国立音楽大学

澤畑恵美(声楽家)

ドーランの匂いが呼び覚ます記憶/1993年11月

プロフィール

澤畑恵美(声楽家)

澤畑恵美さん(さわはた えみ)
SAWAHATA Emi
声楽家

国立音楽大学声楽学科卒業。同大学院修了。
文化庁オペラ研修所第7期生修了。
佐藤峰子、別所恵子の両氏に師事。
第58回日本音楽コンクール声楽部門第1位入賞、あわせて福沢賞、木下賞、松下賞を受賞。
1990年より1年間文化庁在外研究員としてミラノへ留学し、1991年帰国。 帰国後は、「コシ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ、「よさこい節」のお馬、「魔笛」の夜の女王、「夕鶴」のつう、「蝶々夫人」のタイトルロール、「椿姫」のヴィオレッタ、「カルメン」のミカエラなど、大役を次々演じる。
可憐な声に、高い歌唱力、舞台映えする容姿に、大器を期待されている。 また1992年の「こうもり」のアデーレ、1993年の「春琴抄」(三木稔)の春琴役に対して、第21回ジロー・オペラ賞が与えられた。
オーケストラとの共演など、多くのコンサートにも活躍している。二期会会員。現在、国立音楽大学非常勤講師。

インタビュー

ある匂いがきっかけになって、記憶のかなたに眠っていた情景がいきいきとよみがえってくることがあります。視覚的な光景ばかりでなく、その時の自分をつつんでいた空気の感じ、心に抱いていた感情までもが鮮烈に呼び覚まされて、思わずノスタルジックな感慨にふけってしまう――といった経験はだれにでもあるのではないでしょうか。

オペラに目覚めた瞬間

1993年、オペラ『春琴抄』の春琴役でジロー・オペラ賞を受賞した声楽家・澤畑恵美さんの場合、そんな懐かしい“匂いの記憶”として心に強く焼きつけられているものの一つが国立音楽大学の大学院時代にオペラ公演で使っていたドーランの匂い。今でもその匂いをかぐたびに当時の緊張感を思い出して胸がドキドキと高鳴ってしまうそうです。実は大学院時代の澤畑さんにとって、オペラはどちらかというと苦手な分野だったのです。

「音楽だけで純粋に感動することができるのに、どうして身体の動きを加えなければいけないんだろうと思っていました。演技によって表現するということに抵抗があって、舞台上でどう動けばいいのかわからない。だから、いつも本番前はすごく緊張してしまって……。オペラなんてやりたくない、自分はコンサートで歌っていくんだと思っていました。」

そんな澤畑さんにとって、大学院での厳しい演技指導はつらいものでした。それが先生の優しさに根ざした、実力を伸ばすための厳しさであったことに気づいたのは数年後のこと。しかし、指導の成果はすぐに現れ、澤畑さんの隠れていた才能が開花しました。大学院2年目のオペラ公演で演じた『コシ・ファン・トゥッテ』のデスピーナ役。それが、彼女の人生を変えるターニングポイントとなりました。

「デスピーナは客席に向かって話しかけることの多い役で、劇の進行につれて観客と自分との関係、コミュニケーションが自然と成立していくんです。
客席と自分が結ばれていくのが快感で、『自分もこんなにテンションの上がる人間だったんだ』と思ってしまうほど没入していました。その時、初めて『オペラって楽しいな』と感じることができたんです。」

表現者の心の中にあるものが歌や演技を通して観客に伝わり、心を揺り動かす。そのバイブレーションが表現者の心を揺さぶり返す。そうしたやりとりが互いをインスパイアしあって、双方の心が共振する――このようなコミュニケーションの快感が、澤畑さんをオペラのとりこにしてしまったのでしょう。

「何かを表現する場合に、もとから自分をポンポン出せる人とそうでない人がいると思うんです。どちらかというと私は後者で、自分の中にたまっているものをどう出せばいいのか、舞台上でどう形にしていけばいいのか、その方法を見つけるのに時間のかかるタイプだったんです。」

声と身体で伝えていきたい

最近、澤畑さんは本番前の舞台袖でこんなことをよく考えるそうです。見に来てくれた人たちが少しでも何かを感じて、来てよかったなという気持ちになって帰ってくれたらいいな……と。

「『どう歌うか、どう動くか』ばかりにこだわらず自然体で取り組めるようになって、以前とは違った喜びを舞台に感じるようになりました。もちろん自分の満足のために歌う部分はあるのですが、それよりも自分の歌を皆さんに喜んでいただくことのほうが大きな喜びなんです。」

声と身体を通して音楽で何かを伝えていくことこそ自分の使命であり、生きていくことの意味である――確信に満ちた表情できっぱりと言い切る澤畑さん。彼女の目には、人生において自分のやるべきことがはっきりと見えています。生きる目標が定まった時、人は肩の力を抜いて生きられるようになるのかもしれません。だからこそ、大学院時代の苦しかった思い出さえも、ドーランの匂いとともに懐かしい記憶として心にとどめておくことができるのでしょう。

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