三戸正秀(チェロ奏者)
チェロの魅力を最大限に引き出したい/1985年9月
プロフィール
三戸正秀さん(さんのへ まさひで)
SANNOHE Masahide
チェロ奏者
1958年 青森県生まれ。
中学時代まで弘前で過ごしたあと、上京し国立音楽大学附属音楽高等学校へ。
同校在学中に小野崎純氏に出会い、本格的にチェロ奏者を志すようになる。
さらに同校卒業と同時に1977年国立音楽大学器楽学科に入学、器楽学科で学び、卒業後2年近くの胎動期を経て、1983年2月NHK交響楽団のオーディション合格。
チェロ奏者として現在にいたっている。
恩師である小野崎純氏とは1994年まで演奏をともにした。
現在、国立音楽大学講師。
インタビュー
N響入団を支えた厳しい指導
「オーディションのときはもう大変でした。各自自分の好きな曲を弾いていいということだったので、僕はサン・サーンスのコンチェルトを弾いたんです。何しろ世界的に有名な楽団でしょ、自分でも信じられないぐらい上がっちゃって。弓が弦につかなかったのを覚えています。」
NHK交響楽団のチェロ奏者である三戸さんは、同楽団のオーディションを受けたときの様子をこう語ってくれました。
国立音楽大学を卒業したのが1981年3月。N響に入団したのがその2年後の2月。N響では欠員がない限りオーディションは開きません。しかも、たとえ欠員が生じても公募はしない。N響の団員の推薦がある者だけに、オーディションの資格が与えられます。三戸さんはこの資格を2年という短期間で得ることができたのです。
「入るならN響だと決めていました。それで大学卒業後も小野崎純先生――高校時代からお世話になっている先生で、N響のチェロ奏者でもあるんですけれど――その先生に付いて勉強しました。厳格な方なんですが、とにかく僕の顔を見るたびに『練習が足りない、練習が足りない』で、左手の指のたこより耳のたこのほうが硬くなりましたね(笑)。」
練習は高校時代が1日6時間ぐらい、大学時代には8時間前後。高校の頃、何度もまちがえたり暗譜していかなかったりすると、楽譜を投げられて「やる気がないなら出てけ。」といわれたというエピソードもあります。小野崎先生は音楽で身を立てたいと思っている三戸さんの気持ちを十分理解していたから、余計に厳しかったのでしょう。
三戸さんは小野崎先生を「もう一人の父親」といいます。そのもう一人の父親とも一緒に、今、三戸さんは年間100回以上のステージに上がっています。
「一番強く印象に残っているのは、故ロヴロ・フォン・マタチッチさんとの共演。巨木のような方でした。それこそ弓が折れるくらい弾きました。生涯忘れることはできませんね。」
ヴァイオリン弾きからチェロ奏者へ
幼い頃はヴァイオリン弾きになることが夢だったとか。『山の音楽家』という歌に出てくる、“上手にヴァイオリン弾いてみましょ……”というフレーズをいつも口ずさんでいたそうです。実際ヴァイオリンの個人レッスンを受けていたのは、幼稚園に通っていた頃から小学5年生ぐらいまで。あまり上達しないのでやめてしまいます。
三戸さんがチェロに打ち込むようになるのは高校に入ってから。中学時代は音楽を一時中断し、野球に熱中……。
「でも、音楽への興味は相変わらず強いものがありました。それで附属高校に進んだわけですが、小学校の頃、合奏クラブで一時チェロを弾いたことがあってチェロをはじめたんです。それともう一つ、その合奏クラブの先生に、“チェロ人口はまだ少ないから、勉強次第では将来プロになることも可能だ”なんていわれたことが頭から離れなかった……。」
最後に、三戸さんはチェロの魅力についてこう語ってくれました。
「よくいわれることなので今さらという感じもあるんですが、チェロには4オクターブを超える領域があって、その幅は人間の声域にとても近いんです。つまり男性的な重量感のある音も出せれば、女性的な透明感のある声も出せる楽器なわけです。これがやはりチェロの一番の魅力でしょうね。その魅力を最大限に引き出せるように、これからも努力していきたいと思います。」
