国立音楽大学

山本真由美(声楽家)

生きた言葉を音楽を/1995年11月

プロフィール

山本真由美(声楽家)

山本真由美さん(やまもと まゆみ)
YAMAMOTO Mayumi
声楽家

愛知淑徳高校出身。
国立音楽大学卒業。
「読売新人演奏会」に出演。
同大学院声楽専攻(リート)を修了後にオペラ研修所第7期生となる。
1988年 「日本モーツァルト音楽コンクール」入選。
1990年には文化庁芸術家在外研修員に選ばれ、ミラノに留学。
1991年 イタリアで開催された「第9回パヴィア国際声楽コンクール」にて第1位に輝く。一時帰国後1993年からはアサヒビール芸術文化財団による「芸術家海外派遣助成」を受け、再びイタリアに留学。
1994年 プラハで開催された国際音楽祭「第3回ヤング・プラハ」に日本代表として出演する。
1995年 東京と名古屋で帰国記念リサイタルを開催し、名古屋市民芸術祭審査員特別賞を受賞。
リサイタルやコンサート、放送出演にと幅広く活躍する一方、モーツァルトのオペラをはじめ、「夕鶴」のつう、「ラ・ボエーム」のムゼッタなどを好演。“軽やかなソプラノは正確で艶もあり、歌も演技もきれがいい”と高い評価を受けている。現在二期会会員。

インタビュー

メゾソプラノからソプラノへ

山本さんは1991年、イタリアで開催された「第9回パヴィア国際声楽コンクール」のステージに、歌手生命をかけた大きな選択を委ねました。メゾソプラノからソプラノへの転向です。
「メゾソプラノで歌うことに限界を感じていたんです。オペラでメゾはソプラノに比べて前に出る役柄が少なく、“受け”や“引き”の演技が求められることが多いのですが、私にはそれが難しくて。どう演じればいいのかわかりませんでした。その反面、たまに自分の個性を堂々と主張するような役柄に巡り合うと、うまく歌い、演じることができたんです。」

幼い頃から宝塚歌劇が好きで、華やかな舞台の世界に憧れていた山本さん。3歳のときから声楽家の父にピアノや歌を学び、またバレリーナをめざしていた母の影響でバレエを習い、将来は舞台の世界へと考えてきました。舞台で踊ることに慣れ親しんできたこともあって、動きの少ないメゾソプラノになじめないのは当然のことだったのかもしれません。
「当時28歳になっていましたし、それまでのメゾソプラノとしてのキャリアをなげうって転向するというのは、とても勇気のいることでした。」

さんざん迷ったあげく、歌手としての人生を決めるために、初めてソプラノとして舞台に立ったパヴィア国際声楽コンクールで、みごと優勝に輝き、ソプラノ歌手としての道を歩みはじめました。
「ソプラノになってからは、以前より集中力が高まったようです。というより自然に歌える領域ではないので、必死にならざるを得なかった。踊りや芝居に頼ってしまっていた欠点を発見し、それと向き合うことができたと思っています。」

その後、『コシ・ファン・トゥッテ』のデスピーナ役、『ラ・ボエーム』のムゼッタ役などを歌い、優れた歌唱力と演技力で世界的に高い評価を受け、活躍を続けています。

留学で得たもの

高校在学中、国費研修員としてウィーンへ派遣されることになった父親とともに、1年間を音楽の都で過ごしました。そこで歌の勉強を本格的に始めましたが、思いがけない大きな壁にぶつかってしまいました。
「ウィーンの伝統あるオペラ劇場で、日本人の歌手が歌うのを見たとき、本場の舞台で日本人が歌っているということが、なんだかすごく不思議に思えて……。」

果たして、日本人が本場の舞台に上がってもいいものなのだろうか。そもそも、日本人がヨーロッパの文化であるオペラをやることに、どういう意味があるのだろう――そんな疑問に悩まされます。
「本場の舞台で歌ってみたい。そう思う一方で、いろいろなことを考えてしまいました。今でも疑問はずっと残っていて、私の中では、常に歌やオペラに対する愛着と疑問とが同居しているんです。」

イタリア語のオペラを日本人が歌うには、言葉の壁が存在します。イタリア語で歌うことはできても、表現力の点で日常的にその言葉を使っている人にはかなわないんじゃないか。そんな思いから、日本語による訳詞上演にも理解を示し、自由なオペラのスタイルを受け入れます。
「ただ、私はオペラについて、〈先に言葉が生じ、その生きた言葉が語る音色が旋律を生み、ドラマを創る〉ということを常に意識していたい。そして、生きた言葉を感じ、表現できる歌手に一歩でも近づいていきたいと思っています。」

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