国立音楽大学

遊佐未森(シンガーソングライター)

聴いて幸せになれる音楽をテーマに幅広いジャンルの歌を作り続けていきたい。/2004年4月

プロフィール

遊佐未森(シンガーソングライター)

遊佐未森さん(ゆさ みもり)
YUSA Mimori
シンガーソングライター

http://www.virgomusic.com/harmonicapark/

宮城県仙台市出身。国立音楽大学在学中に音楽活動をはじめ、1988年4月『瞳水晶』(シングル・アルバムとも同タイトル)でデビュー。透明感あふれるヴォーカルと彼女の創る独自の音世界で注目を集め、“聴いて幸せになれる音楽”をテーマに優れた楽曲を発表し続ける。1989年発表の3rdシングル『地図をください』は、日清カップヌードルのイメージソングに起用され幅広い人気を博す。その後も、多くの国内・海外のアーティストたちとコラボレートし、ロンドンをはじめカナダ、オーストラリア、イタリア、オレゴン、アイルランドそしてスコットランドなど多様なフィールドでアルバムを制作。一方、コンサートなどのライブでの優れた表現力にも定評がある。2001年から毎年開催している女性限定の企画ライブ「cafe mimo 桃節句茶会」も好評。また、2002年初夏には初のカヴァー・アルバム『檸檬』を発表、大正~昭和初期の名曲を歌い上げ、新しい世界をみせている。2003年は東京都国立市の依頼により「国立市立国立第八小学校」校歌を制作。そして8月、ニューアルバム『ブーゲンビリア』を発表し、エレクトロニカと生楽器の、音の波にのる歌声で、新境地を切り開く。今年6月には初のライブアルバムをリリース予定。

《レギュラー番組》(2004年3月現在)
「レモンのはなし」(エフエム石川)、「ハーブガーデン」(JFN系8局ネット)など。フジテレビ「ストレイシープ」(メリー役として出演中、主題歌「たしかな偶然」も担当)。BS日テレ「幻想美術館」(主題歌「ネクター」担当)。NHK「天才てれびくん」「いない いない ばぁ」ほか楽曲提供多数。

インタビュー

1988年のデビュー以来、コンサートやアルバム制作、テレビ・ラジオ番組への出演、楽曲の提供など、シンガーソングライターとしてポップミュージックの世界で幅広く活躍中の遊佐未森さん。透き通ったピュアな歌声と、やさしく包み込むような深みのあるサウンド作りは、世代を超えて多くの人々から高い支持を得ている。『未森ワールド』ともいうべき独自の音楽スタイルを持ちながらも、それに安住することなく、日本歌曲やロック、世界の民族音楽などの音楽ジャンルを積極的に取り入れ、常に新しい世界に挑戦し続けているのも彼女の大きな魅力の一つである。そんな遊佐未森さんに、音楽との出会いや大学時代の思い出、デビューのいきさつや曲作りなど、さまざまなお話をお伺いした。

幅広いジャンルの声楽を学び大学ではリトミックを専攻

6歳の時にNHK『ちびっこのど自慢』に出場し『たき火』を熱唱するなど、幼少の頃から童謡や日本歌曲などの音楽に深く親しんできた遊佐未森さん。

「とにかく歌うことが大好きな子どもでしたね。学校帰りにはたいてい近所の空き地に寄り道し、空を見上げながらよく歌を口ずさんでいた記憶があります。」

小学校の低学年時になると少年少女合唱団に入り、日本歌曲はもちろん、チャイコフスキー『くるみ割り人形』などのオペレッタやミサ曲など、さまざまなジャンルの曲を体験。中学に上がると声楽の先生についてレッスンを受け、イタリア歌曲やドイツのリートなどを学んだ。そして高校の音楽科を経て、国立音楽大学でリトミックを学ぶ。

「それまで声楽を中心に勉強してきた私にとって、リズム運動などの実技授業はとても新鮮でした。身体を使って音楽を表現することによって、自分の内側からエネルギーがどんどん湧き上がってくる感じがして、すごく面白かったですね。」

音楽に合わせて身体を動かすリトミックを学んだ経験は、現在の音楽活動にも大いに役立っているという。
「たとえば、ステージで音が流れると、意識しなくても自然に身体がリズムをとって、すんなりと曲の中に入っていくことができるんです。また、ステージに登場するタイミングとか、バンドのメンバーにサインを送る呼吸といった、コンサートを構成していくうえで不可欠なある種のバランス感覚もリトミックを通して身につけることができたと思っています。」

クラシックの発声法を基礎に自分ならではの歌唱スタイルを確立

もちろん、大学ではリトミックだけでなく、声楽の勉強にも力を注いだ。声楽の担当教授はソプラノの第一人者として知られる曽我榮子先生。明るくパワフルなキャラクターの先生で、とても楽しくレッスンを受けることができたという。
「曽我先生はワグナーで有名な方ですが、私は声質が細いので、ドラマチックな大曲はけっして得意なほうではありませんでした。むしろ日本歌曲などの小品のほうが好きで、自分でも向いていると思っていました。先生はレッスンを続ける中で、私のために日本の歌なども課題曲に取り入れてくださり、私の声が生きるような方向へうまく導いてくださいました。素晴らしい先生に教えていただいて今でも感謝しています。」

ところで、クラシックの発声法はポップスのそれと大きく異なる。が、遊佐さんの今の歌い方はクラシックの発声法をベースに、大学時代に試行錯誤を繰り返しながら作り上げていったもの。裏声と地声、そしてその両者をミックスした中間の声を使い分けて歌っていて、それら3種類の声の混ざり具合が彼女の個性にもなっている。
「自分の歌い方を見つけることができただけでなく、クラシックの発声法を学んだおかげで、たとえ連日コンサートツアーで長時間歌い続けても、声が涸れるということはほとんどありません。こうした歌い手としての個性や基礎を培えたことも音大時代の大きな収穫でした。」

学内外での積極的な音楽活動が歌手デビューへの扉を開く

遊佐さんが在籍していたリトミックのクラスは国立音大でもひときわ自由度が高く、オープンな雰囲気をもっていた。歌ったり、ピアノを弾いたり、身体を動かしたり……自分の好きなことに思いっきり打ち込める環境の中で、好奇心と行動力あふれる学生だった遊佐さんは、水を得た魚のようにいきいきと飛び回った。

「ミュージカルに取り組んだり、仲間4人でコーラスグループを作って学園祭の野外ステージで歌ったり、毎日の大学生活がとても楽しく充実していましたね。自分たちのテーマソングとかも作って盛り上がったりもしていました(笑)。」

また、学内だけでなく、キャンパスの明るく楽しい空気を身にまとったまま学校の外にも飛び出し、クラシックバレエやジャズダンス、パントマイム、さらには太極拳など、興味あることに手当たりしだいチャレンジした。

こうした多彩な学外活動を通して、遊佐さんは多くの音楽仲間と出会い、交流を深めていく。そして、この交流の輪がきっかけとなって、やがて彼女に歌手デビューのチャンスが巡ってくる。

「大学4年生の時に、音楽仲間を介して知り合った外間隆史さん(後に遊佐さんのアルバムの大半を手がけることになる音楽プロデューサー)らとデモテープを制作し、今の所属事務所の社長さんに聴いてもらったところ、すぐに事務所が決まり、約2年後にレコードデビューを果たすことができました。こうした一人ひとりの方との出会いがなければ今の私もなかったと思います。人とのつながりの大切さをものすごく感じますね。」

クリエイティブな音のやりとりは音楽作りの大きな醍醐味

デビューしたばかりの頃は、人から提供してもらった曲を歌うことが多かった遊佐さんだが、じょじょに自分の作った曲を歌う機会も増え、現在ではほとんどの作詞・作曲を自分自身で手がけている。

「最初に曲を作って、後から詞をつけるというのが私の一番オーソドックスなパターンです。作曲の場合は、散歩やドライブ中など、ちょっと肩の力を抜いているときにフッと浮かんでくるメロディを膨らませていくやり方が好きですね。あと、無意識に歌っていた鼻歌が、その時作っている新曲のフレーズになったこともあります。で、気がついて急いでノートに書きとめ、家に戻ってまとめたり……。3年前に出した『I'll remember』は、最初に鼻歌で出てきた曲です。」

もっとも、自然に浮かんでくるメロディを書きとめていくのは、時間的に余裕がある時期の作曲の仕方。締め切りが目前に迫っている時は、部屋にこもって必死で考えながら作ることもあるという。

こうして完成した曲はアレンジャーの手に渡り、レコーディング用に編曲される。
「音のイメージがある程度固まっている場合には、前もってそれをアレンジャーに説明するわけですが、言葉で的確に伝えるのは意外に難しいものです。具体的に説明しすぎても遊びがなくてつまらない仕上がりになってしまいますし……どこかに隙間を残しておくのが好きです。」相手が投げてきた面白いアイデアに触発されて、さらに新しいひらめきが生まれることもある。そしてそれをまた相手に投げ返す。そんな化学変化のようなやりとりを重ねて完成度の高い曲が出来上がる。それこそが音楽づくりの醍醐味の一つだと遊佐さんは語る。

アレンジャーだけではない。プロデューサーやバックミュージシャン、そしてさまざまな音楽ジャンルの共演者……多くの人たちとの音のキャッチボールを通して、常に新しい音楽世界を模索する遊佐未森さん。これからも多くの音楽ファンに感動を与え続けてくれるに違いない。

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