国立音楽大学

吉田浩之(テノール歌手)

プロフィール

吉田浩之(テノール歌手)

吉田 浩之さん(よしだ ひろゆき)
YOSHIDA Hiroyuki
テノール歌手

福井県敦賀市出身。国立音楽大学声楽科を1985年卒業。モーツァルト没後200年記念声楽コンコルソ本選入選。オペラ、リート、日本歌曲など多岐にわたり活躍中。オペラ「遣唐使」では、薬師寺玄奘三蔵院伽藍(奈良)での特別公演において遣唐使役を務め、2012年は西安(中国)公演も予定されている。現在、東京芸術大学音楽学部准教授。学生生活委員長。

インタビュー

くにたちで声楽を学び、ウィーンの国立歌劇場で演奏するという夢を叶えたテノール歌手の吉田浩之さ んから、後輩たちへ熱いメッセージをいただきました。
(「くにたち音信 No.53」2011年12月 掲載)

普門館と無門庵

吉田浩之さん

 僕は、「福井ふるさと大使」「つるが大使」を任命されていることからもお分かりのように、越山若水、福井の出身です。中学の時、創設まもない吹奏楽部で猛練習の末、中日新聞社と中部日本吹奏楽連盟が主催する吹奏楽コンクールの中部大会で、文部大臣賞を受賞しました。中学・高校を通してホルンを吹いており、将来は、高校の教員となり、吹奏楽部の顧問として普門館⑴で金賞をとるのが夢でした。音楽大学を志しましたが、ホルンだけではなく、他にも受験科目があると言われ、慌ててピアノや声楽を始めたという訳です。

 高校1年の頃です。国立音大で声楽を学んだ先生の授業で、歌のテストがありました。音楽の教科書に載っている〝帰れソレントへ〞をジュゼッペ・ディ・ステファノの歌うLPレコードで聴きとり、原語で歌ったところ、大変驚かれて声楽科の受験を勧められました。ホルンと勝手が違い、人前で何も持たずに正面を向いて歌うことが、恥ずかしくてたまらなかったのですが…。そんな僕を変えてくれたのが、無門庵⑵で出会った仲間たちでした。

 国立音大の受験準備講習会を受ける地方の男子生徒は、西国立市にある無門庵に寝泊まりしており、そこでの発声や楽曲の解釈について、いわゆる音楽談義は本当に楽しかった。その頃の僕には、仲間の歌唱がずいぶん大人の声に聞こえましたね。いい連中が集まってました。とにかく寝ても覚めても歌のことばかり。〝声楽バカ〞に〝くにたちボケ〞、およそ世の中のことより音楽のことしか頭になかった(笑)。国立音大の広々とした環境は、音と活気に満ち溢れ輝いて見えました。僕の声楽の力は、まだまだ未熟だったのですが…。

(1)普門館 全日本吹奏楽コンクール全国大会の会場。
(2)無門庵 現在は懐石料理店となっており宿泊はできません。

声楽のこと

吉田浩之さん

 声楽には、ステップアップの転機が幾つかありました。ステファノの次は、ルチアーノ・パヴァロッティです。吹奏楽では〝だぁだぁ吹き〞と言ってタンギングを入れない吹き方を嫌うのですが、僕は知らず知らずのうちに歌詞の音節ごとに切って歌っており、そのことに気づいていなかった。地元の先生秘蔵のオープンリールを貸して頂き、パヴァロッティのイタリア歌曲を聴き込むうちに、ハッとしました。メロディのフレーズが滑らかで、音節が全てつながっていたのです。目からうろこが落ちました。このことに気づいてからは飛躍的に歌いやすくなりました。

 次の転機は、くにたちです。まず、受験時の先生の美声に虜になりました。学生時代は、独語、伊語、仏語と出来るだけ多くの単位を取得し勉強しましたし、師匠の指導は厳しくレッスンは緊張しましたが、多くのことを教わりました。加えてNHK交響楽団との共演です。年末の〝第九〞をはじめ、有馬大五郎先生の追悼公演では、モーツァルトの〝レクイエム〞に出演させて頂いたことは大きな収穫でした。世界の第一線で活躍する指揮者の指導を受け、同じ舞台で音楽を作り上げていく経験は、忘れられない貴重なものでした。

 大学院は東京芸大に進みましたので、くにたちと違うかと聞かれることもありますが、声楽家を志す仲間たちの雰囲気は同じでした。大学院の先生からは、まさに演奏家の立場からの指導がありました。例えば、アリア1曲ではなく、オペラ全体を見渡せるような歌い方についてアドヴァイスを頂く実践的なレッスンでした。くにたちでも芸大でも素晴らしい先生方との出会いがあり、人生の節目節目で、何て恵まれていたのだろうと思います。

イタリア留学

 文化庁の派遣でイタリアに留学した時は、期間が限定されていたこともあり、有効に過ごすため一計を講じました。ひとりも日本人のいない土地でイタリア文化を満喫しようとローマ州の北に位置する小さな村、モルルーポ(Morlupo)を選び、昔お城だった一角を改築したアパートに住み、料理法を教わりながら、地元の食材で、毎日食事を作りました。当初、村の人々には、東洋人の子どもが歌を学びに来たらしいと噂されていたのですが、イタリア語が話せると分かると打ち解けてもらえ、排他的ではない土地柄にも助けられ、ご近所の噂話まで教わりました(笑)。美しい谷と高原のパノラマに、文化遺跡も多くあり、常に隣国と接するヨーロッパの中で、自国の文化に誇りをもち、かつ大切にしている方々に出会え、古い昔ながらのイタリアの営みを体験し、本当の豊かさや幸せとは何だろうかと考えさせられましたし、それにより、自分の人生観も大きく変わったように思います

後輩たちへ

吉田浩之さん

 今の若い人は、素直で真面目な人が多いですね。楽器としての身体も大きく良くなっています。課題は、感性を磨きバランスをとっていくことではないでしょうか。最終的には、そういう人たちが残りますから。敢えて苦言を言うと、恵まれ過ぎている心配があります。Facebook やTwitter も便利ですが、YouTube で次の曲をさらって誰の歌かも答えられないような、情報過多で飽和している状態は如何なものか。ハングリー精神で、自らが求め、持続させる情熱が必要です。上手にしてもらえるのを待っていては、駄目ということです。ウィーン国立歌劇場で、ウィーン・フィルと共演する僕の夢は、幸いにも叶えることができました。ひたむきに追究し、努力を怠っては、実現出来なかったと思います。後輩たちもその時々に思い描く夢に向かい、最後まで情熱を持ち続け頑張って欲しいと思います。

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