国立音楽大学

横井佑未子(音楽家)

作り手の“ひとりごと”ではなく、聴き手との“対話”が生まれる音楽を提供したい。/2009年4月

プロフィール

横井佑未子(音楽家)

横井佑未子さん(よこい ゆみこ)
YOKOI Yumiko
音楽家

長野県松本深志高校を経て、国立音楽大学作曲学科に入学。作曲を故・溝上日出夫、清水祥平、作曲理論を山口博史、野平多美、市川景之、今村央子、ピアノを渋谷淑子の各氏に師事。在学中に国内外研修奨学生としてフランス・ニース夏期音楽アカデミー派遣。島岡賞(作曲理論)、有馬賞(作曲)を受賞し首席卒業。

2003年秋に渡仏、パリ国立高等音楽院に於いてB.ドゥクレピイ、T.エスケッシュ、M-A.ダルバビーらに学び、2006年エクリチュール科(和声・対位法・フーガ)ディプロムを最優秀の成績で取得。翌年、管弦楽法科を審査員全員一致の首席にて修了。またパリで作曲をA.ゴーサンに2年間師事し、2006年9月よりスイス・ジュネーヴ高等音楽院作曲学科に編入。現在修士課程(作曲・電子音響専攻)に籍を置き、Mジャレル、L.ナオン、E.ドーブレスのもとで研鑽を積む。
これまでにCentre Acanthes 2006:細川俊夫・作曲アトリエ(フランス)、Centre Acanthes 2007:Ircam 電子音楽アトリエ(フランス)、Journees Contrechamps 2007(スイス)、2007年武生国際音楽祭(日本)など国内外にて多数の音楽祭・講習会に参加。フランス国立ロレーヌ管弦楽団、アンサンブル・コントルシャン、アンサンブル・ミュルティラテラル、アンサンブル・リネアらによって作品が演奏されており、2007年10月にはストラスブール現代音楽祭Festival Musica(フランス)より新進作曲家として招待を受ける。
第25回現音作曲新人賞受賞。
2009/2010年 IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)研究員。

*横井佑未子オフィシャルブログ http://yumicom.blogspot.com/
以前から大好きで、自分の“原点”だと考えているモーツァルトの作品には、全部出てみたいですね(笑)

日本人として西洋音楽を学ぶ以上、それらが生まれ育った国を自ら体感し、理解を深めることが大切です。

インタビュー

横井佑未子さんは現在、スイス・ジュネーヴ音楽院の修士課程「作曲・電子音響専攻」に在籍中。
“音づくり”を通して音楽全般を幅広く学ぶために、本学の「作曲学科」に進学して以来、「音楽を学びたい」との知的欲求は高まるばかりだ。
そのあくなき探求心は、第25回現音作曲新人賞受賞など、確実に彼女の音楽家としての“力”へとつながっている。
日本、パリ、ジュネーヴで学んだ横井さんの音楽観や、「作曲」に対する思いなどについて、詳しくお聞きした。

国立音大は、私の“音楽家としての基盤”

「音楽」との出会いは?

幼稚園、小学校の頃から耳で覚えた音楽をピアノや電子オルガンで遊び弾きしていました。正式にピアノを習い始めたのは10歳のとき。でも楽譜は読めず、レッスンのときも楽譜は譜面台の“飾り”でした(笑)。ちょうどその頃、父の転勤で引っ越した長野県松本市が、音楽教育に熱心な地域で、合唱クラブにも入部。コンクールに向けて、普段から“朝練”があるなど、中学高校の部活並みにハードな環境でしたね。中学時代はピアノのレッスンを続けながら、学校では「吹奏楽部」に入りました。オーボエ、サックス、クラリネットなど管楽器を担当。ピアノ、合唱、吹奏楽と、様々な角度から音楽と接することで、音楽の楽しさを肌で感じていきました。

「音大」への進学を意識し始めたのはいつ頃ですか?

高校でも続けた吹奏楽部で、オーケストラや他ジャンルから吹奏楽用にアレンジされた作品に触れるうちに編曲・オーケストレーションに興味を持ち、そこから「作曲」にも関心が広がりました。曲を作ることで幅広い音楽観と出会えると考え、音大で作曲を学ぶことを決意。それからは音大受験を視野に入れ、ソルフェージュ・和声を習い始め、ずっと遊び感覚だったピアノにもようやく真面目に取り組むようになりました。

国立音楽大学の印象はいかがですか?

私にとって国立音大は、“音楽家としての基盤”です。学生時代の思い出は、講義やレッスン以外の時間は、ずっと図書館に通い詰めていたことですね。私は音楽家の家庭に生まれたわけではなく、ピアノを習い始めたのも音大生にしてはかなり遅めで、しかも中学・高校も普通科。何となく自分には、音楽を学ぶうえで大切な基盤が欠けているようなコンプレックスを感じていたんです。それを埋めるために、とにかくたくさんの音楽を知ることから始めようと、時間が許す限り図書館で勉強しました。

また大学での最大のエピソードは、国内外研修奨学金に合格して、3年生の夏に1カ月間フランスへ行かせてもらったこと。自己紹介がやっとのフランス語レベルなのに、講習申込や宿泊手配など、すべての手続きを旅行会社や通訳に一切頼らず自力で行いなさい、という素晴らしい制度です(笑)。ひとりで海外なんて絶対に無理だと思っていましたが、何とか乗り越えたことで、それ以降「とにかく諦めずにやってみよう!」との姿勢で何事にも取り組めるようになりました。

大学時代の「作曲活動」を教えてください。

初めてのオリジナル作品は入学後、学部1年生のときです。ピアノ曲で、作曲科の友人に初演してもらいました。とはいえ、今から見るとその頃に書いていたものは、まだまだ勉強の延長線上レベルで「作品」とは呼べません。そういう意味では、私にとって最初の作品は「卒業作品」でしょうか。実は、3年生の終わりに、恩師である溝上日出夫先生が亡くなり、先生の最後の教え子となる私にできることは何だろうと考え、そのとき初めて「自分の作品を作りたい」「私は作曲をしなければいけない」と、強く感じるようになったのです。
現在の師、M.ジャレル氏の音楽に“一聴惚れ”

大学卒業後、海外留学を決意した理由は?

卒業を前に、プロの音楽家としてやっていきたいと思いつつも、何をするにもまだ知識・経験が全然足りず、外に向かって表現する前に、まずは自分自身の内側を育てる必要性を感じました。相談した大学の先生からパリ国立高等音楽院への留学を勧められ、また奨学生としてフランスへ行った経験も後押しし、パリへの渡航を決意しました。

パリでの勉強はどのようなものでしたか?

渡仏1年目はエクリチュール(作曲書式・理論)とフランス語だけで手がいっぱいで、作曲活動はしませんでした。それは時間的な問題ではなく、現代音楽って何なのか、自分はどんな音楽を作りたいのか、そもそも作曲をしたいのかさえ分からなくなってしまったのです。そんなときに、国立音大でもパリ音楽院でも同期だった親友から、リサイタルのための曲を書いてほしいと依頼があり、それに背中を押してもらう形になって、曲づくりの再スタートを切れました。

ところで、パリ音楽院といえば、“mise en loge”と呼ばれる約17時間におよぶ長時間試験があります。これは、個人練習室に缶詰になって当日その場で与えられる課題(例えば「この主題を使って、この作曲家のスタイルで、フーガ形式のオルガン曲」や「このピアノ小品を、書かれた時代に沿った2管編成のオーケストラに編曲」など)に取り組むもの。朝の6時半から夜23時半までの17時間にわたり、3畳ほどの窓無し部屋に1日分の食事・水を持ち込み、外へ出られるのは試験監督に断ってのトイレのみという環境で試験に臨みます。入試に始まって各学科の考査・修了試験など、4年間で10回ほど経験しましたが、本当にきつかったですね。

パリで学んだ後、スイスへ渡った理由は?

パリで開催されたコンサートで、現在の師であるミカエル・ジャレル氏の音楽との衝撃的な出会いがありました。「こんな音楽があるんだ!」と、一目惚れならぬ“一聴惚れ”といった感じです。氏がジュネーヴ高等音楽院で教鞭をとっていることを知り、すぐに受験を決意。同音楽院の作曲学科への編入が決まりました。

ちなみにジュネーヴ音楽院は、パリ音楽院に比べると全体的に規模は小さいのですが、作曲科の電子音響音楽施設などは最新設備が揃っているなど、本当に恵まれた環境です。私自身、ジュネーヴに来るまで、電子音楽の知識はほとんどゼロでしたが、いざ足を踏み入れるととても魅力的な分野で、視野の広がりを実感しています。

自己研鑽のため、もうしばらく学業を優先

昨年10月に、第25回現音作曲新人賞を受賞されました。

私にとって「音楽」は、他者と時間・空間を共有することであり、自分と自分の外側にある世界とのつながりを持つことです。作り手の“ひとりごと”ではなく、聴き手との“対話”が生まれるような音楽を作りたいといつも考えています。そういった思いがみなさんに伝わった結果が、今回の受賞であるのなら本当にうれしいですね。当日は、素晴らしい演奏をしていただき、それを多くの方に聴いていただけ、作曲家冥利に尽きる日でした。私の作品を通じて、あの時間・空間を共有してくださったすべての方々にお礼を言いたいです。

やはり海外で音楽を学ぶ経験は大きいですか。

日本人として西洋音楽を勉強する以上、それが発展した歴史・場所・気候・人々・言語・習慣などを自分の目で見て、経験とともに理解を深めることは大切です。自分にとっての常識が通じない場所で、相手にどう気持ちを「伝える」べきか、その的確なコミュニケーションについて考えることが音楽表現、さらには自己表現にもつながっていると思います。

作曲するときに心掛けていることはありますか?

「考える」と「感じる」のバランス感覚でしょうか。作品の構造や扱う素材などを、ある程度“考えて”から音を書き始めるのですが、当初の計画と違うけど「ここにこの音がほしい」、説明がつかないけど「もう1拍長く」等と“感じた”場合は自分の耳を信じるようにしています。あと、最近心掛けているのは、「きれいにまとめすぎない」こと。完璧を求めるのも大切ですが、ときには歪んだり、はみ出したりする部分を受け入れるのも面白いと考えるようになりました。

現在描いている将来設計を聞かせてください。

作曲を中心に音楽家としての仕事を一生続けるために、インプットとアウトプットのバランスをうまく取ることを意識しています。もともと苦手意識のあった電子音響の分野で得たものが、思いがけず純粋器楽作曲に生きることもあるのです。常にオープンな状態でいろいろなものを吸収するために、自分自身が変化することを恐れずにいたいと思います。

さまざまな経験という意味では、フランス国立音響音楽研究所IRCAM(イルカム)の2009/2010年度研究員に採用が決まり、今年の9月に再びパリへ渡ります。その後ジュネーヴに戻り、2010年5月には修士課程を終える予定です。その間にもいくつかの初演・委嘱の仕事をこなすつもりですが、もうしばらくは学業優先。焦らず少しずつ仕事の幅、共有の場を広げていきたいと考えています。

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