田中 香織(クラリネット奏者)
挫折や葛藤に負けなかった。ただひたすら、自分の音楽を追求した。/2010年9月
プロフィール
田中香織さん(たなか かおり)
TANAKA Kaori
クラリネット奏者
福岡県北九州市出身。2002年に国立音楽大学を卒業後、2004年から2008年までスイス・バーゼル市立音楽院音楽大学に留学、国家演奏家資格、及び国家ソリスト資格を最優秀の成績で取得。その間クラリネットを武田忠善、磯部周平、フランソワ・ベンダの各氏に、室内楽を、生島繁、セルジオ・アッツォリーニ、フェリックス・レングリの各氏に師事。2004年第116回日演連推薦新人演奏会にて、九州交響楽団と共演。2005年第3回カール・ニールセン国際音楽コンクール(デンマーク)特別賞、2006年トリノ国際クラリネットコンクール〈マルコ・フィオリンド〉(イタリア)2位、2008年バーゼル・オーケストラ協会〈BOG〉(スイス)最優秀賞、2009年第78回日本音楽コンクール1位受賞。
室内楽奏者として活動する中、ソリストとしても、バーゼル交響楽団、バーゼル室内管弦楽団、東京交響楽団と共演の他、数々のソロ・リサイタルなど、日本及び、スイス、ドイツ、デンマーク、イタリアなど、ヨーロッパ各国で活躍している。
2008年、バーゼル交響楽団と共演したエリオット・カーター『クラリネット協奏曲』では、オーボエ奏者・指揮者・作曲家である、ハインツ・ホリガー氏の監督の下で公演し、その実力を高く評価される。2009年、ルドルフ・モーザー記念演奏会では、ディエゴ・ケンナ氏等と共演、“RUDOLF MOSER SPIEL MUSIK”(DIVOX)のレコーディングに参加。2009年より、カメラータ・ベルンの一員として活躍。また、バーゼル市立音楽院音楽大学にて、エスクラリネット講師を務める。
インタビュー
クラリネットの室内楽演奏者、ソリストとして、スイスを拠点に活躍している田中香織さん。昨年、若手音楽家の登竜門である「日本音楽コンクール」で1位を受賞してからは、ヨーロッパのみならず日本国内でも精力的に活動を展開している。国内外での活躍がますます楽しみな田中さんに、国立音楽大学時代のお話や渡欧の経緯、今後の抱負についてお聞きした。
ヨーロッパで花開いた可能性。活躍の舞台は、日本にも広がっていく。
挫折を乗り越えた経験が、演奏家の土台をつくる
田中香織さんが音楽を好きになったきっかけは、誰もが小学校の授業で習うリコーダーとの出会いだった。幼稚園のときに通っていたエレクトーン教室は、先生の厳しい指導に耐えきれず、自分からやめてしまったが、小学生になってからはリコーダーがとにかく楽しく、家に帰ってからも毎日のように吹いていたという。
「あまりにも飽きずに吹いていたので、“中学に上がったら何か楽器をやりなさい”と母に勧められ、吹奏楽部に入部しました。クラリネットを選んだのは、柔らかな音色が、木管楽器の中でも一番魅力的だと思えたからです」
中学時代は、国立音楽大学の卒業生である恩師に指導を受けながら、部活動に明け暮れる日々だった。だが当時は、まだ音楽の道に進む気持ちはなく、将来は得意科目だった英語に関係した仕事に就きたいと考えていた。転機が訪れたのは高校時代。英語コースに進んだ田中さんは、高校でも迷わず吹奏楽部に入るが、中学校ほど活動が活発でなかったことに物足りなさを感じ、ソロに挑戦するようになる。
「もし高校時代の吹奏楽部がコンクールで上位の常連になるような部だったら、ソロを始めようなどと考えなかったかもしれません」
高校2・3年生のときに、個人として福岡県高等学校音楽コンクールで、2年連続で木管部門のグランプリを受賞し、本格的に音楽の道を志すようになる。そして、2年生の時に出会った武田忠善先生の指導を受けるために、国立音楽大学への進学を志し、厳しいレッスンを重ねた結果、見事に合格。晴れて国立音楽大学の一員となった田中さんだが、ここで思わぬ挫折が訪れる。
「入学試験が終わった途端に気持ちが途切れてしまい、練習が手に付かなくなってしまったんです。その結果、自分の思うような演奏がまったくできなくなってしまって……」
スランプに陥ってしまった当時は、慣れない東京での一人暮らしを始めたばかり。精神が不安定になりやすい状況も手伝い、「なんて自分はダメなんだろう」と自分を責めてばかりだったという。しかしそのような中でも、田中さんの周りには、温かく見守ってくれる武田忠善先生、互いを励まし合う仲間たちがいた。「もし自分一人だったら、壁を乗り越えられなかったかもしれません」と話す田中さんは、同じ音楽の道を志す人々の存在に勇気をもらいながら、毎日のように基礎練習を繰り返した。少し感覚が戻ったと思ったら、しばらくするとまた狂い出
す……演奏に悩み続けた試行錯誤の日々は長きにわたり、自分の演奏が再び軌道に乗りだしたと実感できたときには、入学から2年が過ぎようとしていた。
「本当に苦しい時期でしたが、おかげで基礎力を底上げし、どんなスランプにも落ちついて対処できる力を身につけられました。スランプに陥ることなく順調な学生時代を送っていたら、おそらく今の私はなかったと思います」
予定外の留学が、デビューへの道を開く
国立音楽大学卒業後に、スイス・バーゼル市立音楽院音楽大学に留学しプロデビューのチャンスをつかんだ田中さん。だが、国立音楽大学を卒業した時点ではまだ留学の意思はなく、卒業後も東京に残り、クラリネット講師の仕事をしながら演奏技術を磨く。日本を活動拠点とし、年に数回ヨーロッパの講習会に参加する──というのが、当時のスタンスだった。
「上を目指すためには、定期的にヨーロッパの音楽に触れることが、絶対に必要と考えていました。でも海外に生活拠点を移して留学しようとまでは考えられませんでした」
気持ちが留学へと傾いたのは、バーゼル市立音楽院音楽大学のフランソワ・ベンダ教授との出会いがきっかけ。国立音楽大学時代の先輩の勧めで、ベンダ教授に師事する講習会に参加し、その素晴らしいレッスンに心酔。「この先生の下で学びたい。今行かなかったら一生後悔する」との思いで留学を決意する。
2004年秋にスイスへ渡った田中さんは、スイスやデンマーク、イタリアで開かれた国際コンクールで優秀な成績を収めるなど、着々と留学の成果を上げていく。評価が高まるにつれ、交響楽団との共演、ソロ・リサイタルなど出演依頼の件数も増えていき、気がつくと、フリーランスとして仕事を確立できるまでになっていた。2008年夏にバーゼル市立音楽院音楽大学を卒業した時点で、帰国せずにスイスに残ることを選んだのは、仕事のあるヨーロッパで演奏活動を続けるため。日本での知名度があまり高くなかった当時の状況を考えたうえでの、自然な選択だったという。ところが、日本にも活動を広げる転機は、そのすぐ翌年に訪れる。2009年秋、日本の若手音楽家の登竜門といわれる「日本音楽コンクール」のクラリネット部門で、栄えある1位を受賞した。
「それまでの積み重ねが、権威あるコンクールの1位という結果で表れたのは、本当にうれしいことです。また受賞をきっかけに、日本の皆さんに演奏を聴いていただく機会が増えたことにも喜びを感じています。今後は国内での活動も、さらに広げていけたらと思っています。
聴かせるにとどまらない、見せる音楽を目指す
現在はクラシック音楽のレパートリーの室内楽とソロを中心に演奏している田中さんだが、枠にとらわれないスタイルの音楽にも意欲を燃やしている。
「留学中に、道化師の格好をして踊りながらクラリネットを吹く、シュトックハウゼン作曲の『小さな道化師』という曲を演奏したことがあります。それが自分にとても合っているように感じ、動きのあるスタイルにも挑戦するようになりました」
動きながら正確な音を奏でるには、普通に演奏するのとは異なったテクニックが求められる。田中さんはそれを身につけるために、バレエや身体の無駄な動きを省くアレキサンダーテクニックを取り入れたユニークなレッスンを受けている。
「長く親しまれている伝統的なスタイルには、それだけの深い味わいがありますが、そこに辿りつくまでにもさまざまな試行錯誤があったはずです。人の心を打つ音楽は、いつの時代もそのようなプロセスがあって生まれてきたもの。それを踏まえた上で今までの形にとらわれないスタイルの開発は、音楽の可能性を広げるための大きな意義があると考えています。これまで演奏してきた室内楽やソロとともに、“自分だからできる音楽”の追求にも積極的に取り組んでいくつもりです。ジャンルについても、クラシックに限らず、現代音楽や民族音楽、ジャズなど、いろいろなものにチャレンジし、たくさんの人に楽しんでもらえる演奏をしたいと思っています」
大きな挫折を乗り越えながらも成功をつかみ、現在も進化し続ける田中さんは、最後に後輩に向けてメッセージを語ってくれた。
「私がスイスで出演依頼を受けられるようになったのは20代後半。日本音楽コンクールで1位をいただいたときには30歳になっていました。演奏家としては遅咲きの部類に入りますが、今こうして皆さんにメッセージをお届けできる立場になれたのは、常に自分と向き合い、諦めずに音楽を続けてきたからこそだと思います。これから国立音大で音楽の道を志す皆さんに願うのは、決して現状に満足せず、自分ができる最高の音楽を追求し続けること。途中には、さまざまな挫折や葛藤が待ち受けていますが、それらをたくましく乗り越え、自分が決めた道を力強く歩んでください。そうすれば、必ず“がんばってよかった”と思える日が訪れるはずです」
フレッシュ・コンサートくにたち2010
本学を卒業し活躍している音楽家を広く紹介することを目的に、数年に1回開催しています。2011年3月の公演では、田中香織さんをはじめ、第78回日本音楽コンクールの入賞者が主に出演。若き才能の競演にご期待ください。