国立音楽大学

川田修一(トランペット奏者)

オケの「決める音」を彷彿とさせる
「くにたちの音」が好きです

/2018年10月

プロフィール

川田 修一 さん(かわた しゅういち)
KAWATA Shuichi
トランペット奏者

川田修一(トランペット奏者)

福島県出身。国立音楽大学音楽学部演奏学科弦管打楽器専修卒業。矢田部賞を受賞。第78回、81回日本音楽コンクールトランペット部門入選。第25回日本管弦打楽器コンクールトランペット部門第3位入賞。第49回ドイツ・マルクノイキルヒェン国際コンクール、ディプロマ賞授与。2015年、文化庁新進芸術家海外研修員としてドイツ国立カールスルーエ音楽大学にて研修を行う。トランペットを北村源三、熊谷仁士、山本英助、ヒロ野口、ラインホルト・フリードリッヒの各氏に師事。Brass Ensemble ZERO、Quartet Made in FUKUSHIMA、Le Due Trombe、金管合奏団「宴」のメンバー。藝大フィルハーモニア管弦楽団を経て、現在、東京フィルハーモニー交響楽団トランペット首席奏者。

インタビュー

くにたちを首席で卒業後、国内のコンクールで入賞するなど着実に実績を伸ばし、
現在は東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット首席奏者を務めている川田修一さん。
この活躍の根底には音楽の道を意識したときから常に、オケで演奏したいという熱い思いがありました。

音楽の道を選んだ高校時代

川田 修一さん

―トランペットとの出会いは小学生の時だそうですね

 3年生の時に部活のマーチングバンド部に参加したのが始まりです。奇跡的にすぐに音が出て、周囲よりも早く吹けるようになったんです。それで演奏する楽しさを味わえたことが、その後もトランペットを続けるきっかけとなりました。CDやカセットを買い、友達と交換して聴き込んだり、聴いた音を真似ながら吹くようにしたりしているうちに、音色も良くなっていきました。

ーいつから音楽の道を志すようになったのですか

 高校1年の夏に自分の将来を考えた時、「ずっとトランペットをやっていきたい」という思いが最も強いことを自覚しました。進学校だった高校には音大の情報がまったくなかったので、受験のために必要なことなどはすべて自分で調べました。そしてトランペットだけでなくピアノや楽典、ソルフェージュなどいろいろな勉強が必要だということがわかり、週に一度レッスンに通うようになりました。
 ピアノは初めて触れる楽器だったので苦労しましたね。左右の指を同時に動かすという動作に慣れず、最初はものすごくゆっくり弾くことから始めました。新曲視唱や聴音の勉強などはすべて生まれて初めての体験ですし、受験勉強ではあるのですが楽しかったですね。

ーなぜ、くにたちを選ばれたのでしょう

 地元の楽器店の方に、元NHK交響楽団のトランペット奏者、北村源三先生のことを教えていただきました。くにたちの講習会で先生のレッスンを受講できると知り、高校1年のときに冬期講習会に参加。北村先生のレッスンを受け、ぜひ個人的にも教えていただきたいとお願いしました。月に一度先生の元へ通い、最終的にくにたちへの進学を決めたのです。
 また、くにたちは北村先生がいらしただけでなく、大学の雰囲気も最初からとても気に入っていました。自然豊かな環境で、当時は構内に庭もあり、雰囲気が福島から来た僕には合っていると感じましたね。

 

音楽に注いだ、くにたちでの4年間

―くにたちではどのような学生生活を送られたのですか

 4年間、音楽漬けの日々で幸せでした。今でも付き合いの続く友人や、尊敬できる先輩など、周囲の人にも恵まれました。演奏するだけでなく、音楽もよく聴きました。ブライダル演奏でのアルバイトで稼いだお金は、ほとんどコンサートのチケット代やCD代につぎ込んでいましたね。
 音楽の道を意識した時からオケマンになりたいと考えていたので、オーケストラでの吹き方や心構え、音色のつくり方などを教えていただいた熊谷仁士先生や山本英助先生の授業はとりわけ心に残っています。

―オーケストラのトランペット奏者という目標があったのですね

 くにたちでトランペットを学んだ先輩方は、オケのオーディションに受かっている方がとても多いんです。今でもオケに在籍している50〜60代のトランペット奏者はくにたち出身の方が多いんですよ。そのせいか、大学でも「くにたちの音」というものがありました。ソリスティックというよりは、“オーケストラ全体でキメる音”のようなしっかりしていて、ベートーヴェンを演奏するときの重厚な音寄りというんでしょうか。その音が好きでした。

―くにたちの伝統的なビッグバンド、NEWTIDE JAZZ ORCHESTRAでも活動されました

 先輩に半ば強制的に入らされました(笑)。夏休みは毎日12時間練習するなどハードでしたよ。でもここで活動したおかげでプロのビッグバンドの音のすごさを知ることもできましたし、何よりジャズが好きになりました。卒業後にミュージカルの仕事をした際、クラシックからジャズ、次はロックと目まぐるしく変わる世界を一つの音楽としてとらえて表現できたのは、ここでジャズに触れた経験があったおかげです。

ドイツ留学を経て東京フィルの首席奏者へ

留学最後のレッスンで、ラインホルト先生と奥様の絵里子さんと
留学最後のレッスンで、ラインホルト先生と奥様の絵里子さんと

―くにたちを首席で卒業して間もなく、日本管打楽器コンクールで3位入賞されました

 オケに入るには、まずはコンクールで結果を出して自分を知ってもらう必要があると考えました。自分の力量がどれほどのものか自分ではよくわからなかったのですが、コンクールで結果を出せたことで「このままトランペットを続けていいんだな」という思いがしました。
 それで海外のコンクールにも興味がわいてきて、いくつか国際コンクールを受けました。ドイツのマルクノイキルヒェン国際コンクールで、伴奏してくださったピアニストの竹澤絵里子さんとのご縁がきっかけとなり、彼女の夫であるトランペット奏者のラインホルト・フリードリッヒ先生に指導していただけることになったのです。
 コンクールから帰国し文化庁の助成金を申請、翌年からドイツのカールスルーエ音楽大学でラインホルト先生のレッスンがスタートしました。このドイツ留学は、僕のターニングポイントとなりました。留学前は音楽についてのあふれかえる情報をうまく処理できず、どれほど勉強しても迷路にはまってしまっているような感覚でした。けれどドイツでは奏法も音楽性も一貫していて、その揺るぎのなさに救われました。また、30歳という周囲に比べて遅い留学だった分、現地で学びたいことや、やりたいことがはっきりしていたのも良かったと思います。それらを確認しつつ、新しく取り入れたものをゆっくり消化できた1年でした。

―東京フィルハーモニー交響楽団のオーディションは留学中に受けられたそうですね

 留学中にたてつづけに日本の各楽団のトランペット奏者のオーディションがあったのですが、オーディションを受けるために簡単に日本に帰国することはできませんでした。唯一DVD審査があるのが東京フィルで、ドイツに滞在しながら受けることができたのです。帰国後の1次試験、トライアル期間、そして楽団全員の前で演奏して審査される2次試験の結果、最終的に僕を選んでいただきました。

東京フィルハーモニー
東京フィルハーモニー交響楽団での「平日の午後のコンサート(三ツ橋敬子指揮)」後列右が川田さん。撮影=上野隆文/提供=東京フィルハーモニー交響楽団

―首席奏者として楽団の一員となった今、どんなことを感じていらっしゃいますか

 東京フィルは日本のオケの中で最も長い歴史を持ち、伝統的な楽譜の読み方、演奏の仕方というものがあり、自分もしっかりとその伝統を守っていくべき立場になったと感じています。また、東京フィルは演奏会の数も多く、短いスパンで曲をこなす必要があります。だから譜読みも早くなくちゃいけないし、当然ながら高いクオリティも維持し続ける必要があります。まさに“あらゆる一瞬にベストを尽くす”という思いで臨んでいます。また、歴代の首席奏者がみな素晴らしい方ばかりなので、先輩方が継承されてきた「東京フィルの音」を守りつつ、一日も早く自分が首席だと胸を張って言えるよう、経験を積んでいきたいですね。

―くにたちをめざす人たちへのメッセージをお願いします

 くにたちは、のんびりした場所にあることが大きな魅力です。その“のんびり”がいい意味で音楽に出るし、学びに集中できます。先生もそうそうたる方々が名を連ね、図書館の充実ぶりも素晴らしいの一言に尽きます。さらに卒業生にとっては「卒業してもいつでもおいで」と言ってくれるのがうれしいところですね。そのおかげで後輩と知り合うこともでき、おのずと縦のつながりも密になります。音楽だけに集中できる恵まれた環境で、ぜひ自身の可能性を追求していってください。

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