国立音楽大学

高橋薫子(声楽家)

入賞をステップにして、世界の舞台へ――/1990年9月

プロフィール

高橋薫子(声楽家)

高橋薫子さん(たかはし のぶこ)
TAKAHASHI Nobuko
声楽家

国立音楽大学声楽学科卒業。
同大学院声楽専攻(オペラ)修了。
文化庁オペラ研修所第7期生修了。
1990年第21回イタリア声楽コンコルソでシエナ大賞受賞。
国際モーツァルト声楽コンクール入賞。
レオポルド・ハーガー指揮ウィーン・フィルと共演した他、パリとローマでのガラ・コンサートに出演。
同年藤原歌劇団「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナ役で国内本格的デビューを飾った後、第2回五島記念文化財団オペラ新人賞受賞。
これを受け1993年までミラノに留学し、各地で多数のコンサートに出演。
帰国後、藤原歌劇団「ルチア」において急遽、代役として主役デビューを飾り、衝撃的な成功を収めた。
以来「コシ・ファン・トゥッテ」「愛の妙薬」「魔笛」「セビリャの理髪師」など着実にレパートリーを広げている。リサイタルやオーケストラとの共演も多い。
第23回ジロー・オペラ新人賞、第10回村松賞、1996年モービル音楽賞奨励賞受賞。
藤原歌劇団団員。現在、国立音楽大学講師。

インタビュー

出演者の控室。クリスチャンである高橋さんはいつものようにステージに立つ前のお祈りをすませ、モニターから流れてくる他の出演者の歌声に耳を傾けます。国立音大の声楽学科から大学院、そして文化庁のオペラ研修所と進んできた高橋さんにとっては、もう何度も経験してきた舞台直前の一時です。ただ、特別だったのはそこがウィーン国立歌劇場の控室であったことと、参加者たちが世界45カ国から選び抜かれてきた若い歌い手であるということ。
前の出演者の演奏が終了し、客席からの大きな拍手が控室にも響いてきます。次はいよいよ高橋さんの出番。他の参加者からの激励を受け、憧れのウィーン・フィルのステージへと歩み出しました。

世界から選ばれた11名の中で唯一の日本人歌手として

「国際的なスケールのコンクールだからというプレッシャーは、それほど感じなかったんです。とにかく本選まで進めたのだから、自分のベストを尽くしてみようという気持ちでした。」

1990年6月に行われた「国際モーツァルト声楽コンクール」の本選での心境を、高橋さんはそう語ります。

この「国際モーツァルト声楽コンクール」は、モーツァルトの没後200年を記念して開催された壮大な規模のコンクール。イタリア、ドイツ、チェコ、オーストリア、フランスなどヨーロッパ各国の劇場、さらにはユネスコなどが中心となって、世界的な規模で若い優秀なモーツァルト歌手の発掘を行うというものです。

恩師である田島教授の勧めでこのコンクールに参加した高橋さんは、同年1月に国立音大で開催された国内予選(派遣審査会)、イタリアのヴェネツィアでの第一次予選、チェコのプラハでの第二次予選を次々とクリアしていきました。

そして最後の関門となったウィーンでの本選でも「ベストを尽くした」結果、見事に入賞。世界中の若手歌手550名から選ばれた“11名のモーツァルト歌い”のひとりとなったのでした。

目標はたったひとつ いつまでも歌っていくこと

コンクール入賞者によるパリ・シャンゼリゼ劇場でのガラ・コンサートを終えて高橋さんが帰国した後、東京のホテルニューオータニで開かれた入賞記者会見。この席で、派遣審査会の実行委員長をつとめた国立音楽大学の海老澤学長は「高橋さんら11名の将来は約束されている。」と語りました。また「これほどトントン拍子に進んでいく人は本当に珍しい。」と感慨深げに語ったのは、恩師の田島教授。そうした入賞を祝う関係者たちに囲まれ、高橋さんは次のように話してくれました。
「素晴らしい先生方に指導していただいたからこそ、最上の結果を出せたのだと思います。」

すでに高橋さんのもとには、翌年のヨーロッパでの演奏会への出演依頼も舞い込んでいるとのこと。高橋さんは今、世界の舞台へ大きくはばたこうとしているわけです。
「今までは『ダメでもともと。とにかくがんばろう』という気持ちで歌に取り組んできました。絶対にプロになろう、なんて気持ちはなかったんです。私にはこの道しかないなって思うようになったのは、ごく最近ですね。」

会見後、こう話してくれた高橋さん。最後にこれからの目標をうかがいました。

「いつまでも、歌い続けていくことです。」

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