国立音楽大学

宝達奈巳(シンガー・ソングライター)

音で描き出す極彩色の心象風景/1995年7月

プロフィール

宝達奈巳(シンガー・ソングライター)

宝達奈巳さん(ほたつ なみ)
HOTATSU Nami
シンガー・ソングライター

1992年 国立音楽大学楽理学科(現・音楽学学科)卒業。
シンガー・ソングライターとして1993年から現在までに4枚のCDを発表。
1995年 アンビエント・オペラ『バルテノジェネシス』に甲田益也子(dip in the pool)らと出演。
1996年 コスモアイル羽咋落成記念コンサート『細野晴臣&環日本海モンゴロイド』に出演。邦楽舞台『WATERSCAPE~水景色』に和歌の歌い手として出演。
1997年 4作目のCD『STRANGER THAN MOVIE』(プロパガンダレコード/日本コロムビア)を発表、バックバンドを率いて東京、大阪、福岡ツアーを展開。
越智義朗のパーカッションLIVE『EARTH SONIC』に出演。シェークスピア・カントリーパーク(千葉県)オープニング公演『シェークスピアの世界』の音楽監督をつとめる。
青山円形劇場にてソロ・コンサート『トリップ・トラッドフォーク』を公演。

インタビュー

音の風景画

「私は音楽を聴くとまず映像が浮かぶタイプ。曲を作るときも、最初に風景のようなイメージが先に見えてきて、それに合った音色やメロディを探っていきます。イメージに合わせて曲の骨組みを作り、そこのインプロビゼーションでいろんな音を乗せていく、というのが基本的なやり方です。」

“音楽を創りたい”と考えるようになったのは中学時代。幼い頃からピアニストをめざしていた宝達さんは、譜面どおりにピアノを弾くだけでは満足できず、いつも曲の展開や和音を変えてしまいたい衝動に駆られていたそうです。そして、「演奏者には向いていないな。」と感じ始めていたとき、YMOの音楽と出会った。

「シンセサイザーで音色を創ることによって音楽を生み出す。その感覚がとても新鮮で、ピアノを演奏する以外にこんな方法があったんだなって思いました。」

シンセサイザーを手に入れてからは作曲・編曲に取り組む日々が続きます。1本のテープに何重にも音を重ねる多重録音によって、次々と作品を創り出していきました。高校時代は、こうした曲作りとともに、いくつものバンドを組んで演奏活動に没頭。その後、国立音楽大学の楽理学科(現在の音楽学学科)へ入学。

「中学・高校と、興味の赴くままに音楽」をやってきて、ふと『結局、自分は何がやりたいんだろう』と考えたんです。それをはっきりさせるには、理論的な側面から知識を整理する必要があると思って、楽理学科へ進みました。特におもしろかったのがバッハ以前の音楽史で、グレゴリオ聖歌とか中世・ルネッサンス期の音楽など、ヨーロッパにもこんなに自由でおもしろい音楽があったんだと驚きました。」

理論的な音楽の研究と並行して、自主的な研究活動も活発に行っています。ブルガリアンボイスやケルト民謡を聴くために現地を放浪し、津軽三味線や沖縄歌三線を学び、さらにはハウスミュージックや現代音楽の手法なども吸収。

そうした大学時代を経て、心に残った映像イメージをもとにシンセサイザーで音の風景画を描き出すという、独自の創作スタイルが確立されていきます。

音の風景画

「私は音楽を聴くとまず映像が浮かぶタイプ。曲を作るときも、最初に風景のようなイメージが先に見えてきて、それに合った音色やメロディを探っていきます。イメージに合わせて曲の骨組みを作り、そこのインプロビゼーションでいろんな音を乗せていく、というのが基本的なやり方です。」

“音楽を創りたい”と考えるようになったのは中学時代。幼い頃からピアニストをめざしていた宝達さんは、譜面どおりにピアノを弾くだけでは満足できず、いつも曲の展開や和音を変えてしまいたい衝動に駆られていたそうです。そして、「演奏者には向いていないな。」と感じ始めていたとき、YMOの音楽と出会った。
「シンセサイザーで音色を創ることによって音楽を生み出す。その感覚がとても新鮮で、ピアノを演奏する以外にこんな方法があったんだなって思いました。」

シンセサイザーを手に入れてからは作曲・編曲に取り組む日々が続きます。1本のテープに何重にも音を重ねる多重録音によって、次々と作品を創り出していきました。高校時代は、こうした曲作りとともに、いくつものバンドを組んで演奏活動に没頭。その後、国立音楽大学の楽理学科(現在の音楽学学科)へ入学。
「中学・高校と、興味の赴くままに音楽」をやってきて、ふと『結局、自分は何がやりたいんだろう』と考えたんです。それをはっきりさせるには、理論的な側面から知識を整理する必要があると思って、楽理学科へ進みました。特におもしろかったのがバッハ以前の音楽史で、グレゴリオ聖歌とか中世・ルネッサンス期の音楽など、ヨーロッパにもこんなに自由でおもしろい音楽があったんだと驚きました。」
理論的な音楽の研究と並行して、自主的な研究活動も活発に行っています。ブルガリアンボイスやケルト民謡を聴くために現地を放浪し、津軽三味線や沖縄歌三線を学び、さらにはハウスミュージックや現代音楽の手法なども吸収。

そうした大学時代を経て、心に残った映像イメージをもとにシンセサイザーで音の風景画を描き出すという、独自の創作スタイルが確立されていきます。

交信する音楽

幼い頃は内向的で、どうして生きているんだろうと悩んでいたという宝達さん。そして、自分が存在することの意味を求め続けるうちに、それがある意味で愚問だと教えてくれたのが音楽、とりわけ歌だったのです。「鳥が飛ぶ。雲が流れる。それと同じように、私は音楽を創り、歌を歌う。歌っていると、自分は生きているんだと実感できます。地球の上で、大きな宇宙の中で、いろいろな生命たちと共生し、存在していることが感じられる。生きていること=音楽なんです。」

ジャンルを超えた広がりを持つきらびやかなサウンドの中を、こぶしの効いた琉球古典音楽風ボーカルがひらひらと軽やかに舞っていく――そんな宝達さんの音楽は、3分間で完結するポップミュージックとは全く異質なエネルギーを放っています。元YMOの細野晴臣氏をして“彼女の声にはシャーマンが住んでいる”と言わしめたほど。そこには、音楽が本来的に持っている神通力が秘められているように感じられます。
「自分が持ついいエネルギーを伝えたいだけ……。むしろ、伝えたいというより循環させたいといったほうが適当かもしれません。聴衆が私のエネルギーで内面的に揺さぶられ、何らかの形でそこから発せられたエネルギーが、今度は私を揺さぶる。そういう共振が繰り返されて、次第に大きくなって、私と人々が、地球や宇宙との大きな一体感を共有できたらいいですね。そもそも音楽は、それだけの力を秘めた、魂のレベルにおけるコミュニケーションの方法なのですから。」

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