国立音楽大学

松居直美(オルガン奏者)

新しいオルガンの世界を、この国に/1990年4月

プロフィール

松居直美(オルガン奏者)

松居直美さん(まつい なおみ)
MATSUI Naomi
オルガン奏者

国立音楽大学器楽学科オルガン卒業。同大学院在学中に「第2回日本オルガンコンクール」第1位。
1982年よりドイツ、フライブルク音楽大学に留学。
在独中に「第21回ブダペスト国際音楽コンクール(リスト・コンクール)オルガン部門」(1983年)、「第34回ニュルンベルク国際オルガンコンクール」(1985年)、の2大国際コンクールを連続制覇し、一躍世界の注目を浴びる。
1985年帰国、本格的コンサートオルガニストとして活動を開始。
バロックから現代曲までをこなし、全国各地の大オルガンを舞台に活躍。同時に主要オーケストラと共演、CD発表、TV・ラジオ出演、さらにプロデュース等、幅広い活動を続けている。
また、海外活動も1988年ロンドン・ロイヤルフェスティバルホールのリサイタルを皮切りに活発に行っている。
日本オルガニスト協会会員。所沢ミューズ・アドヴァイザー。

インタビュー

無人の講堂大ホール。静まり返ったホールの正面に設置された巨大なグランドコンサートオルガンは、その外観だけでも人を圧倒する迫力を持っています。

「じゃ、ちょっと演奏してみましょう。」
と演奏台に着く松居さん。慣れた手つきでストップを操作し、鍵盤の上へ指を運びます。すると、荘厳な音色が広いホールいっぱいに流れはじめました――。

第一印象は「キラキラした音」

「初めてパイプオルガンの音を聴いたのは、小学校6年の時。街の教会で聴いたんです。ちょっとした“衝撃”でしたね。」
今や日本を代表するコンサートオルガニストと呼ばれるまでになった松居さんは、オルガンとの最初の出会いをそう語ります。「たいへん魅力的な、キラキラした音だった。」と。
「それまでピアノを習っていましたから、いろいろ音色を変えられたり、足鍵盤で低音が出せたり、といったピアノにない部分をまず面白いと感じました。」

こうした第一印象のよさに魅かれて、中学生になるとさっそくオルガンのレッスンを受けはじめた松居さん、その後の数年間で、少しずつこの楽器ならではの魅力に引き込まれていったのでした。そして、より本格的にオルガンを学ぶために国立音大へ進学。大学院時代も含め、6年間を国立で過ごしました。
「国立音大では、同じオルガンを学んでいる仲間がそばにいるわけですよね。それが、入学前といちばん違う点でしょう。みんなオルガンが好きで好きでたまらない人ばかり。今こんな練習をしてる、こんなことを考えているなんて、毎日話しあえる友人がいるのが何よりうれしかったし、大きな刺激にもなりました。」

さらに大学院修了後、松居さんは恩師である吉田實教授に紹介され、ドイツのフライブルク音楽大学へと留学しました。
「でも別にプロの演奏家をめざして留学したわけではなかったんです。ただ単に、もっと勉強したかったというのが正直な気持ちでしたね。その頃、日本にはオルガンのあるホールが数えるほどしかなく、『プロになっても、いったいどこで演奏すればいいの』という時代でしたから。」
ずっと鍵盤を叩いていたからタイピストになれば速く打てていいかも、なんて考えたこともあったんですよ――と冗談めかして松居さんは話します。

この巨大な楽器が持つ魅力

「音楽以外にも学ぶことが多かった。」というドイツでの留学生活。遠く離れた母国の伝統や文化の素晴らしさ、あるいは欠点などを外から改めて見つめていると、いつも同じ疑問が松居さんの頭の中に浮かんできました。あの国でオルガンと取り組んでいくには、どうすればいいのだろう、どんな方法がベストだろうか――。

1985年の秋、さまざまな経験を得て帰国した松居さんを迎えてくれたのは、ブダペストとニュルンベルクの2大コンクールを制した期待の国際派オルガニストという称賛の声。そして、サントリーホールをはじめ多数の新しいホールの出現で大きく改善されたオルガンを取り巻く環境だったのです。
「ここ数年でオルガンを設けたホールが急に増えてきました。もしかするとヨーロッパとは違う日本の“オルガン文化”が生まれはじめたのではないか――今、そんな気がしているんです。」

松居さんがオルガンという楽器の底知れぬ魅力を追い求めているうち、いつの間にか時代も、この巨大な楽器の魅力に気付きはじめたようです。

PAGE TOP

お問い合わせ・資料請求
学校案内、入学要項などをご請求いただけます
資料請求
その他、お問い合わせはこちらから