島村幸大(舞台俳優)
先生との出会い、仲間との出会い。
くにたちでの出会いが、
前へと進む原動力になっています。
/2015年9月
プロフィール
島村 幸大さん(しまむら ゆきひろ)
SHIMAMURA Yukihiro
舞台俳優
群馬県吾妻郡出身。高崎経済大学附属高校芸術コース音楽系ピアノ科卒業。幼少時より日本舞踊を習い、19歳で師範の免状を取得するなど、豊富な舞台経験を持つ。高校3年生のときに『マンマ・ミーア!』を観劇して劇団四季への入団を志し、国立音楽大学・声楽学科に進学。2008年に劇団四季研究所に入所。同年『ライオンキング』で四季での初舞台を踏む。
主な出演作品に『ライオンキング』(アンサンブル/シンバ)、『嵐の中の子どもたち』(ポー)、『はだかの王様』(王女の恋人デニム)、『ジョン万次郎の夢』(五右衛門)、『むかしむかしゾウがきた』(太郎坊)。
主役のアラジン役の一人として出演中の最新作『アラジン』は、劇団四季のチケット初日販売枚数記録を更新する人気で大きな話題となっている。
インタビュー
年間3,000回以上の公演数を誇る劇団「劇団四季」に所属する島村幸大さん。
2015年5月に開幕したミュージカル『アラジン』では、自身初のタイトルロールとなるアラジンを演じています。
舞台俳優をめざして進学し、その夢をかなえた島村さんに、その軌跡と、知られざる苦労についてお聞きしました。
どんな役にも染まる
「透明な役者」をめざし、
ゴールのない道をまっすぐ突き進んでいます。
アラジンはこれまでの役でいちばん大変
──最新作『アラジン』すごい人気ですね。
開幕前に年内のチケットがほぼ売り切れてしまい、出演者もスタッフも皆とても興奮しましたが、反面、怖さも感じていました。実際に観に来たお客様がどんな反応をされるか不安でしたが、幕を開けてみると、ありがたいことに反応も良く、またミュージカルコメディということもあって、他の作品以上に笑いもいただいています。
──アラジンを演じる上で特に意識していることはありますか?
これは大学時代から言われてきたことですが、正確な音程で歌うことは常に心掛けています。特に『アラジン』には、単純な旋律だからこそ、一つ間違えると台無しになってしまうような曲がたくさんありますから、音程にはいつも以上に心を配っていますね。
それと、アラジンは常にまっすぐな人間なんです。今日を生きることにも必死ですし、女性への愛も、友との友情にも必死でまっすぐ突き進む。そういうアラジンのまっすぐな部分は大事にしたいと思っています。また、アラジンは自由を求める人間でもあり、「自由」はこの作品のテーマの一つでもあります。日常生活の中で何かに縛られている人、自由を求めている人たちに、「もっと自分を解放してみては?」というメッセージを込めて演じたいとも思っています。
──3時間弱の公演中ほとんど舞台に立っているそうですが、体力的にはいかがでしょうか?
「今後、これ以上大変な役があるだろうか?」と思うほど大変ですね(笑)。アラジンがストーリーをひっぱっていくので、水も飲めないほど舞台に出っぱなしですし、セリフ量も歌うシーンも多く、しかも、屋根から飛び降りるなどアクションもたくさんあります。稽古前に比べると8kg体重が落ちました。
──『アラジン』以前にも数多くの舞台に立たれていますが、 毎日のように舞台に上がるのは大変なのでしょうね?
確かに、全国を回って年間約250ステージに立ちながら、合間に『ライオンキング』に出演するなど、忙しい時期もありました。ですが、旅公演ではその土地の美味しい物を食べたり、地元の方と触れあったりできますし、何より多くの共演者やスタッフの方々と交流できるのが楽しいです。大変なこともありますが、今は楽しみながら俳優業ができていると思います。
劇団四季をめざして突き進んだ学生時代
──子どもの頃から日本舞踊を学ばれていたそうですね?
高校3年生の夏まで、幼いころから習っていた日舞での進学を考えていました。そんなある日、劇団四季の『マンマ・ミーア!』を観て、「これだ!」と。そこで、ミュージカル俳優になるには歌の勉強をちゃんとしなければと思い、国立音楽大学に進学しました。もともと歌は好きでしたし、高校もピアノ科だったのでまったく未知の世界というわけではありませんが、声楽のことはほとんど何も知らずに入学してしまいました。
──大学ではどのようなことを学ばれたのですか?
劇団四季をめざして入学したので、3年生からは日本語で美しく歌うことを学ぶ日本歌曲を専攻しました。劇団四季は言葉を大切にしていて、歌にしろセリフにしろ、その言葉の持つイメージをいかに客席に届けられるかが問われます。ですから、日本語の意味を深く理解し、しっかりとイメージを持って美しく歌うことを大学で学べたことは、今とても役に立っています。
また、僕は指導教員の希望は特になかったのですが、偶然出会い、師事することになったのが田中淑惠先生でした。先生は呼吸を大事にしていて、歌う前にしっかり呼吸の準備をすることを教え込まれました。実は、劇団四季でも腹背筋を使ってしっかり息を取る(劇団四季では息を“吸う”ではなく“取る”と言う)ことを教えているんです。また、僕はバリトンで入学したのですが、先生からのアドバイスで、テノールに変えました。それがなかったら、テノールで歌うシンバやアラジン役はできなかったでしょうね。
──くにたちでの学生生活はいかがでしたか?
僕は群馬の本当に田舎の方の出身なので、自然に囲まれた大学の環境は自分に合っていたと思います。都会の大学とは違い、郊外の大学に通ったおかげでのびのびと学ぶことができ、休み時間には友人とキャッチボールをしたりテニスをしたりして過ごしたこともありました。キャンパスから望む富士山の景色も良かったですし、高尾山もそう遠くなく、在学中はしょっちゅう登っていました。
夢を実現し舞台俳優へ
──劇団四季をめざして進学し、4年次にみごと研究所に入所。
主役も数多く務め、順風満帆な人生に見えます。
いえいえ。作品ごとに挫折を味わっていますよ。最初の大きな挫折は、初めて『ライオンキング』のシンバ役をいただいたとき。稽古中に肉離れを起こしてしまい、しばらく稽古に出られなかったんです。そんな自分が情けなくて、恥ずかしくて・・・・・・。1カ月くらい稽古場に向かう電車に乗ることができず、退団届まで用意しました。その後、少し落ち着き稽古場へ顔を出したところ、演出家がニコッと笑って「よし!今から歌を聞く!」と、落ち込んでいた自分に手を差し伸べてくれたんです。その一言はすごくありがたかったですね。今の自分があるのはその一言のおかげだと思っています。
他にも、入団してからバレエを習いだしたので踊りでも苦労しましたし、『アラジン』では初めてのタイトルロールな上、ブロードウェイから来ているスタッフも初の海外公演ということで大きな期待を寄せており、かつてないプレッシャーを感じました。出番の直前になると落ちつかず、毎回、舞台袖をうろうろしていますよ(笑)。
──そんなご苦労があったのですね。
今後、島村さんはどのような俳優でありたいとお考えですか?
俳優業ってゴールがないと思うんです。観に来るお客様も毎回違いますし、受け取り方も人それぞれですから。僕としては「こう受け取ってほしい」という演技ではなく、とにかくいただいた役を生きることを大事にしたいと思っています。以前、日本舞踊を習っていた家元から「透明な役者でありなさい」と言われたことがあるんです。白い色を持っている俳優に黒を足すとグレーになってしまいますが、透明なら白にも黒にも染まることができる。僕は幸いなことに、いろいろな役をやらせていただいていますので、いただいた役の色に染まれる透明な俳優でありたいと思い続けています。
志した道に向かい続けていれば道は開く
──くにたちをめざす人へのアドバイスをお願いします。
うーん、難しいですね。僕自身が何も知らずに入学してしまったので(笑)。でも、くにたちに来る人は、何かしら志を持っていると思います。そのやりたいことに向かって、突き進んでほしいと思います。僕は子どもの頃から「俳優になりたい」と言い続け、その道を突き進んできました。自分が志した道にまっすぐに向かい続けていれば、何らかの形でその道が開けてくると思うんです。くにたちには、やりたいことに突き進む人たちが集まって来ています。みんながいい意味でライバルですから、僕も「負けてられない!」と大いに刺激を受けました。学科や専修を越えた仲間と出会うこともでき、卒業後も、フィールドは別になりますが、友人の活躍を耳にするとうれしいですし、「自分もやってやろう!」とやる気が湧いてきます。そういう一生のつながりが育めるのは、くにたちの良いところだと思います。
『アラジン』も大学のころの友人が早速観に来てくれました。くにたちって、そういうきずなが強いところがあると思うんですよね。これからくにたちで学ぼうというみなさんも、ぜひ大学で良い出会いを経験して、それを大切にしていってほしいですね。
