国立音楽大学

新居洋子(歴史学研究者)

くにたちで知った音楽学の面白さが
今の研究の原点になっています

/2019年4月

プロフィール

新居 洋子さん(にい ようこ)
NII Yoko
歴史学研究者

新居洋子(歴史学研究者)

1979年東京生まれ。国立音楽大学附属高等学校普通科、国立音楽大学音楽学部音楽学学科卒業。2004年桜美林大学大学院国際学研究科修士課程修了、2012年東京大学大学院人文社会科系研究科博士課程修了(アジア文化研究専攻)。博士(文学)。東京大学東洋文化研究所国際学術交流室特任助教などを経て、現在、日本学術振興会特別研究員。また桜美林大学・立教大学非常勤講師。18世紀清朝宮廷に仕えたフランス出身イエズス会宣教師アミオによる報告を分析した著作『イエズス会士と普遍の帝国—在華宣教師による文明の翻訳』(名古屋大学出版会)で2018年7月第35回「渋沢・クローデル賞 本賞」、同12月、第40回「サントリー学芸賞 思想・歴史部門」を受賞。

インタビュー

くにたちで出会った「音楽学」をきっかけに、音楽と社会の関係を探る面白さを知った新居洋子さん。
歴史をさかのぼりながら研究を続けていく中、西洋人から見た18世紀の中国文明を読み解く著作は、
2018年度第40回サントリー学芸賞を受賞。在学時代の思い出や研究の道のりをお聞きしました。

“音楽”を学問する面白さに惹かれて

新居 洋子さん

ーご著書『イエズス会士と普遍の帝国—在華宣教師による文明の翻訳』の、サントリー学芸賞受賞、おめでとうございます

 ありがとうございます。嬉しいし驚きもしましたが、それよりもむしろほっとした気持ちです。大学時代から紆余曲折があってたどり着いたテーマで、今も研究は試行錯誤の連続です。常に不安感がありましたが、受賞したことで、これまでしてきたことはさほど間違ってはいなかったんだな、と感じることができました。

ーくにたちでの学生時代からたどり着いた研究なんですね。音楽との出会いを教えてください

 5歳からピアノを習い始めました。祖父がクラシック音楽が好きで、家ではよくレコードがかかっていたし、ピアノやギターもありました。母が通う地元のピアノ教室で、私も一緒に習っていました。その教室の先生もくにたち出身でしたよ。それで親しみもある国立音楽大学附属高等学校に進んだわけです。
 高校受験まではずっとピアノばかりの毎日でした。ところが高校進学の時点で、私には演奏家をめざすだけの才能はないと気づきました。そこから徐々に、将来は演奏家としてではなく何か違う形で音楽に関われる仕事ができないか考えるようになりました。

ーそして大学はくにたちの音楽学学科※へ

 小さい頃から本を読むのが大好きでした。これも母の影響なのですが。事典など開いて調べることが楽しくて。音楽について学問的に研究を行う音楽学学科なら、そういうことを思う存分できそうなのがいちばんの魅力でしたね。音楽を学問していくと、その先にどんな世界が開けるのだろうとワクワクしました。
 入学するとすぐ「音楽学入門」という授業が始まりました。小林緑先生(現・名誉教授)による授業はフェミズムの観点から西洋音楽史を問い直す内容で、本当に新鮮な視点でした。今も同期の仲間と会うたび話題に出るほどです。知っているつもりだった音楽史が、“女性”という切り口を入れるとまるで違った姿を見せるのです。歴史叙述は一つではなく、さまざまな観点での読み解きが集まってこそ全体が見えてくるのだと知りました。

※現・音楽文化教育学科音楽文化教育専攻音楽情報専修

卒業論文テーマを端緒に中国文化に着目

北京石刻芸術博物館で保存されている、在華イエズス会宣教師の墓碑群
北京石刻芸術博物館で保存されている、在華イエズス会宣教師の墓碑群

―学生生活ではほかにどんなことが印象的でしたか

 佐藤真一先生(現・名誉教授)の「西洋史」の授業も楽しかったですね。真面目で紳士的な先生なのですが、時折ボソッとおっしゃるジョークが面白くて。ドイツ滞在中に親しんだというクリスマスのパンやザワークラウトを授業に持ってきてくださって、皆でわいわいと食べたりもしました。

 音楽学を専攻していた学生は4学年合わせて40人前後、同級生は12人でした。少人数なのでとても仲が良く、週に一度は中庭に集まって雑談していました。皆、個性的な仲間ばかりで、それぞれ話す内容は現代思想やマンガ、ロックバンドのこと……。それまで私が知らなかった分野に触れ、世界が広がりました。
 古楽器の授業ではリコーダーを選択し、芸術祭で吹きましたよ。言語はドイツ語とイタリア語を選択。今では全く話せないのが残念ですが、《Sabato Sera》という曜日の歌などはまだ歌えます。図書館もよく行っていましたね。書架を眺め歩き、気になる本を次々と手に取っていく行動をブラウジングと言うんですが、私にとっては欠かせない時間でした。

―そうした中で研究テーマを絞っていかれたわけですね

 卒論テーマは3年次の時に決めました。本当はバロック音楽の研究をしたかったのですが、同期の堀朋平さん(現・非常勤講師)がその方面で大変優秀で。ほかに関心を持てることはないか探っていた時、書店で20世紀中国共産党による音楽や演劇などのプロパガンダ芸術の本をたまたま手にして強烈な関心を持ちました。こういうテーマがくにたちの卒論としてあり得るのか、指導教員の吉成順先生に相談したところ「面白いね」と言ってくださって。中国のプロパガンダ音楽のこともいろいろ教えていただけました。そうして大学図書館で調べながら書いた卒論が、中国文化研究に入るきっかけになりました。

―そしてくにたち卒業後は、桜美林大学や東京大学の大学院へと進まれます

 進路は4年次の時に決めました。研究者になりたいというよりも、もっと勉強をしたいという思いが強かったのです。それだけ、中国文化の深みにはまってしまいました。桜美林大学大学院では中国近代の歴史を研究しました。中国って、歴史は長いし国土も広く、文明も入り乱れていて、なんとも不思議な国なのです。やがて、中国の近代を理解するにはさらに時代をさかのぼるべきだと感じ、東京大学大学院では、中国と西洋の接点となった18世紀のフランス人在華宣教師についての研究に取り組みました。
 結局、好きだったバロックの時代に戻ったのですよね。その頃の宣教師は自分で作曲して北京の宮廷でチェンバロなどを弾き、皇帝の子どもたちに楽器を教えたりしていたのです。

今後は明治期の日本との関係を研究

―現地である中国にはよく行かれているのですか

 東京大学の院生時代に2年間留学し、その後は年に1回は行くようにしています。北京が中心ですけれど、湖南省や福建省などいろいろな場所に行きます。北京の近代化はすごいですよ。世界の有名建築家が手がけたビルも多く、建築に興味のある人たちも各国から見学に来ています。また、西洋との関わりが重点テーマなのでフランスにも年1回行くようにしています。

―今後はどのような研究を進められていく予定でしょうか

 またひとつ新しい方向に行こうとしているところなんです。16〜18世紀に東アジアにやってきた宣教師たちは、ヨーロッパから多くの技術や学問をもたらしました。記された文献は中国でも満州語や漢語に翻訳出版されています。その一部がなんと、明治時代の日本で広まっていたのです。漢籍として、訓点を打って読まれていたのですね。これも図書館の文献を通して気づいたこと。清朝の時代の西洋人宣教師の活動が、明治以降の日本の近代化に関係しているかもしれない……。今はその関心を一つの研究成果へとつなげていくため、いろいろな図書館を回って文献を調べているところです。

―研究上、図書館という場はとても重要なんですね

 本当に図書館にはよく通っています。在学中はくにたちの図書館にもどれだけ助けられ、研究へのヒントをもらえたことか。久しぶりに訪ねましたが、リニューアルされとてもきれいになっていて驚きました。卒業生登録をして、ぜひとも通わせていただきたいです。

―最後に、くにたちをめざす方たちに向けてのメッセージをお願いします

 大学時代とは、いわばモラトリアム期間と言えるものです。そのことこそがいちばん大事だと私は思っています。受験のためでも就職のためでもなく、自分が生きていく上で大切にしていきたい何か、いわば芯のようなものを育んでいって欲しいですね。周りから見れば時間の無駄にしか思えないようなことでも、あなたにとってはその一つひとつがその後の人生に結びつく大切なひとときになるかも知れません。そういう自分だけの輝きの時間を、くにたちで送ってほしいですね。
 そのためにも図書館はぜひ有意義に活用してもらいたいです。図書館は自分の内側へとこもれる場です。私のように、ブラウジングで出会った文献が生涯の研究に結びつくこともあるでしょう。くにたちでぜひ、よい青春の時を楽しんでください。

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