塩田美奈子(声楽家)
ミステリアスな色に包まれて第二幕へ――/1992年11月
プロフィール
塩田美奈子さん(しおた みなこ)
SHIOTA Minako
声楽家
1984年 国立音楽大学声楽学科卒業。
1986年 大学院声楽専攻(オペラ)修了。
1988年 文化庁オペラ研修所第6期修了。阿部富美子、小林一男、疋田生次郎、P・M・フェラーロの各氏に師事。
1988年 第19回イタリア声楽コンコルソ第1位、シエナ大賞受賞。劇団四季「オペラ座の怪人」のカルロッタ役でデビュー、175回の公演に出演。
1989年 二期会公演「椿姫」のヴィオレッタ役でオペラデビュー。
1991年 アリオン賞、五島記念文化賞オペラ新人賞、ジロー・オペラ賞新人賞の各賞を受賞。五島記念文化財団の留学生として1年間ミラノへ留学。
1996年11月リサイタル、モノ・オペラ「カルメン」で演じたヒロイン“カルメン”は大好評を博す。
1997年5月 海外公演「プラハの春」でリサイタル、さらに「第九」のソリストとして招かれている。
1998年にもオペラティックリサイタルを公演。様々なジャンルに意欲的にトライ。今、最も輝いている注目の“オペラ女優”である。二期会会員。
インタビュー
スリルに耐えきれなくなって、またいつものように結末を先に読んでしまったミステリー小説。静かなピアノ曲が流れる部屋の中でそのストーリーを追っているうち、頭の中に響いていたメロディーは少しずつフェイドアウトしていきます。
幕が下りたあともグルグルと自分の中を巡っているステージの余韻を残らずきれいに消してしまうことを、塩田さんは「自分をゼロに戻す」と表現します。
「連日、同じ役を演じる時や2つの舞台のリハーサルを1日でこなさなければならない時でも、いったんゼロに戻してからでないと、次の役柄に集中できないんです。忘れたつもりになるのではなく、私の場合は本当に記憶を消すんです。」
舞台の上の自分から一度普通の自分へ戻り、次のステージに向けてゼロからのジャンプを試みる――オフタイムごとに繰り返されるこのプロセスは、舞台で輝くために必要不可欠な儀式なのです。
「これがうまくいかないと、次の舞台で息ができなくなったり共演者の声が聞きとれなくなることさえあります。どうしてそんなことになるのか? それはたぶん、お客様から“受け取ったもの”が私の中にたまってしまうからでしょうね。」
舞台に立つたびに客席から塩田さんが受け取るもの。それはよく言われるような観客の熱気やホールの雰囲気といった曖昧なものではないようです。実際に彼女はいつも、ステージの上からそれを目にしているのですから。
「舞台から見ると、いつも違った色が客席の上を漂っているんです。その日の観客の雰囲気や自分自身のコンディションによってその色は毎回、微妙に違います。今日はいい色だと私が感じるのは、白と黄色とピンクが入り交じっている時です。」
その色の正体は客席から発散されるパワーなのでは、と彼女は考えています。
「演奏する私たちやスタッフ、それに大勢のお客様のパワーがひとつになって、はじめてその日の舞台が完成するわけです。それは絶対に残したり、繰り返したりすることのできないものでしょうね。」
歌い、踊り、芝居をする
オペラ・セリア、オペレッタ、それにミュージカル……。彼女はデビュー後の3年間で実に多種多彩な舞台を踏み、何度となく客席からのミステリアスな色に包まれてきました。
「ジャンルにとらわれないようにしようって考えています。私が大好きなのは、歌って踊って芝居をするという芸術。技術的な違いはあっても、境なんてないのでは。」と話す彼女のそうした方向性がはっきりと認められ、多くの受賞へとつながったわけです。
「大学院までの6年間を“くにたち”の自由でのびのびとした校風の中で過ごしたこと、最初の舞台が劇団四季のミュージカルだったことなど、たくさんの貴重な経験が私に確信を持たせてくれたような気がします。『あなたがめざしている“本当のオペラ歌手”は、そんなに狭苦しいものではないでしょう』と……。」
サクセスストーリーの結末
これまでに演じた役の中でいちばん思い入れが深いのは、オペラへのデビューともなった『椿姫』のヴィオレッタ。
「この役は演じるたびに全く印象が違うんです。それに非常に多彩な面を持った役柄で、幕ごとにガラリと雰囲気が変わっていきます。まるで別の女のように。」
その言葉は、まるで彼女自身のことを語っているようにも聞こえます。
五島記念文化賞による1年間のヨーロッパ留学が、オペラ歌手としての“第二幕”の幕開けとなる塩田さん。絵に描いたようなサクセスストーリーを演じてきた今日までの“第一幕”を「ラッキーと言うほかない。」と話すこのヒロインの胸に秘められた思いは、誰も知ることができません。
30歳になったら、世界のプリマ・ドンナになります――これは小学校の卒業文集に彼女が記した言葉。周囲が大きな期待を持って見守っている「新しいタイプのオペラ歌手・塩田美奈子」というストーリーの結末を、本人はこっそりと告白していたのです。まるでミステリー小説の結末を先に読んでしまうように――。
