国立音楽大学

永井和子(声楽家)

“一等星”をめざす長い旅へ/1987年4月

プロフィール

永井和子(声楽家)

永井和子さん(ながい かずこ)
NAGAI Kazuko
声楽家

長野県生まれ。
国立音楽大学附属音楽高等学校を経て国立音楽大学声楽学科及び同大学院修了。 文化庁オペラ研修所第4期生修了。
第19回民音コンクール第1位入賞後、1987年G・シノーポリに見い出され、サントリーホール開館記念として行われた、フィルハーモニア管弦楽団による「蝶々夫人」のスズキ(演奏会形式)に抜擢され絶賛された。
この成功により、ベルリン・ドイツ・オペラに招かれヨーロッパデビュー。
以降ローマ、ヴェネツィア、ロンドン、フィンランド等に出演し、国際舞台での地位を築きつつある。
国内においてもロッシーニ「シンデレラ」をはじめ、多数のオペラの経験を積む一方、コンサート歌手としても多彩かつ精力的な活動を繰り広げている。
第1回川崎静子賞、第1回グローバル東敦子賞、第15回ジロー・オペラ賞、第2回村松賞等受賞。
東京芸術大学助教授、国立音楽大学客員教授。二期会会員。中山悌一、伊藤京子、小松道子の諸氏に師事。

インタビュー

留学をめぐる不思議な縁

1983年、第1回「川崎静子賞」受賞、1984年の民音コンクールではメゾ・ソプラノとして初めての1位入賞、そして1987年、第1回「グローバル東敦子賞」受賞――ここ数年、賞づいている永井さんですが、意外なことに海外留学の経験がないのだそうです。この世界では、留学することはもはや当たり前であるかのように思われるのですが……。

「もちろん、私だって外国へ留学したいと考えていました。でも、留学しようと思うたびに国内で大きなイベントやコンクールがあったりして、タイミングが合わなかったんですね。」

そう語る永井さんですが、留学のチャンスが全くなかったわけではありません。コンクールの副賞で海外派遣という話もありました。でも、ちょうどそのとき、国立音楽大学の非常勤講師に決まり、これも何かの巡り合わせと思い、留学はあきらめることに。ただ、コンクールの事務局から、せめて旅行でもいいから行ってきなさいとすすめられて、ヨーロッパへ行くことになりました。

「3カ月の予定でしたが、演奏活動が忙しくなりはじめていたときなので、1カ月しか余裕がなかったんです。そうしたら、行ったその日に日本から仕事のことで電話がかかってきて、結局、2週間だけの旅行になってしまいました(笑)。」

声楽は個性そのもの

長野県岡谷市出身の永井さん。実家は和菓子屋で、ご両親は音楽を聴くことが大好きだったそうです。音楽を始めるきっかけとなったのは、お姉さんがオルガン教室へ通うのについていったこと。最初は庭で遊んでいるだけでしたが、いつのまにか自分も習いたいと思い、それから音楽と深く関わっていきます。そして中学1年の夏休みに、永井さんにとって、最初の転機が訪れます。

「向かいの家に、国立音楽大学附属音楽高校の先生が住んでいらっしゃったんです。私がピアノの練習をしているのを聴いて、『あなたは手が小さくピアノは伸び悩むだろう。音楽を続けるのなら声楽のほうがいい』と。それから月に1度東京へ通い、先生の指導を受けるようになったんです。

声楽というのはその人の声がそのまま個性につながるので、とにかく個性的なことをしたい、平凡に一生を過ごしたくないという私の気持ちと一致したわけです。」

しかし、東京で声楽の勉強を重ねるうちに、他人とのレベルの差に焦りを感じることもありました。とにかく、他人より早く本格的な勉強をしなければと考え、国立音楽大学附属音楽高校へ進学することを決意。その後、国立音楽大学声楽学科から同大学院オペラコース、二期会研究生を経て文化庁オペラ研修生と、勉強の連続です。

「オペラ歌手になろうと決めたのは大学院時代。ただピアノの前で歌うよりも、芝居をしながら歌うことができる。自分以外の人物を演じることができるというのは最大の魅力ですね。自分のいろいろな面を出すことができます。」

内から輝くホンモノの歌手に

現在、ロッシーニの『シンデレラ』公演に向けて、精力的に稽古に取り組んでいる永井さん。多忙なコンサート活動のかたわら、国立音楽大学の非常勤講師として後進の指導にあたっています。そんな永井さんには大きな目標があります。

「自分にとっての“一等星”という目標を見つめて努力する。そうすると、自然に望んでいることが向こうからやってくるんです。ホンモノの歌をうたえるようになりたい。ホンモノの歌とは、自分を隠すのでもなく、ボロを隠すのでもない真実の歌です。民音コンクールでの1位入賞も、“一等星”をめざす長い旅の過程で到達した一つのポイントだと考えているんです。」

ホンモノの歌をうたうことができるようになること。そして1ミリでもそこに近づく姿勢が、永井さんを“一等星”に導いています。また、聴きにきてくれた人たちを、まがい物でごまかして喜ばせるのではなく、常にホンモノを見せて納得させることが大事だといいます。
「私はメッキではなく、内から輝くホンモノの歌手をめざしています。そして、メゾ・ソプラノの歌手が誰しも憧れる『カルメン』に、いつかチャレンジしたい。」

その言葉の中に、声楽家として、教育者として活躍する永井さんの確固たる信念がうかがえます。“一等星”は、一歩一歩着実に近づいているようです。

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