国立音楽大学

三澤洋史(指揮者)

自分自身の音楽性をいかに伝え、作品に結びつけるか――。/2002年4月

プロフィール

三澤洋史(指揮者)

三澤洋史さん(みさわ ひろふみ)
MISAWA Hirofumi
指揮者

1955年、群馬県出身。国立音楽大学声楽学科卒業。声楽を原田茂生、中村健両氏に、作曲を増田宏三、和声学を島岡譲氏に師事。在学中より指揮者を志し、指揮法を故山田一雄氏に学ぶ。
1981年渡独、ベルリン芸術大学指揮科でH.M.ラーベンシュタインに師事し、84年同大学を主席で卒業。同年9月ベルリン・カラヤン・コンクールにファイナリストとして入選。85年の「東京の夏音楽祭」でブリテン作曲歌劇「カーリュー・リバー」でオペラ指揮者としてデビューを果たす。
日本を代表する合唱指揮者として二期会合唱団、東京オペラ・シンガ-ズ、新国立合唱団などプロ合唱団の指導に定評があり、また卓越した語学力でシャルル・デュトワ、サヴァリッシュ、ホルスト・シュタインなど外来指揮者からの人望も厚い。
熱烈な“ワグネリアン”として知られる一方、J.S.バッハにも造詣が深く、宗教音楽では、クリストファー・ホグウッドのアシスタントとしてオリジナル楽器や古楽唱法・古楽アンサンブルの方法論を習得。
「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」「クリスマス・オラトリオ」や数多くのカンタータなどを暗譜でレパートリーに有する。
1999年より「バイロイト音楽祭」のスタッフとして祝祭合唱団の指導にあたる。
2001年、新国立劇場合唱団常任指揮者に就任。
2002年の定期公演でフンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」を指揮。滋賀県立「びわ湖ホール」声楽アンサンブル専任指揮者、東京芸術大学非常勤講師を経て2001年より現職に。バッハ・アンサンブルコール常任指揮者、浜松バッハ研究会常任指揮者。

インタビュー

声楽学科在学中に合唱指揮者へ方向転換

声楽学科出身の三澤洋史さんが本格的に指揮者を志したのは、大学2年の時。高崎高校時代は合唱部に所属し、合唱に加わりながら学生指揮をつとめた経験も手伝って「合唱指揮者になりたいという漠然とした思いは高校時代からあった」という。“歌うことがとにかく好き”で声楽学科に進学。学内の創作オペラのサークル「まるめろ座」での活動や、各学科から有志を集って行う学内演奏会などを通じて、三澤さんの指揮者への夢はどんどん膨らんでいく――。「3年次の後半には、声楽学科で学びながら作曲学科の授業を聴講したり、増田宏三先生や島岡譲先生にオーケストレーションや作曲・スコアリーディングのレッスンを受けていました。東京フィルハーモニー交響楽団・永久名誉指揮者の故山田一雄先生のもとで指揮法を学び始めたのもこの頃からですね。たまに声楽の勉強がおろそかになることもありましたが……(笑)、担当教授だった中村健先生が、指揮者への転向に理解を示してくださったことが大きかった。当時としては“声楽を捨てる”覚悟の方向転換だっただけに、迷いや不安もありましたが、声楽の勉強を全うすることができたのも、やりたいことに挑戦できる環境が“くにたち”にあったからこそ。先生方をはじめ、支えてくださった多くの方々には本当に感謝しています。」
大きな目標に向かってひたすら邁進することも一つの生き方だが、大学で学びながら試行錯誤を繰り返し、新しい道を拓いていく生き方もある、と三澤さんは強調する。「僕はいわゆる遅咲きのタイプ。学生時代の多くの出会いや経験の中で、自分で進むべき道を見つけたわけですが、“くにたち”の自由な雰囲気が自分自身を大きく成長させてくれたのだと感じています。もし国立音大に行かなかったら、今の自分はないんじゃないか……そう思えるぐらい僕にとって最高に恵まれた学びの場所でした。合唱・オペラの指揮に携わる現在も、大学4年間で身につけた声楽の知識が大きく生かされています。」

思い出の「カーリュー・リバー」で華やかにデビュー

国立音大を卒業後、ベルリン芸術大学指揮科に進み、ベルリンドイツオペラの指揮者であるハンス=マルティン・ラーベンシュタイン氏に学ぶ。
オペラ指揮者としてのデビューは同大学を首席で卒業した翌年。東京音楽祭の参加公演で指揮を務めたブリテン作曲歌劇「カーリュー・リバー」は、三澤さんにとって思い出深い曲である。
「実は声楽学科の在学中に、東京オペラプロデュースの『カーリュー・リバー』に修道士役で出演したことがあるんです。すでに指揮者への転向を決めていた時期だったので、この作品がいわゆる“声楽家”としての最後の仕事。帰国して指揮者としての人生をスタートしようとした時に、偶然、東京オペラプロデュースでデビューしないかという話をいただき、再び『カーリュー・リバー』と出会ったのです。」
帰国後すぐに、オペラ・オラトリオ指揮者として華やかなデビューを飾った三澤さんは、純粋に“音楽家”を育てるためのヨーロッパの音楽大学の教育システムや環境が、指揮者としてのスタートに幸いしたと、当時を振り返る。
欧米では音大を卒業後、特定の劇場に所属してオペラ団体のコレペティトワ(歌い手のコーチ)を経て、指揮をする機会を与えられるという伝統があります。カラヤンをはじめ多くの指揮者も、劇場で叩き上げでやってきた人が多く、優秀な学生ほど在学中に劇場にどんどん引き抜かれていく。そうした伝統のパターンに沿った教育システムが音大に組み込まれ、ベルリン芸大ではレパートリーを1曲でも多く増やすためのカリキュラムが組まれていました。劇場と契約する場合には、少なくとも5~6曲のレパートリーを持っていないと話にならないわけですから、卒業する時点で10以上のレパートリーをマスターできるシステムがあったことが印象的でした。」

自分自身の音楽の世界を合唱者に伝え、共有する喜び

「全員で音づくりを行うパイプ役が指揮者の仕事。そのためには自分の中でやりたい音楽をしっかりと確立し、その曲をどう表現するかを明確に伝える――このことに尽きると思います。どんなに優れた音楽性があっても、自分のアイデアを相手にわかってもらう工夫をしないと、一人よがりの演奏にしかなりません。独自の音楽性と考え(アイデア)を持ち、オーケストラをまとめ上げる(伝える)テクニックを兼ね備えてこそ、優れた指揮者だと思えるんです。」

とはいえ“伝わらない”ジレンマは付き物だ。ある団体でいい結果が出たからといって、同じアプローチで別の団体を指揮しても全く伝わらないケースもある。

「指揮者には、さまざまなタイプがあって、たとえば“怒る”ことで人を動かす人もいれば、一つひとつ言葉で理念を説きながら作品を作り上げる人もいる。僕の場合は、釈迦の対機説法じゃないけれども、一人ひとりの理解力の程度や素質に応じて、臨機応変に対応します。ただ、それを作為的に指導するのは好きじゃないんです。その時その時にひらめいた方法に従って自然な流れの中でアプローチする。今、誉めたいな、と思えば誉めるし、ここで怒らないといけないと感じたら怒ることもあります。ピアニシモを思い切りフォルテでやってみろ、とか、ゆっくりの曲をわざと速くやるとか、プロ集団を相手に子ども騙しみたいですが、全く方向性を変えて緊張を解くことによって、ある時ポーンといい音ができたりする。それは指揮法のテクニックではなく、人を動かす立場としての経験則的なアプローチ手法。歳をとるごとに身についてくるものなのかもしれません。新国立劇場の合唱団も、そうしたフレキシブルな関係性の中で、お互いの信頼関係を自然に築くことができればと考えています。」

バイロイト音楽祭での経験を幅広い音楽活動に生かしていく

オペラや合唱とオーケストラの大きな違いは、音楽の中に「ことば」が介在する点にある。オーケストラ指揮者に比べて日本人のオペラ指揮者が少ないという現実を踏まえ、三澤さんは日本人の弱点として“語学力”の問題を指摘する。ドイツ語をはじめ、英語・フランス語・イタリア語を理解し、外来アーチストや指揮者からの信望も厚い三澤さんならではの言葉だ。「合唱指揮の場合、ことばの発音にまで踏み込んだ指導が必要になりますから、歌曲を理解する語学的な才覚も求められます。音楽の持つ物語性を読み、合唱としてどう表現すれば良い演奏になるのかを考える――僕が“ことば”にこだわる最大の理由でもあります。3年前から参加させていただいている『バイロイト音楽祭』の経験も大きく影響していますね。世界中から集まる選り抜きのソリストや合唱団に囲まれて、オペラやその他セクションの仕事に触れたり、どのようなサウンドが作られるのかを肌で感じることができる貴重な体験。視野も大きく広がります」リヒャルト=ワーグナーの世界的な祭典として有名な「バイロイト音楽祭」の祝祭合唱スタッフとして参加したのは1999年。新国立劇場のオープニング記念公演での「ローエングリン」に音楽スタッフのチーフとして参加した際に、総監督ヴォルフガング・ワーグナー、合唱指揮者ノルベルト・バラッチュらの信頼を得たことが機縁となった。以来、三澤さんは毎年、バイロイト音楽祭に関わり、昨年はNHK-FMで音楽祭の全演目を全曲放送する「バイロイト2001」の解説を8日間にわたって担当した。

新国立劇場で行われている今回の「ニーベルングの指環」のプロジェクトも、バイロイト音楽祭をはじめとする三澤さんの世界的な活動によるネットワークが結実したもの。“数多くの外国人キャストを招いて国際的なプロジェクトを行う”という新国立劇場のコンセプトを、より良い形で実現することになるだろう。

「日本人が日本の中だけで音楽をやっていた時代はもう終わり、これからはよりよい音楽をめざして国境をどんどん越えていく人材が求められます。そのためには語学力はもちろん、豊かな国際感覚を持ち、外国人スタッフと対等にコンタクトをとれる人材を育てる教育がもっと必要だし、私自身もグローバルな音楽活動を行う後継者を育てる使命がある。井の中の蛙ではなく、国際的に開かれた広い視野を持ち、日本から世界に飛び出していく意欲ある若者に期待したいと思います。」
2001年から新国立劇場の芸術監督にウィーン国立歌劇場のトーマス・ノヴォラツスキー氏が迎えられ、三澤さんが専属指揮者をつとめる合唱団の国際色は、今後ますます豊かなものになっていくだろう。世界を舞台に幅広く活躍する三澤さんの挑戦は、これからも続き、若い世代へと受け継がれていく――。

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