八重田美衣(音楽療法士)
プロフィール
八重田美衣さん(やえだ みえ)
YAEDA Mie
音楽療法士
静岡県清水市出身
1987年 国立音楽大学音楽学部教育音楽学科第II類(現:音楽教育学科リトミック専修)
1990年 渡米
1991年 ニューヨーク大学大学院音楽療法学科入学
1994年 ニューヨーク大学大学院音楽療法学科修士課程修了
1994年 ニューヨーク大学ノードフ・ロビンス音楽療法センター認定コース修了
1995年~帰国 後、緑成会病院整育園(東京都小平市)音楽療法士を経て、現在、国立音楽大学、日本大学芸術学部の各非常勤講師。主に重症心身障害児の音楽療法実践に携わる。
全日本音楽療法学会認定音楽療法士
主な論文・学会発表
『自己実現をめざす音楽療法』音楽療法・年報23巻P.38~P.73 1994年
『個別音楽療法における即興演奏の役割』音楽療法Vol.7P.27~P.30 1997年
『レット症候群児における音楽療法の効果に関する検討』第39回日本小児神経学会 1997年
『重症心身障害者に対する音楽療法士と作業療法士による合同個別療法の試み』第8回重症児施設療育研究大会 1997年
『自閉症幼児に対する“心の理解”を育てる発達指導プログラム作成の試み(3)』-太鼓即興による音楽を媒介とした“やりとり行動”の指導-第36回日本特種教育学会 1998年
インタビュー
最近、音楽療法という言葉をよく見聞するようになってきました。本学学生のみならず受験生からも「音楽療法の勉強をしたいがどうすればよいか?」との問い合わせが多く寄せられています。そこで本紙ゲストに教育音楽学科II類(現、音楽教育学科リトミック専修)を卒業後、ニューヨーク大学大学院音楽療法学科修士課程で学び、現在病院などで音楽療法士としてご活躍の八重田美衣さんに様々なことをお尋ねした。
音楽と人の心の健康維持
早速ですが、ブームという言葉は適切ではないと思うのですが、最近「音楽療法」という言葉をたくさん見聞きするようになりました。今日のようなストレス社会では、精神療法がきわめて重要で、その中でも音楽療法が注目を集めているようですが----。
音楽で心が癒されるという経験は多かれ少なかれ誰でもお持ちだと思います。たとえば悲しいとき、その気持ちに近い音楽を聴くと、その曲に自分の気持ちが投影され、慰められ、落ち着いてきますよね。このように、もともと人間には自己治癒能力が備わっていますし、知らず知らずのうちに癒し的なことを、癒し的な力を持っている音楽に求めるのは自然なことなのではないでしょうか。
学問としての音楽の癒しに着目されたのは最近のこと?
どのような音楽も、元をたどれば人間によって創造されたもので、その音楽自体用い方によって、何らかの癒し的な力があり、効果は遥か昔から言われていました。音楽療法士という音楽療法の専門家が治療にあたる「音楽療法」という学問分野が誕生したのは、20世紀初頭のアメリカにおいてでした。日本での音楽療法の芽生えは1950年代に、主に心理学の分野において見られ始め、1970年頃から音楽分野の専門家や教育関係者により注目され始めたようです。歴史は古く、学問的にはまだまだ新しい分野と言えます。現代人は人間関係など諸々の点で多くのストレスを抱えて生活をしています。ですから音楽の目的的な使用による音楽療法への関心が高まっているのも納得できることでしょうね。しかし、ここで音楽療法とひと言で言っても、対象者やその目的によって方法は様々です。
八重田さんが音楽療法を勉強したいと思われたきっかけは?
国立音楽大学2年生(1984年)の時、アメリカの音楽療法士であるクライブ・ロビンス、キャロル・ロビンス博士夫妻が来日され、そのセミナーを受講したことですね。それは、音楽を聴くことによって療法的効果を得る受動的音楽方法ではなく、クライエントも療法士と共に、積極的に音楽づくりに参加する能動的音楽方法でした。言葉を話すことができない障害を持った子供と、キャロル・ロビンス博士が即興演奏を通して、生き生きとコミュニケーションをしているのを眼の当りにし、とても感動しました。音楽による自己表現とコミュニケーションは、私が一生を賭けて追及していきたいテーマであると思っていましたので、それが見事に、瞬時に行なわれている場面を、実際にこの目で見た時『彼らの元でいつの日か音楽療法の勉強をするぞ』と、心に誓いました。
ロビンス教授夫妻へ手紙を
日本での音楽療法の学習環境はどのような状態だったのですか?
その頃(今から15年ほど前)日本でも、音楽療法を実践されている方は少数でしたがおられました。しかし勉強する場となると勉強会やセミナーの情報を探して出席するか、数少ない書物など限られたものでした。当時の国立音楽大学には、板野平先生を顧問とした「音楽療法サークル」が発足したばかりで、音楽療法を実践しておられる方のところにボランティアで参加させていただいたり、図書館で音楽療法に関係ある文献を漁り、みんなで読書会をしたりしていました。ほとんど独学の世界でしたね。
現在では、選択科目として音楽療法が勉強できる音楽大学が増え、専門学校ができ始めていますし、1995年3月には全日本音楽療法連盟が設立され、現在までに171名の音楽療法士が認定されています。しかし未だに学士・修士レベルでの音楽療法士養成・認定コースがないのが現状です。早く、日本でも大学院レベルでの音楽療法学科ができるといいですね。
独学の世界からどのように道を拓かれたのですか?
卒業しても発達の勉強をしたり、即興演奏も自分なりに練習を積み重ねて、音楽療法的な活動をしていた時期もありました。しかしある程度までは音楽の力で進むことできるのですが、どうしても、壁に突き当たり、このままではプロフェッショナルにはなれないと痛切に感じるようになり、本格的なトレーニングを受けるために留学を決意しました。早速クライブ、キャロル・ロビンス教授夫妻にお手紙を書き、1990年よりニューヨーク大学にて教鞭をお取りになるというお返事をいただき、私は迷わずニューヨーク大学への留学に向けて渡米しました。
決断は速かったですね。ところで語学は?
私は英語は得意ではありませんでした。しかも経済的にも留学できる期間は限られていましたので、1990年8月に渡米して約4か月後の12月に大学院入学のためのオーディションを受け、それをパスしなければならない条件付きでした。ボストン大学付属の英語学校で朝から晩まで授業を受け、アパートに帰っても英語漬けの生活をしました。言葉が不自由なためバカにされたり、惨めな思いもしましたが、『生れた時から英語を話していたわけではないのだから、すぐに対等に話せるわけがない、私なりに一生懸命やっているのだから何ら恥じることはない』と、楽観的な性格を支えに、自分を励ましながら頑張りました。周りの多くの人の助けを得てオーディションに無事合格しました。
留学前の疑問を一つづつ解決
やっと念願の音楽療法の勉強に取り組むわけですね?
はい、1991年9月からニューヨーク大学での授業が始まるわけです。アメリカの大学は入学するより卒業するほうがとても難しいとはよく言われることですが、全くその通り。人生の中でこれほど勉強したことがないと自信を持って言えるほど、毎日毎日よく勉強しました。しかし一度もそれを苦しい、嫌だと感じたことはありませんでした。やりたいことを思いきりやって、それに対して誰も文句を言わない国・アメリカで『知りたいこと、学びたいことを探究することが、こんなに楽しいことなのだ』と、私は学ぶことの自由さと責任を噛みしめながら日々を送っていました。
大学院のコースでの勉強はいかがでした?
大学院での2年間のコースでは、音楽療法の理論と実践を両面から、バランスよく学んでいけるように設定されていました。まず理論では、心理学に根ざした音楽療法の歴史と原理、病理学などを徹底して学びますが、一口に言ってとてもハードでした。文献を読む量と論文を書く量は半端ではありませんでした。授業の中では毎回、教授と学生の間で活発な討論が行われるのですが、その授業に出席する前に推薦図書をすべて読んで自分のものにしておかないと、その話し合いに付いてゆけないんです。実践では、カウンセリング、即興演奏、フィールドワーク、インターンシップなどがあり、自分が選んだ施設、病院、学校などに出向き経験を積み重ねます。素晴らしい点は学生一人ひとりに必ずスーパーバイザーがついており、自分の成長、学びの過程で何でも相談することができる仕組みになっていることですね。助けられました。
恩師ロビンス教授夫妻から学ばれたことは?
はい、音楽の真髄を、即興演奏の授業や様々な講義、彼らと子供との実際のセッションから学んだことは勿論のこと、彼らの生きざまそのものからもたくさんのことを学びました。彼らは私に、自らの価値観や人間性を自分自身で育むように、自らの音楽性、レパートリーをも広げ、深めてゆくことを励ましてくださいました。それまで私が音楽だと思っていたものがいかに狭いものであったのかを、またそれまで即興演奏だと思っていたものがいかに表面的なものであったかを思い知らされました。
それはどういうことです?
音楽療法の勉強ということは、単に知識を身に付けて、具体的に、どのようにすればよいのか(How To)を知るということでは済まされないということです。実際に人と対面した時その相手の何を感じて即興演奏するのか、子供との即興的なやり取りの中から何を見出すのか、具体的な音楽療法の目標設定をどこに置くのかなどの答えは、人から与えられるものではなく、出会ったクライエントの一人ひとりの経験の一つの中から自分で見つけて行くことなのです。留学前に持っていた数多くの疑問への答えが、昨日一つ見つかったと思えば、今日また新たな疑問が湧き、少しずつ音楽と人間に対して違った面が見えてくる、好奇心、探究心はますます強まり、人生はこの連続なのだということを身をもって体験できまはた。本当に素晴らしい師と巡り逢えました。
音楽療法と即興演奏との関係
即興演奏が大きなウエートを占めていると言われていますが?
音楽療法をする場合、必ず即興演奏を用いなければならないということはありません。私も既製の曲、オリジナルで作曲した曲も用います。外国の音楽療法士でも即興演奏を全く用いていない人もいます。ですから音楽療法=即興演奏を用いる、と考えるのは危険です。要は、何のために即興演奏を用いるかということを考えることではないでしょうか。
初めて音楽療法の世界に積極的に即興演奏を用いたコンサートピアニストであり、作曲家であったポール・ノードフ博士と、特殊教育の専門家であったクライブ・ロビンス博士は、即興演奏を用いることの意義、理由について次のように述べています。『子供が持っている病理的な面を越えて、その子供のアイデンティティの核になるものに届きたかった』、その時の子供の反応を瞬時に引き出し、応答し、演奏される即興音楽が、その子供が生れながらにして持っている本質的な部分に触れ、コミュニケーションが確立していくと言うのです。
その即興演奏ができるようになるには?
先程も申しましたが、何のために即興演奏を用いるかによって違ってきます。私は、人間の本質的な部分に届く即興がしたいと思っています。そのためには、まず自分自身の本質を知らなくてはなりません。そのうえで臨床的即興では、クライエントとの関係の中での即興ということになります。まず瞬時に、どれだけクライエントを理解できるかというと、そして子供の場合では、発達のレベルと目標を見定めることができること、などが重要になってきます。
音楽療法士の活躍の場
音楽療法士、新しい職業ですが就職はどのようになっています?
一般的なことは分かりませんが、私の問題としてお話すれば、帰国して就職先を探すに当たって私には二つの希望がありました。まず一つは、言葉によるコミュニケーションが難しい子供を対象に、言葉以前のコミュニケーションの力を音楽、特に即興演奏によって促進させる仕事がしたいこと。そして二つ目は医師、理学・作業・言語療法士などの他の専門家の人達と、チームで連携しあって働ける場に就職したいということでした。
私がやりたいと思っていることを理解してくれる場所で働きたいと思い、キーボードといくつかの楽器を担いで、病院や施設を回り、音楽療法のセッションを実際にやらせてもらい、それを職員の方々に見ていただきました。何ヶ所か回った末、現在働いている緑成会病院整育園に就職が決まりました。二つの希望が実現できたことに加え医師の方々は、音楽療法の効果を研究として学会などに発表することに協力してくださり、とても恵まれています。音楽療法を音楽の世界に留めることなく、医学学会、教育関係の学会などで報告することにより、他分野の専門家の方々から意見を聞けることで、とてもよい勉強になっています。またこのことによって、日本にも音楽療法の正しい理解を広めることになればと感じています。
先駆者としてのご苦労もあるようですが、これから音楽療法士を目ざす方に助言を。
音楽療法は、『音楽の源と人間の本質を追及していく学問』だと、私は考えています。よく『音楽療法士になるためには、そんなに高い技術や音楽性は必要ないのでは』とか、『音楽さえできればそれでよいのでは』と考える人もいるようです。音楽的なレベルは人それぞれで、それぞれの人が持つ力の範囲内でそれなりにできていくものなのでしょうが、音楽的な力が豊かであれば豊富なほど、それだけアプローチの可能性も広がるはずではないでしょうか。逆に言えば、自分の持つ力以上のことはできないということでもあるわけですけれど。
出会った患者さんがどんな音楽経験を持っているのか、またどんな感情表現をしてくるのか分かりません。しっかりと向き合ってそれを受け止める場合、やはり音楽療法士として、豊かな音楽の力を持っていればいるほど豊かに、的確に対応できる可能性も広がると思います。またさらに、これからの時代、他の分野の専門家の方たちと対等に連携していくためには、音楽さえできればよいというこだけでは通用しないでしょう。ですから音楽療法士として、音楽の理論も実技も基本的なことは押えておくのは当り前のことで、それにプラスして、より広いジャンルの音楽、楽器にもチャレンジし続けること、臨床的な、即興・作曲の技術を積み重ねることが重要となってくると思います。
またクライエントの理解、つまり発達、病理学、カウンセリングなどの勉強も勿論必要ですが、それに加えて、人間性も問われます。特に相手のことを敏感に理解することのできる感性も重要ではないでしょうか。
真剣であればあるほど道のりは険しい?
どんな分野でも究めようと思えば、それは終りのない長い道のりであり、決して楽なことではありません。何事も同じですね。音楽大学に入学して、そこからが始まりです。卒業しても、またそこから新たな探究が始まるわけですから人生はチャレンジの連続だと思います。音楽を創造すること、自らの人生を創造的に生きていくことは、とても似ていることだと思います。
音楽療法に限らず、どうしてもやりたいと思えることが見つかった時は妥協せず、トコトンやり尽くす勇気が必要なのではないでしょうか。日本の社会では、本当にやりたいことを思っきりやり尽くすこと自体、難しいことがとても多いということを実感しています。だからそれを全うするためには、ある程度の勇気が必要、と私は考えます。『これがだめだからあれにする』とか、『誰々がこの方がよい、と言ったからそうする』と言うのではなく、自らの意志と決断で、責任をもって決めること、その生きる姿勢は音楽にもきっと現われると思います。