国立音楽大学

オペラ・ピッコラ・イタリアーナ声楽講習会

藤原 唯  4年 演奏学科 声楽専修

研修概要

  1. 研修機関 オペラ・ピッコラ・イタリアーナ声楽講習会
  2. 受講期間 2010年8月15日~2010年8月21日
  3. 講師 アレッサンドロ・フェッラーリ(指揮)、鈴木 幸江(声楽)

この講習会は、本学出身でミラノ在住の鈴木幸江氏と、スカラ座室内オーケストラの指揮や、スカラ座付属研究所の教授であるアレッサンドロ・フェッラーリ氏の2人が毎年行っている日本人のための小規模な講習会である。フェッラーリ氏が音楽指導を、完全理解を図るために鈴木氏が通訳と、発声・ディクションの指導を行う。

研修目的

大学で3年間音楽と向き合って過ごしてきて、クラシック音楽の故郷であるヨーロッパで学ぶことで、日本との違いや自分の演奏の長所・短所を客観的かつ鮮明に把握すると共に、日本人である私がクラシック音楽に取り組む上で必要な要素を学びたいと思った。イタリアで活躍中のマエストロと触れ合い、西洋音楽を取り巻く様々な事柄及びヨーロッパの精神を知り、曲の捉え方、歌手に求められること、イタリア語を母国語として用いている方の詞の表現など、心身両方で吸収し、この経験を今後の演奏に生かしていく。

研修内容

レッスン

生徒は全員で5人だった為、一人一日2時間(マエストロ・フェッラーリのレッスンを1時間と、鈴木先生のレッスンを1時間)受けられることになった。マエストロのレッスンは午前9時から昼食をはさみ午後2時まで、その後夜8時まで鈴木先生のレッスン。一回のレッスンでだいだい2~3曲。レッスンの時間は順番に変えていき、連日6日間、合計で12時間のレッスンを受けた。

マエストロのレッスンでは譜面から音楽をどう読み取るかを重点的に教えて頂いた。リズムの感じ方、休符の捉え方、オーケストラ(伴奏)とどのように音楽を作っていくかなど、指揮の方ならではと思えるレッスンで、音楽全体を考えて歌うということを体感した。オーケストラのことを考えて歌い、一緒の所はテンポを維持し、ソロの所は自由に、オーケストラが入る前は歌い手がリズムをしっかりと刻まないと彼らは入ってこられないこと、音楽の中に山を感じ、その山の中に更にいくつかの小さな山があり、歌う時は出発地点と同じ場所に帰らず、音楽を発展させていかなければならないということ、楽譜上にないかぎり、言葉のニュアンスで少しlentoになるのはいいけれど、自分で遅くしようとしてかけるrit.は必要ない等。特に注意を受けたことは、イタリア語が持つ言葉の自然なリズムに逆らわないことと、音でリズムを取らない、言葉に音が付いているように歌う、ということだ。まず言葉が命で、その言葉に音とリズムを作曲家がつけたと考えるべきで、音とリズムがあっていても、言葉として聞こえてこないと、イタリア人には相当気持ち悪く…もしくは優等生的で無味の、つるっとした歌、外国人が歌っているイタリア語の歌に聞こえるらしい。同様に、「,」や「.」がある文は、あるのがわかるように歌わねばならない。そして音楽を自分で guida(操縦)すること。ゴムのように、伸びきっては駄目、引っ張ったり縮めたり、自分で自在にコントロールできるように、とアドバイスを頂いた。 マエストロの仰ることは、なるほど!と納得できることばかりだった。音楽のつくりなど、自分では発見できなかった、もしくは知らなかったことも多かったので、もっと譜面から音楽を読み取る力を養わなければと思った。そして、マエストロの求めている音楽を表現するにはテクニック不足な箇所も多々あり、その場その場で瞬時に適応できる、柔軟なテクニックを持つ必要性を感じた。

鈴木先生のレッスンでは、どうやったら外国人のイタリア語ではなく、イタリア人のイタリア語として聞こえるか、イタリア語を喋るように・読むように歌うとはどういうことか、またそれに結びついた発声・テクニックについて、バイリンガルからの視点で緻密かつ的確な指導を受けた。先生が繰り返し仰っていたのは、音楽は子音で表現し、母音ではできず、(もちろんつないでいくことは必要だが)母音で歌おうとすると綺麗なだけの薄っぺらな音楽に聴こえてしまうこと、「息」ではなく「息の力」が常に動く、その力で歌うこと、子音を発音する力を使って支え、後ろをあけていくこと、そうすることによって空間が生まれ、奥行きができる、ということだ。振り返って思うに、イタリア語を発音する時に使うべき力(子音の圧力とでも言えるだろうか。お腹の力が子音を発音する所に直結しているような感じ)を、普段日本人は使っておらず、歌う時にはそれを用いると、空間が広く、また声を開放することも可能になるとのことだと思う。非常にわかりやすかったのが、イタリア人の場合 mia→m+i+a、日本人の場合 mia→mi+a に聞こえがちだという話。日本語は、子音も母音も前で発音するのに対し、イタリア語は子音は前だが、母音は後ろで発音するという。この子音と母音の距離が奥行きと空間を作り出すようだ。また、声でドラマを作ろうとせず、言葉でドラマを作るよう指導を受けた。声を自ら鳴らそうとせずとも、子音と母音が離れており、息の力があれば声は響き、劇場の後ろの席で聞いたときにも綺麗に聴こえ、かつ言葉も伝わるらしい。この子音と母音の距離というのは今まで考えたこともなかったので衝撃的だった。子音そのものをはっきりさせようとしたことはあったが、母音を変えることによって子音を引き立てるとは考えたことがなかったからだ。先生が仰るには、足りない所を補うよう指導をしているから、今までの自分の歌に+αで意識するのくらいでいいとのことだった。常に大学の先生からも指導を受けているが、やはり歌うにはバランスが大切なのだろう。

また、イタリア語の読み方も間違っていたと気づいた。今までは不自然に抑揚がつき、それを表現していると思い込んでいた。撫でるような口先だけの言葉という感じだったが、実際はもっとお腹と結びついている言葉で、もっと鋭く深いものと知った。

次に具体的にレッスンで受けた指導で印象的だったこと、繰り返し注意を受けたことを並べる。今回はモーツァルト2曲、ドニゼッティ2曲、ベッリーニ1曲の、アリア計5曲を見て頂いた。

《Una donna a quindici anni》W.A.Mozart ~Cosi fan tutte~

serioとscherzoの二面性、変化をつける。また、前半はデスピーナが一人で考え、それが後半には確信へと変わる。3拍子、ダンスのリズムに乗る。Saper mentire の ti のフェルマータの後、re を歌う時には自分の中でインテンポで拍を刻む。最後の col posso e voglio~の前までは器楽的に、そこからはオケを弾くようにダイナミックに歌う。その後の par ch'abbian gusto~は、終わるはずだった音楽に付属している感じで、独り言を喋るように。

《Giunse alfin il momento》 W.A.Mozart ~Le nozze di Figaro~

この曲はaffanno, braccio, all'idol, petto など、二重子音が盛り沢山。かなりたっぷりめに意識しないと、詰まっているように聴こえる。レチタティーヴォでは、歌う時より更に母音を押さないように。U母音を深く、アリアの前のseconda!の部分は、自分だけで終わらず、そのあとのオーケストラまで、ひとフレーズと考えて受け渡すように歌う。同じリズムでも記譜の仕方が違うところの捉え方も学んだ。

《Prendi, per me sei libero》 G.Donizetti ~L'elisir d'amore~

最初のPrendi, はeで押さず、nd を発音する息の力で下降する。このように子音を発音する力で空間をあけ、進んでいく。No, non sarai, ah, non, cosiは marcato 気味に、音のつぶが見えるように。

《Quel guardo il cavaliere》 G.Donizetti ~Don Pasquale~

子音を先行させる。フレーズの山を感じて。トリルやカデンツは音が階段のようにはっきり聴こえるように、またその時や高音の時に母音を押さない。Ho testa bizzara~は喋るように。自分の中に正しい音とリズムが入っていれば、音に言葉をはめていくのではなく、言葉に音がついているという意識で歌って調度いいくらい。Ma core eccellenteはリズムを正確に、オーケストラに解るように。

《Ah! non credea mirarti》 V.Bellini ~La Sonnambula~

丁寧にしゃべる。子音を発音する力と、それによってあけた空間を維持して次の高音を歌う。音をpにしようと思っては駄目、pにしようとする気持ちで歌うことが大切。休符でなく切るところは、切った時に自然にフッと入ってくる息を使って次のフレーズを歌う。緊張感を持たせることで、お客さんを引き込む演奏が可能になる。Ah non giunge~の動きのある早い部分は、横に滑るようにならないよう、縦に歌うイメージ。

コンサート

コンサートは21日の夜21時からに決まった。その日の朝のラジオ放送と、前日の新聞に記事が載ったためか、大勢のお客さんがホールに来てくれた。イタリア人の気質なのか、21時を過ぎてから来る人が非常に多かったので、開始は10分ほど押した。コンサートは、マエストロがまずこの講習会について説明した後、曲についてお話され、歌う生徒をその都度舞台上へ呼ぶ形で進められた。私は《Quel gurardo il cavariele》を5番目に、《Ah!non credea mirarti》を、曲の華やかさから最後の12番目に歌うことになった。舞台に上がると、マエストロがいつもの微笑みで優しく迎え入れてくれ、お客さんが演奏を楽しみにしてくれているのが空気や表情から伝わってきて、イタリア人ばかりといういつもと違う雰囲気・緊張感はあったものの、気持ちが高揚し、ワクワクした。レッスンで学んだように、とにかく言葉を伝えようと努めた。満足できる演奏とはいえないが、できなかったところを自覚できたので、その点は良かったと思う。沢山の拍手を頂き、また終演後はお客さんが暖かい言葉をかけてくださって、嬉しいのと同時に、もっと良い演奏ができたらよかったのに、という悔しさが残った。

研修中の生活について

サウリスはベネツィアから更に北、しかも山奥なので、8月でも気温は20度ない日が多く、寒く感じる日が多かった。観光地化していないのでとても長閑で、標高が高い為、近くの山に雲が乗っているように見え絶景だった。建物は木造でベランダや庭を赤やピンクの花で飾っている家が多く、綺麗だった。空気も美味しく、心も身体も開放的になれたと思う。壁面が石のホールはとても響きがよく、気持ちよくレッスンを受けることができた。

食事は毎食、皆一緒にホテルで食べた。ひとつのテーブルをマエストロと彼のお母さん、鈴木先生とご家族、そして生徒5人の11人で囲み、ワインで乾杯! ご飯も美味しく、賑やかで楽しい時間だった。私はちょうどマエストロの前の席だったのだが、いつも気にかけて優しく話しかけてくださり、スカラ座の話や、彼の師である巨匠ムーティの話など、興味深いエピソードも沢山聞かせてくれた。

研修生は5人と少なかったこともあり、皆すぐに打ち解けた。他の受講者のレッスンを見学することは勉強になったし、刺激しあってお互いに向上することができたと思う。

研修を終えて

今回この講習会に参加して一番良かったと思えたことは、これから勉強していく道筋をはっきり捉えることができるようになったことだ。今まで気づかなかった自分の弱点や足りないところを明確に知ることができ、そしてそれをどう変えていけば世界で通用する歌い手になれるかということを意識できる機会を得たことは、今後勉強を続けていく上で大きな糧になると思う。また、スカラ座と深いつながりのあるマエストロの下で学んだことは、自信にもつながるだろう。彼の人柄と同じように、彼の音楽もおおらかで美しかった。音楽を志す上で、技術を磨くだけでなく、心も同じように磨いていくことが、良い演奏者への一歩だと思った。そして、歌は言葉が大事なのはもちろんだが、それを身をもって体験し、歌う言語を自分の言葉として喋ることができるくらいに極める必要があると感じたし、日本で勉強すべきことが山ほどあることも改めて自覚した。留学も視野に入れ、明確な目標を持ち日々精進していきたいと思う。

最後に

今までの短い人生の中でも、音楽と向き合うとき、喜びはもちろんのこと、様々な葛藤や苦難もありました。努力を続ける中、このような機会を与えて頂けたこと、またここまで導いてくださった先生方に、心より感謝申し上げます。

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