出話に華を咲かせていた。
第3期では、Georges Pludermacher(ジョルジュ・プリュデルマシェール)先生のクラスを受講した。先生はパロッティーニ先生と相反して落ち着いた空気感があり、学者のような博士のような印象を受けた。お話を聞いていると先生の音楽に関する知識・見識の深さに常に驚かされた。レッスン中も「この曲のこの部分はこれに似てるよね。」と仰る事が多く、それはどれも納得がいくものであった。どんな曲でも分析しつくされている…という印象を受けた。先生は現在、パリ国立高等音楽院のピアノ科教授を務めている。またピアニストとしても活動しており、ドビュッシー・ラヴェルのピアノ全作品、モーツァルト・ベートーヴェンのソナタ全集などの録音をしている。
レッスンは1回50分で合計5回あった。門下は12人で日本人、中国人などアジア圏の生徒が多かった。
第1回:C.Debussy 「L'isle joyeuse」
最初に通した後、笑顔で「ヨカッタネ~。」と片言の日本語で言ってくださりレッスンが始まった。最初の序奏を弾いていると「そこは両手でとる事も出来るよ。」と仰り右手と左手を交互に使い弾いてくださった。そして弾きながら「こうやってとった時の左手が『牧神の午後の前奏曲』の序奏みたいで興味深いよね。」と仰った。目から鱗が落ちた瞬間であった。そして「バスをよく響かせて。何の和音なのか、という事はバスで決まる。またバスが響いてると綺麗に立体的に聴こえる。」とよく注意をされた。バスの響きの重要性を実感した。
第2回:C.Debussy 「Etude Pour Les Quartes」
まず「ペダルは色を変えるために使い、レガートは指でやるように。」とアドヴァイスを頂いた。解釈の面では「ドビュッシーは強弱や休符など非常に細かい指定をしておりそれを明確に。しかし、8分の6拍子から4分の3拍子に移る所では♪=♪と書かれていないため、ドビュッシーがどれくらいのテンポで弾いて欲しいのかがわからない部分がある。これはドビュッシーのピアノ曲には結構ある事で、演奏者に委ねられている部分もある。」と丁寧に説明をしてくださった。また「この曲はおそらくストラヴィンスキーの『春の祭典』のオマージュだと思う!」と仰っていた。日本に帰ってから『春の祭典』を聴いていたのだが、第1部の「大地への賛歌」の序奏には4度が連続する音型が見られ、曲の雰囲気や音の使い方がこのエチュードと共通する部分がありとても興味深かった。またイマジネーションがとても膨らんだ。
第3回:C.Debussy 「Etude Pour Les Quartes」,「Etude Pour Cinq Doights」、W.A.Mozart 「Piano Sonata kv.333」 1st mov
「4度のために」の最後のテンポプリモからレッスンは始まった。弾いた音を再度鳴らさないように弾いてペダルを変えたり、ソステヌートペダルを踏みつつくダンパーペダルを変えたりなど様々なやり方がある事を学び、またそれも演奏者の解釈に委ねられている部分だと感じた。
「5本の指のために」では、スラーが細かく分かれている部分の弾き分けをしっかりする事、そして指だけで弾くのではなく手首を回して弾く奏法を学んだ。この奏法はドビュッシーやショパンなどにも用いる事が出来ると感じ、とても勉強になった。
モーツァルトは最初から最後まで通した所で丁度レッスンが終わる時間になってしまったが「16分音符は力を入れるのは2個に1つくらいで大丈夫。」「スラーが分かれている部分はちゃんと繋がってないように聴こえないといけない。」という感想を頂いた。
第4回:W.A.Mozart 「Piano Sonata kv.333」 1st mov, 2nd mov
昨日の先生の仰った事を踏まえもう1度1楽章を通した所「あれだけしか言ってないのに私の言っている意図を汲み取っていて素晴らしい。ただテンポをもうちょっと早くしてもよいかも、躍動感が欲しい。」と感想を頂いた。その後「もう1回弾いて。」と仰り、先生が横で指揮をするような身振りでそれに乗せられながら弾いたのだが、とても躍動的に弾く事が出来た。先生も「この感じを忘れないでね。」と仰っていた。
第2楽章では、16分音符の弾き方について主に教えてくださった。「1楽章の16分音符は装飾的なのに対し、2楽章は人間が歌っているように。」と仰った。また左手の伴奏は腕を柔軟にというアドヴァイスも頂いた。
また最後に「スラーのある16分音符とない16分音符はどう違って、どう解釈すればいいのでしょうか?」と尋ねた所、「スラーのある方はどちらかというとメロディックで、ない方は装飾的という解釈も出来るかもしれない。」と先生は仰っていた。
このレッスンが始まる前に先生が「明後日の学生コンサートでドビュッシーのエチュード2曲弾いてみない?」と仰ってくださった。エチュードはまだ磨き不足だったため、喜びの島でもよろしいでしょうか?と尋ねた所「もちろん!」と快諾してくださった。
第5回:W.A.Mozart「Piano Sonata kv.333」 3rd mov、C.Debussy「L'isle joyeuse」
3楽章でもスラーのある所とない所をどう解釈して弾くのか という事がテーマであった。「最終的には演奏者のセンスだよ。」と仰り、様々な種類の演奏例を弾いてくださった。
また余った時間で喜びの島を見て頂き、細かい部分を注意して頂き「もう大丈夫!」と言ってくださりレッスンは終わった。
そのレッスンの数時間後に学生コンサートがあり、喜びの島を演奏した。先生も聴きに来て下さり終わった後に「とても良かったよ!」と仰ってくださった。
コンサートも無事に終わり、その日の夜にも送別会があり講習会を終えた。
研修を終えて

2人の違うタイプの先生のレッスンを受講し他の先生のレッスンも数多く聴講をしたが、仰る事は人それぞれであった。自分の中にブレない芯を持ち様々な意見や方法を自分の中に取り入れていく、というスタンスが必要だと再認識した。そして音楽を表現する上で何が正しい、という事はなく、知識・見識を深めていき客観性を常に持つ事が大切なのだと改めて感じた。
日本以外の国の人々と交流をしたり演奏を聴く事もとても刺激的であった。海外の学生の演奏は、こうしたい!こういうメッセージを伝えたい!という主張が感じられ、またとても毅然としている印象を受けた。それは国民性によるものだと感じたが、あのように堂々として演奏出来るのはとても羨ましいと思った。しかし、海外で生活する事で日本の国民性・日本人らしさなども見えてきて、外国の人々を見習う部分もあると感じたのと同時に、日本人として誇りを持つべき部分もあると感じた。
1ヶ月近い研修を終え、日本へ帰ってきた日に自宅のピアノでモーツァルトを弾いてみたのだが、弾き始めた直後に驚いて演奏を自然とやめていた。音が響かないのである。フランスは日本と違い乾燥しており、また建物の造りが違い、音がとても良く響いていた。これは現地でピアノを弾いてみないと経験出来ない事で、とても貴重な経験であった。
またレッスンはフランス語で行われた。ドビュッシーを見て頂いている時に「C'est loin.」(遠くで。)と先生が仰っていたのだが、その言葉の響きとニュアンスがドビュッシーの世界観にとても合っていたのが印象的であった。作曲家が使っていた外国語を学ぶ事は大切で、これからも語学の勉強をしていきたいと感じた。
講習に参加していた先生方、スタッフの方は勿論のこと、様々な受講生がいたことによって充実した日々を過ごす事が出来たと思っており、皆さんにとても感謝をしている。特に日本人の学生は多く、留学を目標に来ている人や、現在パリやベルリンに留学している人もいた。海外の音楽院・音大事情や、留学に纏わる話も詳しく聞く事ができ将来のビジョンも大分明確になってきた。また音楽の話を熱く語りあったり音楽以外の話で盛り上がったりと、毎日刺激的であった。
最後に、このような貴重な機会を与えて下さった大学関係者の皆様、学生生活委員会の方々、学生支援課の皆様、いつも支えてくれる先生や友人、そして家族。皆様のおかげで充実した日々を過ごす事ができ、無事に研修を終える事ができました。心より感謝申し上げます。