森内剛(ソリスト/ピアニスト)
モーツァルトやベートーヴェンが、実際に歩いた道を歩き、吸った空気を吸う。そのこと自体が何よりも「勉強」になる。/2006年9月
プロフィール
森内剛さん(もりうち たけし)
MORIUCHI Takeshi
ソリスト/ピアニスト
1979年東京都生まれ。2002年に国立音楽大学器楽学科(ピアノ専攻)を卒業。卒業演奏会、読売新人演奏会などに出演。2001年12月には、桃華楽堂新人演奏会に伴奏者として出演。ピアノを武地朋子、吉野康弘、岡山京子、進藤郁子、ミヒャエル・シュナイト、ジョージ・ケルンの各氏に、コントラバスを松野茂氏に師事。
これまでにソリストとして、チェコ国立モラヴィアフィルハーモニーをはじめとする国内外のオーケストラと多数共演。また2002年7月には第3回日本アンサンブルコンクールにおいて優秀演奏者賞を受賞。ソリストのみならず、声楽、器楽の伴奏者、室内楽奏者としても高い評価を得ている。
指揮者としては1999年よりクルト・レーデル氏に師事。2000年、2004年夏に開かれた同氏によるコンクールで上位に入賞し、入賞者演奏会でハンガリーのエルノ・ドホナーニ交響楽団(ブダペスト)、チェコ国立モラヴィアフィルハーモニー(オロモウツ)を指揮。また2000年、2003年の国際音楽祭ヤング・プラハに合唱指揮者として参加し、チェコ各地で好評を得る。2005年の同音楽祭では、プラハのチェコ国立銀行ホールでプラハ交響楽団によるファイナルコンサートを指揮し、公式にプラハデビューを果たした。
現在はオーストリア国立ザルツブルク・モーツァルテウム大学指揮科に在籍。デニス・ラッセル・デイヴィス、ヨルゲ・ロッターら各氏のもとで研鑽を積んでいる。
夢は、ピアニストと指揮者の両方で認められること。モーツァルトが生まれ育ったザルツブルクで、毎日の生活そのものから“音楽”を勉強中です。
インタビュー
「音楽」に対する自分自身の可能性を常に追求し続ける森内剛さん。
国立音大在学中から演奏者として、指揮者として、数々の演奏会やコンクールなどで、その多才ぶりを発揮した。現在はさらなる可能性を求めて渡欧し、より高度な技術を磨く日々。
何ごとにも“アクティブに生きる”ことの意義と楽しさを自身の経験も踏まえ、その思いとともに熱く語ってもらった。
国立音大で出会った、さまざまな音楽のカタチ
森内さんの音楽歴は、5歳のときに習い始めたピアノからスタートする。実は、両親揃って国立音大出身。いつも音楽に囲まれた環境で育ったため、森内さんが音楽を始めることはごく自然な流れだったという。その後、国立音大の附属小学校に入学。以来、中学・高校・大学と「くにたち」で過ごすことになる。
「漠然とながら指揮にも興味を持ち出したのが高校のころ。ずっとピアノの練習を一人の世界でやってきた反動で、大勢で演奏するオーケストラへの憧れがあったのかもしれません。」
大学入学時はピアノ専攻を選んだものの、ピアノにも指揮者にも将来の目標は決められず、というよりはあえて決めないまま、何にでもチャレンジして自分の可能性を試してみようと考えた。
実際に大学時代は、いろいろなところに顔を出し、精力的に動き回った。また、「それができる環境が国立音大にはあった」と語る。「何しろさまざまな音楽の道をめざす人の集まりですから、その気になれば本当にあらゆる音楽に触れることができます。例えば、ピアノをやっていた関係で、よく声楽の友人から伴奏を頼まれることがありました。何人かの友人の伴奏を担当すると、その先生の教え方を目の当たりにできます。この経験を通して、先生によって異なるいろいろな指導法や音楽の作り方を数多く知ることができました。」
ヨーロッパには国民誰もが音楽を好きになれる土壌がある
国立音大で出会った、さまざまな音楽のカタチ国立音大を卒業してからも、「もっと学ぶべきものがあるという気持ちでいっぱい」だったという森内さんは、自分自身をもっと成長させるために渡欧を決意。現在、オーストリア国立ザルツブルク・モーツァルテウム大学指揮科に在籍し、指揮法について学んでいる。
「オーストリアで暮らすことになってまず感じたのは、日本とヨーロッパとの音楽に関する歴史や文化の大きな違いでした。考えてみれば日本にクラシックが伝わり、たかだか200年。当然現地では、もっと以前から庶民の生活に根付いています。そして現在でも気軽に音楽という芸術に親しめる環境が整っています。国民誰もが音楽を好きになって当然だと思われる土壌があるのです。」
今でこそ長く海外で音楽活動を経験した音楽家が、その地域独自の文化を日本に持ち帰り、それを広く伝達したりなど、日本にいてもクラシックを学べる環境は年々充実しつつある。しかし、その教育の中身の問題ではなく、ヨーロッパという街にいること自体が勉強になることを森内さんは現地で実感した。
「モーツァルトやベートーヴェンが実際に歩いた道を歩き、吸った空気を吸うということ自体が何よりも“勉強”になるのです。」
音楽を学ぶうえでは、日本とヨーロッパの人種の違いも大きい。日本人は外からの情報などを吸収する能力に優れているが、逆に自分自身を外に出すことには臆病になりがち。森内さん自身も現地で大いに鍛えられたらしい。
「やはり自分から動かないと本当のコミュニケーションは取れません。つねに“アクション”でないと。でも日本はいわば“リアクション”の文化。自ら動くのではなく、何かワンクッションあってようやく行動を起こす感じです。音楽を表現するときに、楽譜に対してアクションでなくリアクションしていては進歩はありません。音楽をめざすプロとして“アクション”が重要であることを学べた経験は大きいです。」
まったく違う環境のものを同時に追求する面白さ
ピアニストとして、また指揮者として、両方で一流になることが今の森内さんの目標。「ピアノも弾ける指揮者」や「指揮もできるピアニスト」と呼ばれるのではなく、あくまでも両方ともに一流を目指している。
「それぞれ練習法も違うのに大変でしょ、とよく聞かれますが、ピアノも指揮も同じ音楽。ピアノの練習が指揮法に役立つこともありますし、その逆のことも確実にあります。ピアノと指揮の両方を追求することで、お互いの相乗効果をうまく引き出せていると思います。」
ちなみに指揮者をめざすにも何か楽器ができることが理想とされている。オーケストラを率いるので、オケを構成する楽器を連想しがちだが、ヨーロッパではピアノを弾ける指揮者が有利といわれる。これはいつもオケと一緒に練習できるわけではない指揮者が、奏でる音をイメージするのにピアノが有効なのだそうだ。
また、森内さんは、ピアノと指揮というまったく違う環境のものを同時にめざす面白さも感じている。
「例えば、ピアニストはたった一人の世界。スポーツでいえばフィギュアスケートみたいなものです。自分自身ですべてを背負わなければいけない。成功しても失敗しても自分の力です。一方の指揮者は、オーケストラに対する責任が生じます。成功すればオーケストラ全員の力。もし失敗すれば指揮者の責任。例えれば野球やサッカーなど団体競技の監督みたいなものでしょうか。そんな両極端な立場のものを同時に追求できるよろこびを感じています。」
スポーツを見ていて知らない間に音楽の世界と結び付けて共感したり、 料理のときに食材を選んだり、味付けをしていて指揮者と同じだなと感じたり、 日常生活のワンシーンが、何かを教えてくれることがある。
「そういったことが結構、重要なヒントを与えてくれたりするんですよね。」
常に現在進行形でなければ進歩はない
学生時代からアクティブな活動を信条としていた森内さんは、大学在籍時はもちろん、卒業後も国立音大主催のオペラにコレペティートルやオーケストラ奏者として参加したり、合唱団の指揮をしたり、大学と深い縁が続いている。今年の6月にもサントリーホールが毎年定期的に行っている『レインボウ21』*で国立音大の企画が採用され、指揮&チェンバロ奏者として参加した。日本とオーストリアをほとんどトンボ返りのようなスケジュールのなか、在学生および卒業生で結成された室内オーケストラ「クニタチ・コンソート・オブ・ミュージック」のメンバーとともに、有意義な時間を過ごすことができたという。最近、指揮をしていて、音楽はただ聴かせるだけのものではなく、見せるものでもあるはずだと強く感じています。クラシックを楽しむのにCDの音で満足されていては、音楽家として情けない。
やはりライブで見て、聴いて、臨場感を体感していただかないと。そんな見せる(魅せる)指揮法をもっと磨いていきたいと思います。」
常に現在進行形でなければ進歩がないし、生きている価値がないとさえ断言する森内さん。
「まだ自分の知らない「音楽」は山ほどあるはず。今はピアニストと指揮者を追求していますが、それでいいのかどうかは、まだ僕自身、結論は出ていません。もしかするとこのまま見つけられないのかもしれない。本当に極めるべきものに一生のうちに到達できれば、それで幸せだと考えています。」
