国立音楽大学

小林一男(声楽家)

音楽には、人間のあらゆる感情が波打っている/1985年7月

プロフィール

小林一男(声楽)

小林一男さん(こばやし かずお)
KOBAYASHI Kazuo
声楽家

1973年 国立音楽大学卒業後、日伊コンコルソでミラノ大賞を受賞しイタリア政府給費留学生としてイタリア・ミラノのヴェルディ音楽院に留学。
1974年 ミラノのピッコラ・スカラ座にてオペラデビュー、同年レッジオ・エミーリア国際声楽コンクールで特別賞を受賞。1975年より西ドイツのオルデンブルク国立劇場と専属契約。
1977年 帰国後、二期会「蝶々夫人」にて日本デビューを飾り華々しい活躍を始める。
1983年 ジロー・オペラ賞受賞。
1989年 オーチャードホール・オープニングオペラ「魔笛」、1991年日生劇場「モーツァルト没後200年6大オペラ公演」、1993年三枝成彰「千の記憶の物語り」、1994年團伊玖磨「素戔鳴(すさのお)」(初演)等と意欲的な活動が続き、1996年にはNHK交響楽団より「有馬賞」を授与された。
また1997年三枝成彰「忠臣蔵」の名演は楽壇の話題を独占し、新国立劇場こけら落とし公演、團伊玖磨「建(たける)」の舞台も絶賛された。現在、国立音楽大学客員教授。

インタビュー

“いい声だ”といわれて

小学校の頃は野球狂い。中学では卓球に明け暮れ、部長まで務めたほど。とにかくスポーツが好きな少年だったという小林さんは、どういう風の吹き回しか、高校ではコーラス部に入部。

「学校ぐるみでコーラスを練習した小学校時代の思い出が一つの伏線で、もう一つは中学時代――同じ体育館を練習場所にしていたコーラス部の練習風景がきっかけです。ピアノに合わせて気持ちよく歌っている様子がとても印象的だったんです。」

体育系から文化系へ。大きな方向転換でしたが、小林さんの道を決定づけたのはこのときではないようです。

「高校2年のとき、教育実習にきていた音楽の先生から、いい声をしているから歌をやってみたらといわれたことが直接のきっかけといえばきっかけでしょうか。明るくて素敵な先生だったので、素直に聞き入れました。国立へ進学したのも、その先生の母校だからまちがいないと思ったわけです。」

こうして道を決めてからというもの、音楽一色の生活がはじまります。当時はただ声がいいというだけで、楽譜も読めず、ピアノも弾けなかった。だから、朝早く登校して音楽室のピアノで練習したり、休み時間には図書館で楽典を勉強したり……夏休みにはアドバイスしてくれた先生からソルフェージュの指導を受けたりと、猛勉強の日々が続きました。

そのかいあって、国立音楽大学へは現役で合格。声楽学科でバリトンとしてスタートすることになったのです。

自分の感情をストレートにぶつけたい

バリトンからテノールへ移ったのは大学3年の終わり頃。先生と喧嘩までしたそうですが、4年生の1年間でみっちりテノールを勉強した後、大学院へ。 大学院ではオペラを専攻。そして大学院2年のとき、イタリア声楽コンコルソでミラノ大賞を受賞し、ミラノのヴェルディ音楽院へイタリア政府給費留学生として旅立ったのです。

「大賞を受けたとき、即座に大学院を中退してもいいと……。チャンスは生かさなければと思ったんです。でも、実際留学してみるとこれがなかなか大変で、4人の先生について1週間に10回ほどレッスンを受けるんですが、1年間で7~8キロはやせました。そのかわり、2~3週間で1曲、1年間トータルすると15曲前後のレパートリーはできましたね。」

留学し、見知らぬ国でチャンスの芽はさらに広がりました。留学2年目の1974年、レッジョ・エミーリア国際声楽コンクールで特別賞受賞したのに続き、ミラノのピッコラ・スカラ座でドニゼッティの『リタ』に出演してデビュー。以後、マントヴァ、ボローニャ、ヴェネツィア等で活躍し、1975年から2年間は、西ドイツのオルデンブルク国立歌劇場と専属契約を結び、数多くの有名な作品に出演してきました。しかし……
「そうこうしているうちに外国で歌うことがいやになったんです。自分の歌を、歌に込めている自分の感情を、ストレートにぶつけられる人がいない。歌い手にとって一番大切なものは、自分の歌を長く聴いてくれる人、その成長を絶えず気にかけながら長く聴きつづけてくれる人なんじゃないかと。日本に帰ってきたのは、そういう人すべてに自分の歌をぶつけていきたいと思ったからです。」

1977年、二期会公演の『蝶々夫人』でピンカートンを歌って、東京デビュー。オペラはもちろんベートーヴェンの交響曲第9番など、コンサートやリサイタル活動にも意欲的に取り組んでいます。
さらに小林さんはいいます。
「 音楽には、人間のあらゆる感情が含まれています。それが音楽の魅力を根底から支えているんじゃないでしょうか。」

1986年春には1カ月にも及ぶ日本縦断ツアーが計画され、ますます活躍が期待されています。

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