清水太(ティンパニスト・打楽器奏者)
僕にとってのくにたちは
適度な緊張と競争のなか
自然体で学べた場所でした
/2014年9月
プロフィール
清水 太さん(しみず ふとし)
SHIMIZU Futoshi
ティンパニスト・打楽器奏者
東京都多摩市出身。東京都立狛江高等学校を経て、1999年国立音楽大学音楽学部器楽学科打楽器専攻に入学。2003年同専攻卒業後、ドイツ国立ハノーファー音楽大学に留学。2010年、国立ロストック音楽大学に籍を移し2012年卒業。学業の傍ら、2004年にハノーファー・ニーダーザクセン国立歌劇場にて首席ティンパニー奏者を務め、2009年には同歌劇場で首席打楽器奏者の契約団員を務める。また、2005年にダニエル・バレンボイム氏が音楽監督を務めるベルリン国立歌劇場オーケストラアカデミー打楽器科に合格。翌2006年には同オーケストラアカデミーのティンパニー科に合格し、2008年までベルリン国立歌劇場管弦楽団の準メンバーのティンパニストとして研鑽を積む。その間、ハノーファー・北ドイツ放送フィルハーモニーオーケストラ、ベルリン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場の日本ツアーに打楽器奏者として参加。その他ティンパニーのエキストラとしてNHK交響楽団、読売日本交響楽団、ベルリン・コーミッシュ・オーパー、ハンブルク国立歌劇場管弦楽団、北ドイツフィルハーモニー・ロストック、東京フィルハーモニー交響楽団、そのほか打楽器エキストラとして多くの国内外のオーケストラと共演。2012年11月より群馬交響楽団のティンパニー・打楽器奏者。これまでにティンパニーを、百瀬和紀(元NHK交響楽団首席ティンパニスト)、Erich Trog(ベルリン・ドイツ交響楽団首席ティンパニスト)、Stefan Kittlraus(ハノーファー・ニーダーザクセン州立歌劇場首席ティンパニスト)、Torsten Schönfeld(ベルリン国立歌劇場管弦楽団首席ティンパニスト)、Wilhelm Hilgers(ベルリン国立歌劇場管弦楽団首席ティンパニスト)、Rainer Seegers(ベルリンフィルハーモニー管弦楽団)、打楽器をDominic Oelze、Henrich Schmitt、Guido Marggranderの各氏に師事。
インタビュー
国立音楽大学卒業後、単身ドイツに渡り、オーケストラの本場で
戸惑い、悩みながらも知識と技術に磨きをかけた
ティンパニスト・打楽器奏者の清水太さん。
ヤンチャだった幼少期から現在に至るまで、
さらには今後について語っていただいた。
大切なのは、震えるような緊張下で
「この感覚がたまらない」と思える
強いメンタルをもつこと。
節目節目で音楽の道を選択していた 自然な流れに逆らわないスタンス
──音楽との関わりや打楽器を始めたいきさつは?
姉がピアノを、兄がヴァイオリンをそれぞれ習っていて、自宅に先生を招いていました。そのため我が家は近所の子どもたちのピアノレッスン場になっており音楽が身近にある環境でしたが、ピアノは嫌いでしたね(笑)。にも関わらず、中学生になったときになぜだか「吹奏楽部に入らないと」と思い込んでいました。打楽器を選んだのは、人手が足りていなかったから。とくに興味もなく練習しないどころか、マジメに練習しているメンバーの邪魔をするようなダメ部員でした。その最大の被害者は、幼なじみで、同じ大学に進学した現在東京フィルハーモニー交響楽団の首席ティンパニストを務める塩田(拓郎)さんですね。
──そんなヤンチャだった清水さんを変えたのは?
中学3年のときの高校生との合同演奏会です。それまで音への探求心はあったものの、その気持ちが練習に向かずにいたのですが、その演奏会で音楽をやっていて初めて楽しいと感じたんです。
高校では何気なくのぞいた吹奏楽部に“経験者だから”という理由で入部。今にして思えば、合同演奏会で打楽器のすごく上手な高校生がいたことも頭のどこかに残っていたのでしょう。音楽大学の存在もその方が「国立音楽大学に合格した」という話を聞いて知りました。
──くにたちを目指したのは?
くにたちを進学先として意識したのは高校2年になってから。前述の塩田さんと電話しているうちに、気持ちが固まりました。また、ドヴォルザークの『新世界より』を聴いて、第3楽章まではさっぱりわからなかったのが第4楽章で“カッコイイ”という感覚になり、再度冒頭から聴いてみたら面白さがわかってきたんです。そのときに“オーケストラをやってみたい”とか“音楽をしっかりと勉強したい”という気持ちがわいてきました。そこで、入試に向けて個人レッスンをお願いしたのが、当時NHK交響楽団の首席ティンパニストでくにたちの教員になったばかりの百瀬和紀先生でした。どうやったら上手く演奏できるかを考えるようになったのもそのころでした。みんなを驚かせたい、みんなより上手くなりたいという思いで、自発的にバチを握り、自分で考えて手を動かして……を毎日繰り返しているうちに速くスムーズに手が動くようになっていて、それが音楽と真剣に向き合う第一歩でした。
目の前の課題をクリアすることで 音楽家としての基礎が身についた大学時代
──くにたちでの4年間はどう過ごされていたのですか?
打楽器の中でティンパニーを専門として始めたのは大学に入ってから。優等生でも聞き分けの良い学生でもなかった(笑)ので、ただ自分がやりたいと思ったことを自然体でやっていました。それを許してくれた大学の懐の深さや環境に育ててもらったと感じています。在学中は気づかなかったのですが、目の前にあることをクリアしていくことで音楽家としての基礎ができていたのでしょう。オーケストラや打楽器アンサンブルには熱心に参加しました。また、時間があれば図書館でCDなどを聴いていました。「置いてないものがない」というくにたちの図書館のすごさは、社会に出てあらためて実感しました。
印象に残っているのは大阪泰久先生の授業です。オーケストラにおけるティンパニーの活かし方を教えていただきました。あとは、4年次の大学オーケストラでの演奏です。招聘教授であり、名誉教授でもあったドイツの故クリストフ・シュテップ氏が指揮してくださったのですが、ブルックナーの交響曲第7番を演奏したときに、自分がいいと思う演奏をしてみたんです。演奏中にこちらを見ているので、“これは後で怒られるな”と覚悟していたところ、「すごくいい。みんなも同じようにやってみて」と褒めてくださったんです。もう、ビックリでした。
──大学卒業後ドイツに留学されましたが、ドイツを選んだのはどのような理由からでしたか?
自分が将来どんな活動をするにしても、「西洋音楽」の本場を自分の目と耳で確かめる必要があるという思いからです。留学は大学入学時にすでに考えていました。ドイツを選んだのは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のティンパニストのテクニックがセンセーショナルだったからなんです。その方と同門の方がハノーファーにいるということで、紹介していただきました。
──日本とドイツで何か違いはありましたか?
オーケストラにおいて、日本だとわりと打楽器が全体を先導する役を負うことが多いのですが、ドイツでは周りに合わせる感じです。他の楽器のソロに音楽や表現を合わせていくというのでしょうか。洗練されていけばそこに音楽が乗るものなので、一概にどちらがいいというものではないでしょう。
心理学を学んだことで得られた 緊張をプラスに作用させる余裕
──現在所属している楽団への入団の経緯などをお聞かせください
2009年の夏に帰国した際に、東京のオーケストラで演奏をする機会を持てたんです。そのときに、アンサンブルの機能性の良さに驚くと同時に、いつかは日本の音楽界のために活動したいという気持ちもわいてきました。その後、群馬交響楽団でも演奏の機会があり、ヨーロッパ的な良さと日本的な良さの両方を備えた楽団でアットホームだなと感じました。オーディションを受けたときは「ぜひここで一緒に演奏したい」という気持ちがあふれていたように思います。
──演奏家として心がけていることはどんなことですか?
自分でできることはすべて手を抜かずにやる、ということです。演奏だけでなく、それらに関わる勉強や準備、メンテナンスも含めて、自分でやるのは甘えや言い訳を排除するためでもあります。体調管理やメンタルも同じです。そこで採り入れたのがスポーツ心理学やスポーツ生理学、メンタルトレーニングなどです。スポーツと音楽が違うのは、勝負か芸術かという点。これを始めてから、理屈で音楽をするのではなく、自分が何を表現したいか、どんな音を出したいのかを強く思うようになりました。
震えるような緊張を前に、「この感覚がたまらない」という一流のプレーヤーがいますよね。かつては、そんなこと言えるものだろうかと思っていましたが、そう思う気持ちをもつことで不思議と前向きに考えられるようになっていきました。演奏という“売り物”に傷を付けられないという恐怖心は常に持ち合わせていますが、そうしたリスクを感じるからこそいい結果が得られるのではないでしょうか。
──心理学以外にもいろいろとトライされたようですね
演奏をビデオ撮影し客観的に自分を見ることもしてみました。その結果、できていると思っていたことが何一つできていなくて唖然としました。この作業は苦痛なのですが、慢心や過信がなくなり、音楽や演奏に真摯に向き合えるようになったと思います。
──今後目指す演奏家像や将来の展望をお聞かせください
幅広い知識を有し、様々なことに興味のアンテナを張った音楽家、楽器の枠を超えた理解力をもったオーケストラ奏者でありたいです。そのために、良い意味で音楽バカであるべきで、でも音楽バカだけになってはいけないと思っています。生きている限り人としても音楽家としても成長・挑戦していたいですね。
──最後に、これからくにたちを目指す人たちへアドバイスを
音楽は本質的には競争するものではありませんが、現実的には競争を避けられません。くにたちはそれが適度にあるバランスの良い大学だと思います。日本のクラシック音楽界も100年以上の歴史があり、ヨーロッパ諸国と比べても遜色ない文化になってきています。やがては自分たちがそれを担う時代が来るでしょうし、さらに、その先を担う世代になっていきます。いつの時代も、そうした音楽家たちがくにたちから輩出されることを願っていますし、その礎はくにたちにあります。ぜひ、「その気」になってほしいと思います。
