塩田拓郎(打楽器奏者)
自ら音楽の道を志したなら、一歩でも上を目指すことが宿命だと思う。オーケストラに入った今も、勉強と練習を継続中です。/2008年4月
プロフィール
塩田拓郎さん(しおた たくろう)
SHIOTA Takuro
打楽器奏者
1980年東京生まれ。13歳より中学のブラスバンドで打楽器を始める。
17歳より当時NHK交響楽団の首席ティンパニストで、国立音楽大学の教員だった百瀬和紀氏に師事。
国立音楽大学器楽学科(打楽器専攻)で学び、卒業後チューリヒ音楽大学ティンパニ科に籍を置きながら、ベルリンフィルのティンパニスト、ライナー・ゼーガース氏に師事。
その他に宮崎泰二郎、エーリッヒ・トローク、ラファエル・ヘーガーの各氏に師事。
2005、2006年夏にバイロイト青少年音楽祭に参加。2007年PMF(パシフィックミュージックフェスティバル)に参加。
2007年8月から東京フィルハーモニー交響楽団に採用され、2008年7月に正式に首席打楽器奏者として入団。
小学5年生で聴いたブラスバンドのドラムスに導かれ、現在は東京フィルの首席ティンパニスト。
インタビュー
普通の大学に進んでも、自分の未来が描けない。
高校2年の時、自ら出した結論は“やっぱり打楽器が好き”。
受験では苦労もしたけれど、初志貫徹で合格。
大学でも、留学先でも、いつも一番を目標に練習した。
現在は、東フィルの首席ティンパニストの塩田拓郎さんに音楽との出会い、大学生活、留学での経験を聞きました。
朝食時に流れるクラシック曲を記憶していた
父は会社員のごく普通の家庭で育った。ただ、両親とも音楽を聞くのが好きで、朝食時にはいつもクラシックの名曲が流れていた。
「幼いながらにその曲を自然に覚えていて、後になって、あの時の曲はモーツァルトだったんだ、ブラームスだったんだなどと、わかりました。同じく聴いていたはずの弟は、ただ音楽が鳴っていたとしか記憶していませんから、やっぱり興味はあったのだと思います。」
しかし、小学1年の頃に姉のまねをして習ったピアノは「ちっとも面白くなくて」すぐに放り出し、サッカー少年になって走り回っていた。そんな塩田さんが、音楽と再会するのは5年生の時。姉が所属していた中学の吹奏楽部のコンサートを聴き、ドラムスの演奏に強烈なインパクトを受けたのだ。
「ぐるりと太鼓やシンバルに囲まれて、両手と足を縦横無尽に動かして強烈なリズムを刻んでいる。その光景に不思議さを覚えるとともに感動しました。」
姉と同じ地元の中学入学後、さっそく吹奏楽部に入部。しかし打楽器の学年定員2名に希望者が5名もいたため、先輩から簡単な指導を受け、数週間後に初めてのオーディションを経験。コンサートで見たドラムスを叩きたい一心で短期間ながら真剣に練習し、晴れてメンバーに選ばれた。
「その後、同級生でトロンボーンで入部希望したものの、打楽器に回された者と妙に気が合い、友達になりました。ちなみに彼は今、ベルリン州立歌劇場で練習生としてコンサートでティンパニを叩いています。」
入部したからといって、なかなか太鼓は叩かせてくれない。木製の練習台を前にして、音符を正確にテンポ良く叩いて、基礎テクニックを身に付ける毎日が続いた。
「本物の太鼓を叩きたければ練習するしかありませんでした。徐々に上達するのが面白くて、ピアノは駄目だったけれど僕には打楽器が向いていると確信しました。」
定期演奏会とコンクール参加、文化祭の演奏など、中学校ではブラバンを思い切り楽しんだ。東京都のコンクールにも出場した。
進路の結論は“やっぱり打楽器が好き”
しかし高校進学後に入部した吹奏楽部では、希望者の多いパートは、なんとジャンケンで決められていた。その結果、クラリネットに回されて1週間で退部した。
「ジャンケンはないだろうと思いました。退部後は、まあダラダラと高校生活を送っていたのですが(笑)、2年になり進路を決めなくてはならなくなりました。普通に進学しても、その先の自分が思い描けません。」悩みながら、中学時代での同級生の打楽器仲間に電話した。
「彼と話しているうちに、ふたりして音大へ進もうかということになりました。当然ながら両親は反対しました。将来食べていけるのか、安定した生活はできるのか、というわけです。それでも思いは変わりません。人生の選択の場面を迎えて、“やっぱり打楽器が好き”というのが、僕の結論だったのです。」
とはいうものの、どんな受験準備をすればいいのかわからず、東京芸大に進学していた中学の先輩に相談した。この先輩こそ、小学生の塩田さんにドラムスで強烈なインパクトを与えたあの人である。
「奨められたのが、国立音大で教えていた百瀬和紀先生の個人レッスン。これが、大学入学後もずっと教えていただくことになる百瀬先生との出会いでした。」
当時はN響の現役ティンパニストでもあった百瀬先生は、コンサートの興奮が冷めやらないままにレッスンをすることもあり、その教えは熱く厳しかった。中学以来のブランクもあり、また必須のピアノ演奏や楽典やソルフェージュの勉強も一からやらねばならず、現役では不合格、大丈夫だと思った翌年も不合格になった。
「落ち込みました(笑)。そして二年目の浪人で、父は渋い顔。プレッシャーは大きかった。でも母が明るく『自分で決めた道なのだから頑張りなさい』と励ましてくれたことが大きかったですね」その後、猛練習をして試験に臨み、ついに合格を果たした。
音楽を志したら、勉強と練習は一生の宿命
大学では1、2年で基礎をみっちり学び、3年からは百瀬先生の薫陶を受ける。「N響を退団して、指導に専念されていた百瀬先生は、学生一人ひとりが直面している演奏面での問題点をしっかりと把握なさっていたように思います」気軽に自ら演奏して見せてくれ、適切なアドバイスで学生が着実に実力がつくように指導してくれた。
「先生は、オーケストラでの演奏にはことのほか厳しい方でした。3年の時、ブラームスの交響曲1番をコンサートでやることになりました。これはティンパニの力強い出だしが印象的な曲で、非常に難しい曲なので、いつも以上にしっかり準備して百瀬先生にレッスンして頂きました。とても厳しいレッスンでしたが、最後に『よし、いいぞ』とまるで我がことのように喜んでくれたことを覚えています。」
大学ではトランペットやクラリネット等、他楽器の研究室のコンサートの手伝いをすることもあり、そこではそれぞれの楽器の先生が、打楽器の先生とはまた別な視点で、アドバイスをしてくれる。これが新鮮でとても役に立った。また大学のオーケストラでは、第一線で活躍している指揮者の方も来られてさまざまな事を学べた。
4年の時は、バイロイト青少年音楽祭に参加。これは有名なバイロイト音楽祭と並行して行われるもので、世界中から若い演奏者が集まる。現地のオーディションでティンパニ奏者に選ばれ、1ヶ月間の練習の後、ブルックナーの交響曲7番やブラームスの交響曲2番等を演奏した。
「ドイツ人の先生から教わった経験も得がたいものでしたが、特典としてチケットがなかなか取れないワーグナーのオペラを見ることができたのも幸運でした。世界最高レベルの演奏に接して、驚くとともに、オペラの演奏の魅力にとりつかれ、本格的に留学することを決めました。」
そして卒業後、チューリッヒ音楽大学に留学し、ベルリンフィルの現役ティンパニスト、ライナー・ゼーガース先生の指導を受ける。
「大学2年の時、ゼーガース先生が来日した際に公開レッスンと個人レッスンを受けたことがあり、国立音楽大学を卒業後、留学する際に相談したところ自分のところで勉強しないかと誘っていただきました。ゼーガース先生のはからいで、スイスのチューリッヒ音楽大学に籍を置きながらベルリンに住み、ベルリンフィルの練習とコンサートを見せてもらうだけでなく、ベルリンフィルの練習部屋で彼らの楽器を使って練習させてもらいました。この贅沢な2年間の経験は、かけがえのない大きな財産です。」
チューリッヒ音楽大学卒業後、東京フィルハーモニー交響楽団の団員オーディションを受けて合格し、11ヶ月の試用期間を経て、今年7月に正式団員になった。「僕はオペラでの演奏に強い魅力を感じています。バイロイトでの経験もきっかけですが、オペラ演奏の魅力の一つは、自分が出す音がストーリー上で非常に具体的な意味があることです。たとえば闘いのシーンや雷の表現、感情の大きな動きを表すときなど、打楽器の役割は大きいのです。そして、東フィルは日本でいちばんオペラでの演奏が多いオーケストラです。」
楽団員になったとはいえ、塩田さんはこれからもたゆまず練習を積み重ねていくことを自分に課している。
「音楽の道を志したなら、常に上を目指すことが宿命だと思っています。大学入学後も留学中も、この世界は、見まわすと自分より上手な人が必ずいます。いつか必ず自分が一番になるために、練習に励みました。あきらめたら、終わりなのです。受験も同じ。僕は2回失敗しましたが、あきらめずに勉強と練習を続けました。そして今も、さらにステップアップするために、勉強と練習を継続中です。」
