国立音楽大学

森口賢ニさん(バリトン歌手)

自分がやりたい役とできる役とは違う。「森口賢二を使いたい」と言ってもらえる作品なら、どんな役にでも全力でチャレンジしていきたい。/2006年4月

プロフィール

森口賢ニさん(バリトン歌手)

森口賢ニさん(もりぐち けんじ)
MORIGUCHI Kenzi
バリトン歌手

神奈川県厚木市出身。県立厚木高校卒業後、1992年に国立音楽大学声楽学科に入学。卒業後、大学院に進み、1998年に修了。田口興輔氏に師事。第35回、第36回日伊声楽コンコルソ入選。第68回日本音楽コンクール声楽部門(オペラ・アリア)入選。第22回飯塚新人音楽コンクール第1位入賞。「ドン・ジョヴァンニ」のタイトルロールでオペラ・デビュー。その後「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」「カルメン」「ラ・ボエーム」「愛の妙薬」「カヴァレリア・ルスティカーナ」など、数々のオペラに出演。また、コンサートのソリストとしても、ベートーヴェンの「第九」、フォーレの「レクイエム」などに出演。現在、藤原歌劇団団員。本年秋より文化庁の新進芸術家海外留学制度で1年間イタリアにて研修予定。
本年、5月10日(水)には、サントリーホール20周年記念公演/国立音楽大学創立80周年記念事業として公演される「ファルスタッフ」で、レナート・ブルゾン氏との共演が予定されている。

知れば知るほどオペラは奥深い。オペラをもっと気軽に楽しめる環境を.日本にも根付かせたいですね。

インタビュー

小学校2年生から6年生までピアノを習ってはいたものの、特別音楽に強い関心を抱いてはいなかったという森口賢二さん。バリトン歌手としてオペラの舞台に立つまでの森口さんの人生は、決して平坦な道ではなく、大きな山場の連続だったといえる。「スポーツと音楽の取捨」「コンクールの壁」「イタリアの空気」など、人生の分岐点でさまざまな決断に迫られた森口さんに、 その決断の裏側にあった“可能性への挑戦”について語っていただいた。

音楽大学と体育大学を同時に受験。すべて合格する快挙?

小学校の鼓笛隊では主指揮を、中学校の全校集会では校歌の指揮者を任されるなど、音楽に非凡な才能を垣間見せていた森口さん。しかし、中学・高校時代に森口さんが最も熱中したものは、音楽よりも陸上競技だった。「800mや1500mの選手で、市内では3番以内。県大会にも何度か出場しました。」
進学校と呼ばれる高校だったこともあり、3年生になると周りの友人は大学受験への準備を始めるが、「一般大学への進学はピンとこなかった。」という森口さんは、音楽大学と体育大学の両方をめざすことを決意する。「小さい頃から音楽と体育の成績が良かったので、体育は、このまま陸上競技を続けていれば大丈夫。でも、音楽は・・・今から始めるなら歌しかないと思いました。」

“歌”で音大受験を決意した森口さんは、受験のためにあらためてピアノを習い始めた先生が国立音大出身だった縁で、高校3年の5月に田口興輔先生を紹介される。「田口先生といえば、歌のレッスンをずっと重ねてきた人でもなかなかお会いできない人じゃないですか。その田口先生にど素人の状態でお会いしたわけですから、今思えば冷や汗ものですよね。そのときに僕の歌を聞いて、先生がおっしゃった言葉は『まあ、やってみれば』でしたけど(笑)。」こうして田口先生のレッスンがスタート。そして迎えた受験では、当初の予定通り国立音大とともに、スポーツで日体大と東海大も受験。スポーツの道に進んだ場合は、キング・オブ・アスリートといわれる十種競技をすることも決めていた。「これが3つともすべて合格したんです。これでまた悩みましたね。陸上競技を現役でやれるのは頑張ってもせいぜい30代まで。でも、歌ならずっと現役でいられるんじゃないかと思い、18歳の僕は、音楽の道を選択しました。後々の苦労は、そのとき知る由もなかったです(笑)。」

パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス・・・誰、それ?

国立音大への入学が決まった春になって、ようやく森口さんは、オペラを初めて鑑賞する。しかも積極的に観たというよりは、田口先生が出演されていたから一度観ておこうという軽い気持ちだった。「作品はヴェルディの『リゴレット』で、感想も“あっ、この曲知ってる!”ぐらいのもの。しかも田口先生の歌う“女心の歌”の前奏を『椿姫』の“乾杯の歌”の前奏と勘違いしていたというオチもつきます(笑)。その程度の知識だったので、大学入学後も大変。まわりはオペラ好きの学生ばかり。正直に告白すると『パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス』の名前さえよく知らなかったそんな森口さんの転機は大学3年生の終わり頃。自分の力を計りかね、漠然とした不安を抱きながらの大学生活だったが、3年生最後の試験で成績が上位20名以内に入り、その後の学内オーディションに合格、ソロ・室内楽定期演奏会に出演することが決定した。「門下の発表会以外では、まさに“初舞台”となりました。自信にもなったし、あのときに歌ったマクベスのアリアは忘れられません。」

オペラを生んだイタリアの空気やにおいに触れる

大学卒業後は大学院に進学。オペラに没頭できる環境に身を置いた。そして2年生のオペラ公演『ドン・ジョヴァンニ』では主役も務める。大学と大学院、この国立での計6年間でオペラの難しさと、その先にある面白さを知ることができたと森口さんはいう。「実は、プロとしてやっていこうと決意したのは、大学院の終わり頃。大学院の修了が、ようやく僕にとってのスタートになりました。」大学院修了後は授業補助として大学に残りつつ、コンクールにも挑戦。しかし入選までは残るものの1位に認められることはなく、徐々に焦りが募りだす。「自分にとってひとつの壁だった。」と森口さんは振り返る。「このままではダメだ、何かを変えないといけないと考え、イタリア留学を決意しました。
オペラが生まれた国の空気やにおいに触れることで、自分を見つめ直し“本当の自分”を探そうと思ったんです。」

声に関しては、田口先生に発声の基礎を築いていただいたこともあり、イタリアでは指揮者のセルジョ・オリーヴァ氏に師事。オペラをさらに広い視野から捉えることが目的だった。そしてレッスンを重ねるうちに、実力を認められ、地方の公演で少しずつ役をもらえるようになる。「地方の小さなオペラ劇場。サッカーでいえばセリエAではなく、セリエBかもしれません。それでも本場イタリアの舞台に立てることに感慨深いものを感じたし、イタリア流のオペラの空気を肌で感じられる最高の経験になりました。」

少しでも多くの日本人に、オペラの面白さを伝えたい

イタリアで1年半過ごし、帰国したあとは、再びコンクールに挑戦。そして、留学前には越えられなかった“壁”をついに乗り越え第1位入賞を獲得。満を持して藤原歌劇団に入団し、真のプロとしての道を歩き始める。「入団後すぐに世界的な指揮者チョン・ミョンフン氏と出会う機会に恵まれました。『カルメン』のエスカミーリョ役のカバーだったのですが、一流の音楽に触れられるだけで幸せを感じました」入団2年目には『カルメン』のモラレス役でチョン・ミョンフン氏と共演。その後も、着実に舞台経験を積み、ソリストとしての公演も積極的に行うなど活動の幅を広げている。「知れば知るほどオペラは難しく、そして面白い。できるだけ多くの作品に関わりたいとの思いもあるし、逆に同じ作品を何度でも繰り返し演じたいとの思いもあります。

自分にできることは何にでも積極的にチャレンジしていきたい」イタリアの地方公演で、オペラは“庶民の娯楽”として根付いていることを感じた。オペラは高級な娯楽と位置づけられている日本だが、少しでも 多くの人にオペラを楽しめる機会を用意したいと最近強く感じるという。そのためには、もっと若い人と一緒にオペラ界を盛り上げていきたいとの考えがあり、将来の可能性を秘めた音大生には大きな期待を寄せる。「学生のうちは、自分の可能性に大きな自信を持つことが大切。音大の入試は確かに大変なので、合格してホッと息を抜いてしまいがちですが、本当はそこからが勝負。大学入学は決してゴールではないので、入学してからの自分を大切にしてほしい。なかには大学院が終わってから、ようやくスタートするやつもいるんですから(笑)。」

PAGE TOP

お問い合わせ・資料請求
学校案内、入学要項などをご請求いただけます
資料請求
その他、お問い合わせはこちらから