久石譲(作曲家)
音楽のスタイルはひとつ着こなすジャンルは、限りなく/1989年9月
プロフィール
久石譲さん(ひさいし じょう)
HISAISHI Joe
作曲家
国立音楽大学作曲学科に在学中より、現代音楽の作曲家として活動を始め、多くのコンサートの作曲・演奏・プロデュース等を担当する。
1982年ファースト・初ソロアルバム「INFORMATION」を発表、ジャンルにとらわれない独特のスタイルを確立。
映画「風の谷のナウシカ」以降、「水の旅人」「KidsReturn」などの音楽を手がけ、1992年より3年連続日本アカデミー賞最優秀音楽賞をはじめとした数々の音楽賞を受賞。
また、「Piano Stories」「I am」「My Lost City」「地上の楽園」「PIANO STORIESII」他多くのアルバムをリリースし、コンサート活動においては、ピアノ・ソロ、アコースティック楽器とのアンサンブル、バンド、オーケストラとのシンフォニック・コンサートなど、様々なスタイルで行い、幅広い層より支持を得ている。
一方、1998年に開催される「長野パラリンピック冬季競技大会」の総合プロデューサーに就任。意欲的に国際プロジェクトのプロデュースも進めるなど、多彩な活動を行っている。
インタビュー
「風の谷のナウシカ」「漂流教室」「となりのトトロ」などの大ヒット映画やカネボウ、サントリー、日産などのCF、各種テレビ番組、舞台の音楽担当者。井上陽水、甲斐バンド、チャゲ&飛鳥、薬師丸ひろ子などの曲の作編曲者。第一線で活躍中のシンガー。ピアニスト。敏腕の音楽プロデューサー。レコードレーベル「IXIA」の設立者。日米のレコーディングスタジオと音楽制作プロダクションからなる「ワンダー・グループ」の経営者……。これらすべてが、久石譲さんに冠せられる形容詞です。
人々はその多様さに降参してか、簡明な一語で久石さんのことを呼ぶ場合が多いようです。「彼は天才だ」、と。
あの「ナウシカ」もひとつの通過点にすぎない
国立音楽大学に在学中から、現代音楽の作曲家として活動をスタートさせていた久石譲さん。その名が広く世間に知られるようになったのは、宮崎駿監督のアニメ大作「風の谷のナウシカ」の音楽を手掛けたことがきっかけでした。
「宮崎監督の作品をはじめ、優れた映画の仕事は今後も続けていきます。が、久石譲=映画音楽と思われるのは心外ですね。映画やCMなどの音楽制作は、私の音楽活動の中でのひとつの通過点にすぎないのですから。」
そう語る久石さんが現在、最も力を注いでいるのはアルバム制作やコンサートなどのソロ活動。ピアノありボーカルありのソロアルバムでも、大ホールからライブハウスまでのステージングをこなすコンサートでも「ジャンルを超えた音楽家」として高い評価を得ています。
「私はジャンルにこだわる必要はないと思うんです。ジャンルなんて洋服と同じようなものじゃないですか。着替えるのは簡単、要はそれを着こなす自分自身のスタイルでしょう。衣装は変わっても自分だけのメロディラインは不変です。」と、こともなげに話します。
自分から動き回って 大学を活用することが大切
絶えず自分だけの音楽を創造し続ける久石さんにとっては、国立音大・作曲学科での学生生活も「ナウシカ」などでの大成功と同様、通過点のひとつなのかもしれません。が、大学での日々が久石さんの積極的な“音楽へのアプローチ法”のルーツになったことは確かなようです。
「この仕事は、理性と感性の葛藤の連続なんです。そのために必要なしっかりとした理論を、私は恩師である島岡譲教授から教わりました。今も音そのものに関してはかなりの完璧主義者ですね。それともうひとつ貴重だったと思うのは、外部での演奏会や月1回の学内演奏会を自分で企画・プロデュースした経験。大学の友人や教授の方々にも協力してもらってね。せっかく周りに才能ある仲間や経験豊かな先生方がいるんだから、そうした環境を積極的に活用しなければもったいないでしょう。大学は何かを教えてもらう場所と考えるのは大間違い。もっと自分から動くべきです。」
インタビューの最後は、久石さんの音楽観について。
「音楽は私のライフワーク。中途半端で終えるのではなく、死ぬまで続けていくものと考えています。私が音楽家になろうと決心したのは、実は3歳の時なんです。そしてその翌年からヴァイオリンを習い始め、以来、私の音楽に対する姿勢は何も変わっていません。」
音楽に感動する心や、新しい音楽を発見したときの喜びはいくつになろうと変わるものではない、と久石さんは言い切ります。
「よく音楽はコミュニケーションだと言いますよね。私も確かにそう思います。ただし、それは1対大勢ではなく、あくまで1対1のもの。演奏者や作曲家と、その作品を聴いてくれる一人ひとりとの親密な対話こそが音楽です。コンサートやレコーディングを重ねてきて、強くそう感じるようになってきました。」
久石さんは新作を発表するたびに、またコンサートを開くたびに、音楽で通じ合う“話し相手”を増やしているのです。