藤井喬梓(作曲家)
失われたファンタジーを追いかけて/1993年9月
プロフィール
藤井喬梓さん(ふじい たかし)
FUJII Takashi
作曲家
1984年 国立音楽大学作曲学科卒業、有馬賞を受賞
1990年 フライブルク国立音楽大学修士課程修了
1991年 「今日の音楽・作曲賞」入選、「Aktive Musik現代音楽祭」(Dortmund)招待作曲家
1992年 「福井ハープ作曲賞」特別賞・福井県知事賞、盲学校等で「新しい音楽創作の試み」を開始
1994年 「ダルムシュタット国際夏期現代音楽講習会」の招きを受け委嘱作品を初演
1995年 「朝日作曲賞」受賞、全日本合唱コンクール課題曲となる
1997年 サントリーホールにてウィンドオーケストラのための新作を初演
作品は国内外で多数演奏され、楽譜は音楽之友社、全音、Tonger-Musikverlag等から出版されている。日本現代音楽協会・日本作曲家協議会、現在、国立音楽大学専任講師。
インタビュー
視、聴、嗅、味、触。私たちは、五感から得た情報をもとにして心にイメージを描き、それを通して物事を実感する能力をもっています。作曲家の藤井喬梓さんは、これを“ファンタジー”と呼びます。
「小説を読んで情景を思い浮かべる。音楽を聴いてその背景や主題を考える。こういうファンタジーはすごく大切で、それがないと物事はやせ細っていく。ところが今、人々のファンタジーが死にかけているんです。」近代文明に基づいた現代の社会は、ファンタジーが育ちにくい状況にある――藤井さんは、そう考えます。この産業社会が人々に求めるのは企業が必要とする能力であり、それをもたない者は排除されていく――と。
「効率や合理性ばかりが重要視される現代の社会では、人間のファンタジーは育っていかない。その結果、音楽を含めた芸術は本来もっていたパワーや生命力を失いつつあると思うんです……。」
文明化されていない音
彼のこうした思想は、これまで文明社会から切り捨てられてきた弱者――障害者との交流から生まれてきたものです。
「ある先天性の全盲の子供が、星というのはきらきら輝いているものだということを体験として知っているんです。彼らは、目は見えないけれど明らかに何か僕らの想像を絶するものを見ている。ものすごいファンタジーをもっていますよ。」
音楽にファンタジーを取り戻すためのヒントは、盲学校で手づくりの楽器による演奏を指導するうちに見つかりました。
「土笛や竹製カリンバ等の簡単な楽器をつくり、“縄文人の音楽”“火星人の音楽”といったコンセプトを決めて演奏するんです。手づくりなのできちんとした音階は出ませんが、その音には文明化以前の音楽がもっていたようなファンタジーがあった。そういうプリミティブな音楽によって、近代文明とは違った価値観を考えていけるのではと思ったんです。」
近代文明とともに発達してきた西洋音楽は、ノイズを減らして美しく正確な音を出そうという方向に歩んできましたが、それが音楽から活力が消えた直接の原因ではないかと、藤井さんは考えています。
「その点、民族音楽や文明化以前の音楽にはものすごい活力を感じるんです。僕は、西洋の音楽が追求してきたような部分はラフに考えて、それよりも音の響きやノイズを含む微妙な音色といったものを突き詰めていこうと思っています」
ファンタジーを取り戻すために
現在、藤井さんが取り組んでいるのは、ヨーロッパの音楽が使ってこなかった微分音(半音の半分=1/4音)を加えた24音階による作曲。民族音楽の形式を借用するのではなく、背後にある考え方や感覚をそこに取り入れています。その一つの例が、日本の雅楽やバリ島のガムランがもつ“永遠性”とでもいえる時間の感覚です。
「宮中の雅楽では、曲の終わりになると楽器が一つずつ抜けていき、最後に天皇の弾く箏だけが残ります。ところが、抜けた後でもまだほかの楽器が鳴っているような印象があって、永遠の中に演奏が溶けていく感じがする。ガムランも同じで、バリ島の人たちの中で永遠に続いている音の一部が現実の中に現れてくるようなところがあるんです。こういう、聞こえないはずの音が聞こえるのは、人間がファンタジーで音楽を聴くからなんです。実際には見えないにもかかわらず見える、聞こえないにもかかわらず聞こえる能力というのはファンタジーなんです。」
見えるもの聞こえるものだけで構成された合理的な近代文明は、発展の過程でさまざまなものを排除してきました。そうした中で失われつつある人間のファンタジーを、藤井さんは音楽を通して取り戻そうとしているのです。
「今、芸術に携わる人間がそういう状況に対するアンチテーゼを示していかなければいけない。ファンタジーを人々に示し、与えていかなければいけないと思うんです。失われてしまった繊細なファンタジーや生命力を音楽に取り戻したい。そういう曲を書いていきたいですね。」
交信する音楽
幼い頃は内向的で、どうして生きているんだろうと悩んでいたという宝達さん。そして、自分が存在することの意味を求め続けるうちに、それがある意味で愚問だと教えてくれたのが音楽、とりわけ歌だったのです。「鳥が飛ぶ。雲が流れる。それと同じように、私は音楽を創り、歌を歌う。歌っていると、自分は生きているんだと実感できます。地球の上で、大きな宇宙の中で、いろいろな生命たちと共生し、存在していることが感じられる。生きていること=音楽なんです。」
ジャンルを超えた広がりを持つきらびやかなサウンドの中を、こぶしの効いた琉球古典音楽風ボーカルがひらひらと軽やかに舞っていく――そんな宝達さんの音楽は、3分間で完結するポップミュージックとは全く異質なエネルギーを放っています。元YMOの細野晴臣氏をして“彼女の声にはシャーマンが住んでいる”と言わしめたほど。そこには、音楽が本来的に持っている神通力が秘められているように感じられます。
「自分が持ついいエネルギーを伝えたいだけ……。むしろ、伝えたいというより循環させたいといったほうが適当かもしれません。聴衆が私のエネルギーで内面的に揺さぶられ、何らかの形でそこから発せられたエネルギーが、今度は私を揺さぶる。そういう共振が繰り返されて、次第に大きくなって、私と人々が、地球や宇宙との大きな一体感を共有できたらいいですね。そもそも音楽は、それだけの力を秘めた、魂のレベルにおけるコミュニケーションの方法なのですから。」
