ニース夏期国際音楽アカデミー (フランス・ニース)研修報告
新川 奈津子 4年 音楽文化デザイン学科
研修概要
- 研修先:Académie Internationale d'Eté de Nice (フランス,ニース)
- 研修日程:2008年7月22日(火)~7月28日(月)
- 研修内容:Ecriture&Analyse
- 担当教授:Bernard de Crepy
研修内容
レッスンのこと
私は、フランスの南仏で毎年開かれ、今年で51回目となるAcadémie Internationale d'Eté de Niceという講習会で、ParisのCNR(国立地方音楽院)で教鞭を取られているBernard de Crepy教授の、Ecriture&Analyseのクラスを受講した。Crepy教授のクラスには全部で15人ほどの受講生が集まり、半分がフランス人、あとはアメリカ人や韓国人がおり、日本人は私だけだった。初日の朝、クラスで集まってレッスン時間を決める際、私は極度の緊張で先生のおっしゃるフランス語も英語もわからず、自分の勉強したい事もなんとなくしか説明できないままグループ分けをされ時間も決められてしまった。周りの受講生も手伝ってくれたが、緊張と焦りで頭が真っ白になっていたためうまく理解できず、何も話せない私の周りには誰もいなくなってしまった。しかし、同じグループになった韓国人の男の子が本当に親切にしてくれて、彼とゆっくりフランス語で会話をしているうちに会話にも慣れ、更にそこから友達の輪が広がっていった。彼には受講中随分と助けられた。
言葉で作ってしまった壁は音で壊そう、と心に決めて挑んだレッスンは7日間毎日あり、朝練習室でピアノに触り、お昼までレッスンを受けて昼食後は寮に戻り、夕飯までにその日の課題を終わらせる、というのが日課になった。私のグループは、13歳と20歳のフランス人の男の子と、ParisのCNRに留学中の韓国人の男の子、そして私の4人だった。
初日に出された課題は、私が意図していなかったフーガ風のバス課題だった。私はソプラノ課題、特にフォーレスタイルを学びたいと考えていたが、これも良い機会だと思い取り組んだ。その日の課題は日本で解いていた課題とそれほど難易度は変わらないように思え、そつなくこなせた。翌日も同じようなバス課題が出たので、「次はソプラノ課題がやりたい」と言おうと思っていると、ソプラノ課題を出された。きっと先生にも考えがあるのだと気付き、黙って取り組んだ。しかし正直言うと、それまでのバス課題も3日目に出されたソプラノ課題も、私にとってさほど難しくはなかった。翌日はグループで私だけ違う課題を出されたが、それも解き易かった。先生は私をしきりに誉めて下さり、「もし君がCNRに来る気があるなら歓迎するよ」とまで言って下さった。これは本当に嬉しかったが、私は易しい課題を解くためにわざわざフランスまで来たのではない!と気持ちを引き締め、フォーレスタイルの和声がやりたいという旨を改めて伝えると、先生は「とっても難しいけど、良い?」と言いながら課題をくださった。最後の2日間で、弦楽四重奏と伴奏付けのフォーレスタイルの課題に取り組んだが、先生の言葉どおりそれは非常に難しく、日本で練習していたようなものとは全く違った、いかにもフォーレの曲そのものだった。私はスタイル和声が苦手で、それを克服したいという思いもあったのだが、普通の四声体ではない事も重なって非常に苦戦した。しかしとてもやりがいがあったし、先生はフォーレの特徴をピアノを使いながら丁寧に説明して下さり、フォーレの音楽がとても身近なものになった。私はフォーレの和声が徐々に身につく感覚を味わい、これはとても大きな収穫だと感じた。最後の夜に学校近くの修道院でオーケストラの演奏会があり、そこでちょうどフォーレの小品が幾つも演奏された。作品を聴きながら耳が一音一音を追い、和声分析をしている事に気付いた。自然とレッスンの復習ができた上に、課題を解くヒントをたくさん得る事もできた。それと同時に、音楽が溢れる生活の魅力を肌で感じた。
また、先生は始終スタイルの事をおっしゃった。バッハ風の課題ならバッハのスタイルに徹する事、ロマンティックな課題ならばそれに見合う和声や非和声音を使う事、先生はいつもそういった事を強調された。連続5度や連続8度に関しても、「これではマショーの音楽が混ざってしまう」という言い方をされ、この発想は音楽と音楽理論をより密接に結び付け、日本の音楽大学でよく見られる音楽理論への抵抗をなくすためにも有効ではないかと感じた。同じグループのフランス人2人は、音楽学校に通うでもなく、趣味や教養の一部として音楽理論を楽しんでいると言う。フランスにはこういった人は少なくないそうで、フランスでの音楽理論をはじめとした音楽教育がどのようになされているのか、とても興味をもった。私自身も、音楽と音楽理論が切り離されるものではない事を改めて実感し、今後も様々な機会を利用してこの事を探求していこうと思っている。
レッスン以外のこと
初日に韓国人の男の子とフランス語で会話をしているうちに緊張もほぐれ、言葉の壁は2日目にはなくなり、フランス人や楽器の受講生とも楽しく会話ができるようになった。音楽の深い話をするには至らなかったのが残念だが、とても楽しい日々を送る事ができた。講習会全体としては日本人受講生がかなり多く、日本人はいつも群がっていたが、私はできるだけ他の国から来た受講生と過ごすようにした。そのうちに、最初は単語を無理やりつなげて話していたフランス語も、ちゃんと文章にして話せるようになった。
学校も宿泊していた寮の部屋もとても綺麗で、寮はクーラーがつかなかったが、窓を開ければ爽やかな風が気持ち良かった。そんな寮の自室で木漏れ日の中課題に取り組んだり、本当に歌っているかのような鳥の声で目覚めたり、夜中に閉まっている寮の門をみんなで乗り越えたり、深夜2時半に寮の中庭でトロンボーンがワルキューレを壮大に吹くいたずらを笑い合ったり、そんな毎日がとても楽しく、ずっと続けば良いのにと毎日思った。レッスンの後Niceの街を観光したり、少し足を伸ばしてMonacoまで行ったりもした。勉強だけでなく、沢山の文化にも触れる事ができ、また、音楽が自分の居場所である事を実感できた、本当に密度の濃い1週間だった。
旅のこと
Bernard de Crepy 教授(左)と、受講生(中)とレッスン室にて私は海外へ行くのが初めてだったので、文化や言語に慣れるために講習会の4日前からParisに滞在し、その間数多くの文化施設や教会を訪れた。日本では味わえない、教会の音を聴く事がこの旅の目標のひとつでもあったので、教会のオルガンコンサートが聴けた時や、たまたま訪れたマドレーヌ寺院で聖歌隊の練習が聴けた時は、天から降ってくるような音に体が震えた。Niceでの演奏会でも、一つ一つの音が私の細胞に溶け込んでくるような、安らぎとも感動とも違う不思議な感覚を生まれて初めて味わい、音楽がこんなに素晴らしいものだったのかと心から感じた。
それと同時に、大変な事や辛い事もたくさんあった。中でも、講習会側から事前に知らされていた空港からのバス乗り継ぎ方法が間違っていた事には非常に困った。日本ではNiceの詳細なバス路線図が把握できなかったので、学校からの知らせを頼りに現地で実際に探すしかなかったのだが、その知らせに記載されたバスは実在しなかった。結局、現地の人に助けられながらなんとか目的地のバス停がある路線を見つけて無事到着したのだが、この時も言葉の壁が大きな障害となった。Parisで男性に声をかけられた時も、言葉がうまく通じないのを良い事に、しつこくつきまとわれて嫌な思いをした。旅の前半は常に言葉がネックになっていたが、講習会で出会った他国の受講生やNiceの心優しい人々のおかげもあり、講習会を終えて再びParisに戻る頃には、フランス語も英語もだいぶ話せるようになっており、この地で一人でやっていく自信さえついていたほどだった。
私は、この奨学金制度がなければきっとまだ海外に出る事はなかったと思うし、海外で音楽に触れるという事がこんなにも素晴らしく、こんなにも自分を変える事になるとは思わなかった。ほんの小さな勇気が大きな自信に変わる事も経験し、出発前とは何かが大きく変わった、でも自分のままの自分が、しっかりと今ここにいる。人生最高の素晴らしい夏だった。