国立音楽大学

パシフィック・ミュージックフェスティバル2008 研修報告書

太田 智美 4年 音楽教育学科

研修概要

  • 研修先:PACIFIC MUSIC FESTIVAL 2008 Sapporo(第19回パシフィック・ミュージック・フェスティバル2008)
  • 講座名:教育セミナー(18日~20日)、聴講生プログラム(17、22、23日)
  • 研修日程:2008年7月17日(木)~2008年7月23日(水)

研修の動機と目的

私は現在、「音楽」「教育」「子ども」の3つの柱を軸とした研究に取り掛かっている。“研究”というのは、いわゆる“卒業論文”である。しかし、論文を書き進めているうちに、私の中ではじわじわと熱くなってくるものがあった。そして、いつしか「この試みを単なる卒業論文に留めたくない」という強い野望が生まれた。この研修は、そんな思いから始まった。
本研修の目的は、主に2つあった。第一に、音楽教育の在り方について自分なりの考えを持てるようになることだった。パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)は、レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)の提唱により1990年に創設された国際教育音楽祭である。Pacificは「平和」を意味し、「音楽教育を通じて世界の平和に貢献したい」というバーンスタインの願いと情熱がこのPMFに継承されたそうだ。そのような想いが込められたPMFで、私はどうしても学びたかった。何か、新しい音楽教育の視点を得られそうな気がしたからだ。
第二に、セミナー参加者との交流を持つことが目的であった。特に、教育セミナーの参加者は音楽教育に携わっていることが条件である。現役の学校教員や指導者が多いことが予想できたため、大学生である私にとっては音楽教育の生の実態を知るための絶好の機会だと思った。現職の方々との繋がりを持つことで人脈が広がり、様々な音楽教育の現状が見えやすくなるのではないかと期待した。そして、そこから自身の視野を広げていくことを考えた。
バーンスタインは、20世紀を代表する音楽家である。指揮者であり、作曲者であり、教育者であった。そんな彼の力を借りて、私も何かを掴もうと思った…。

研修日程及び内容

  • 7月17日
    PMFオーケストラリハーサル聴講(7)、「PMFベルリン演奏会」鑑賞
  • 7月18日
    オリエンテーション、PMFオーケストラリハーサル聴講(7)、細川俊夫の音楽講座(1)、カール・ギュンター・ザグマイスターの音楽講座(2)、「映像と音楽でつづるバーンスタイン」鑑賞、「PMFアカデミーアンサンブル演奏会」鑑賞
  • 7月19日
    ルイス・ビアヴァの音楽教室(3)、シュテファン・ドゥ・ルヴァル・イェジエルスキーの音楽教室(4)、「弦楽四重奏コース演奏会」鑑賞、「PMFオーケストラ演奏会」鑑賞(6)
  • 7月20日
    意見交換会(5)、「PMFベルリンのトークコンサート」鑑賞、「PMFオーケストラ演奏会」(野外ステージにて)鑑賞(6)
  • 7月22日
    PMFオーケストラリハーサル聴講(7)
  • 7月23日
    PMFオーケストラリハーサル聴講(7)、「PMFブラス・アンサンブル演奏会」(JR札幌駅南口1階西コンコースにて)鑑賞

1. 細川俊夫の音楽講座

現代音楽の作曲家であり、PMF2008レジデント・コンポーザーとしても活躍している細川俊夫氏による音楽講座。ここでは、「オペラが作られていく課程『エクサン・プロヴァンス音楽祭から』と近年の作曲について」というテーマでの講義が行われた。

この講座で学んだことをまとめると、次の通りである。

  1. 「日本における現代音楽の需要」と「世界の音楽観の変化」
    ほとんどの作品に「日本初演」とつけられるほど、現在の日本では現代音楽への関心が薄く、演奏される機会が少ない。しかし、グローバル社会となった今、ある二つの変化が世界の音楽界でみられるようだ。一つは「リズムパターンやハーモニーの均一化」であり、もう一つは「非ヨーロッパ圏の音楽への関心の高まり」である。細川氏は、これらの変化に注目し、創作活動を行っているそうだ。そして、今後の日本の音楽需要についても興味を示していらした。
  2. ヨーロッパの音楽祭では、「原点」から「新たな魅力」を引き出すことが求められる。そして、「古いものにも新しい命を与えていく」という「再創造」の精神に一番の価値が置かれるそうだ。このようなことから、18~20世紀の西洋音楽の「再創造」が中心となっているPMFは、ヨーロッパの音楽祭に近いという。一見、アメリカ的な音楽祭のようにもみえるが、実はそうではないらしい。
  3. 西洋音楽と非ヨーロッパ圏の音楽
    西洋音楽を一言でいうならば「書かれた音楽」である。したがって、「作曲者が考え、深める音楽(客観的、建築的な音楽)」となる。一方、日本やアフリカなどの非ヨーロッパ圏の音楽を一言でいうのならば「書かれない音楽」である。これは「演奏家が音を創り、身体で表現していく音楽」といえる。このような細川氏の見解は、今まで私がなんとなく感じていたことを再構築するものであった。
  4. オペラ《班女》
    《班女》は細川俊夫氏による2作目のオペラ作品である。西洋と日本の融合を試みたこの作品では、「能」の様式(「間」や「テンポ感」)をどのように取り入れていくかが最大の課題であったそうだ。例えば、溢れ出す感情を内面化し静かな音楽のところへ封じ込めるという「能」的な表現の傍ら、英語と西洋の楽器によって外へと向かう音楽様式は、細川氏が和と洋の「融合」にこだわって創った証とも言えるであろう。作品の内容としては、「人間の持つ二面性」と「官能」を意識するものである。「人間の持つ二面性」では、悲しみとも笑いともつかない感情表現に苦戦する演者の様子があった。一方、「官能」の面では、薄い衣装を身にまとい、最後は妊婦が全裸で登場することで「再生(再創造)」を表現していたことが印象的であった。音楽的な側面からみれば、「歌う部分」「しゃべる部分」「音程を少しつけながらしゃべる部分」の三つの部分が交互に登場してくることが特徴である。したがって、これを一つの息であるかのように聴かせるために、細川氏は細心の注意を払ったそうだ。
  5. 「細川俊夫の音楽」と「現代音楽の聴き方を知らない子どもたち」
    細川さんの音楽とは、その音が鳴っていることを頼りに自分の中にある音を探すためにある。そして、曲中に現れるいくつかの静寂は、その音を見つけるために存在する。私はこれまでに、現代音楽の聴き方について一度も学ぶ機会がなかった。例えば、現在の学校教育においてもきちんと取り入れられているところは少ないだろう。そのような環境で育った子どもたちは、現代音楽をどのように聴くのだろうか。もしかすると、教育に左右されない自由な耳で聴くことができるのかもしれない。しかし、以前の私のようにぼんやりと聞き流してしまう人も少なくはないだろう。細川俊夫さんの音楽を知り、現代音楽の聴き方を知らなかった今までの自分と現代音楽まで辿りつけていない日本の学校教育の在り方について、大いに考えさせられた。

2. カール・ギュンター・ザグマイスターの音楽講座

PMFウィーンのエグゼクティブ・アシスタントであるカール・ギュンター・ザグマイスター氏による音楽講座である。ザグマイスター氏は、100年以上続く音楽一家に生まれ、『蝶々夫人』の子役でデビューした。その後、ウィーンの児童合唱団に所属、ハリウッド映画『第三の男』に子役出演、レコードデビュー(ヒットチャートを獲得)、ミュージカル出演など、多岐にわたっての活躍をされている。
そのような才能と強運を兼ね備えたザグマイスター氏による今回の講義のテーマは、「ウィーンの音楽文化について」であった。このテーマをみて私は少々身構えていたのだが、小難しい話は一切なく、話のほとんどが「自身の音楽人生」と「舞台上でのテクニック」についてであった。彼は本当にユニークな方で、おもしろいエピソードやテクニックを沢山伝授していただけた。ここでは、その一部をご紹介させて頂きたい。

~エピソード編~
リハーサル時の服装リハーサルで私服を着るようになった理由は、舞台演出家が出演者に対して「床に寝転がるように」などの指示を出すようになったからである。そのため、本来リハーサルではきちんとした格好で望むことが常識であったが、現在ではそのような光景はあまり見られない。

《トスカ》
殺されたスカルピアの左右に、トスカがロウソクを置くシーンがある。その時、トスカ役の鬘に火が移ってしまった。スカルピア役の人はムクッと起き上がり、慌てて毛布をかけて火を消した。このニュースは、翌日の一面トップで報道され、話題をよんだ。このような話は、ウィーンの人々にとって、政治などより全然関心が高いことのようだ。さらに、トスカが自殺をするラストシーンでは、ハプニングが付きものとされていたらしい。

(ケース1)「トスカが飛び降りる時のために、下で受け止める人を待機させた場合」下で待機していた人が、うっかり受け止めそびれてしまった。トスカ役の人は「一体何をしていたのか!!」と激怒したのだが…死んでいるはずのトスカのどなり声が全て客席に聞こえてしまった。

(ケース2)「トスカが飛び降りる時のために、下にスプリングを敷いた場合」今度は安心して飛び降りられるように、スプリングを用意した。これなら間違いないと思ったのだが…トスカ役の人が太っていたため、死んだはずのトスカが弾んで戻ってくるのが客席から見えてしまった。

~テクニック編~
1. ギャグを言ったのに反応がいまひとつだった時のテクニック 
→ 自ら大声で笑って、拍手をしてしまう。

2. 一番高い音がどうしても出ない人のテクニック 
→ 一番高い音の所で、デュエットで歌う相手の後方へまわる。

3. もれなくカーテンコールを貰うためのテクニック 
→ 退場の際、片方の手を舞台上に残しておく。

ザグマイスター先生は舞台芸術家としてユーモアを愛し、周りの人々に沢山の笑顔をもたらしていた。

3. ルイス・ビアヴァの音楽教室

ルイス・ビアヴァ氏はコロンビアの出身であり、音楽家としてこれまでに数多くの国際的な賞を受賞されている。この講座では、そんなビアヴァ氏(PMFにおいては指揮者)が札幌市立藻岩南小学校吹奏楽団に指導される様子を見学することができた。ここでは、「褒めて伸ばすことの実践的な方法」と「尊敬する態度」を学ぶことが出来た。
今回、指導の対象となった曲は《スノー・マウンティン・ファンタジー》であった。これは、コンクールに出場する際に演奏する予定の曲で、ある程度仕上がっていた。通し演奏を聴いた直後、ビアヴァ先生はこう予言した。
「あなた方は、コンクールで必ず優勝できます。」確かにまあまあの出来栄えではあったが、正直そこまで言い切れるほどではなかった。先生の言葉に疑問を持ったのはおそらく私だけではないだろう。しかしその後、先生は次のように続けた。
「パーカッション、ソロトランペットがすばらしい!そして、全てのパートの音がよくそろっていてすばらしい!!」そう具体的に言われると、そんな気もしてきてしまった自分がなんだかとても不思議だった…。実は、これがビアヴァ先生の教育法であったのだ。「あなた方は、コンクールで必ず優勝できます。」という言葉は、予言ではなく暗示だったのかもしれない。そして、どこがどのように良いのかを伝えることで、子どもたちの意欲と信頼を獲得したのである。結果、ビアヴァ先生の指導後には、目に涙を浮かべる見学者もいるほどすてきな演奏になっていた。私はこのとき、俗にいわれる「褒めて伸ばす教育」の方法を初めて知ることができた。
また、生徒の前で専任の音楽の先生に敬意を表していたことは、大変印象的であった。例えば、先生が二人いて違うことをいうと、子どもたちは混乱してしまいがちである。しかし、そのことを理解していても、どうしても違うアプローチをしたいところがあったビアヴァ先生はこう言った。
「あなたたちの先生はすばらしい!あなたたちの先生が言っていることは、全て正しいのです。
でも、せっかくだから違うようにも演奏してみませんか?」
このような呼びかけは、計算したものではなく、おそらくビアヴァ先生の人柄の表れなのだろう。そんなビアヴァ先生を、私は心から尊敬できた。

4. シュテファン・ドゥ・ルヴァル・イェジエルスキーの音楽教室

シュテファン・ドゥ・ルヴァル・イェジエルスキー氏は、PMFベルリン(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団奏者)のホルン奏者である。この講座は、そんなイェジエルスキー氏が小中学生を対象に指導する様子を見学できた。演奏者は、札幌で活動をしているジュニア・ジャズ・オーケストラ(小学生4年~6年)とクラブ・サッポロ・ジャズ(中学生)である。(曲目:小学生は《Cantaloup Island》、《Watermelon Man》、中学生は《C-JAM BLUES》、《TWICE AS COOL》、《POULTRY IN MOTION》)であった。)


この講座で学んだことをまとめると、次の通りである。

  1. クラシック音楽とジャズとの相違点
    クラシック音楽には、「間違った音」が存在する。なぜならば、作曲家の意図をくみとって再現するのがクラシック音楽であるからである。「正しい音」の両側には、必ず「間違った音」が二つある。一方、ジャズには、「間違った音」が存在しない。なぜならば、ジャズの世界では、誰が作曲したのかよりもパフォーマーのほうが重要であるためだ。言い換えれば、「演奏家によってつくられる音楽」なのだ。だから、「間違った音」の両側には常に「正しい音」が二つある。したがって、ジャズプレイヤーは「間違え」を恐れずに演奏しなければならない。
  2. 「何も言わない」教育法
    中学生の演奏(《TWICE AS COOL》)を一度聴いたイェジエルスキー先生は「なんといったらよいのかわからないほどよい!」とコメントした。そして、それ以外は何も言わずに、もう一度演奏させた。すると、子どもたちの演奏はとてもいきいきとしたものに変化した。体も、先ほどより明らかに自由でノリノリである。このあと、イェジエルスキー先生は細かい注意を指摘し、最後の通し練習の前に再び「この曲大好きなので、もう一度演奏してください。」との一言だけ言った。子どもたちは、今度はとても堂々とした演奏をした。
    この教育法は極めて単純のようだが、もしかすると最も難しいものかもしれない。普通、教育する側の立場に立つと、何かを「教育」したくなるものだ。それをあえて何も言わずに、自分の感想だけ述べてもう一度やらせるというのは、果たしてどれほどの勇気がいることなのだろうか。信じられないほどの効果を持つ、今まで考えたこともないような教育法を目の当たりにした私は、そんなことを考えていた。そして、子どもたちの自信を取り戻したいとき、この教育法は大変有効であると感じた。

5. 意見交換会

教育セミナーの最後に、セミナー参加者による意見交換会がおこなわれた。バーンスタインがリハーサル室として使っていたお気に入りの部屋に椅子を並べて円になり、一人3分程度の感想を述べ合った。セミナー参加者全員と話すのはこれが最初で最後の機会であったため、そのことに関しては全体的に少しもの足りない感じもあった。しかし、この三日間を通じての教育セミナーは、とても充実していた。今回、教育セミナーには、理科の先生や英語の先生、保健体育の先生、養護学校の先生、クラリネット奏者など、様々な専門分野をお持ちの方々がいらした。「これはチャンス!」と、私は個人的にお話しする機会をできるだけ多く設けた。その期待は的中し、参加者の方々との会話には勉強させていただく点が沢山含まれていた。この出会いを大切にし、これからも交流を深めていきたい。

6. コンサート

研修期間中、数多くの演奏を聴くことができた。その中で印象に残ったものを二つ取り上げたいと思う。
一つめは、ハプニングによるものだ。演奏会中に誰かの携帯電話の着信音が鳴ってしまい、し~んと静まったホールにはピアノの音と着信音と冷たい空気だけが流れた。演奏を聴くための平常心を失いかけてしまっていたそのとき、ピアニスト(小曽根真さん)はあるアクションを起こした。なんと、着信音を即興で見事に曲に取り入れたのだ。会場からはワッと笑いが起き、張りつめた空気は一気に和んだ。私はプロの演奏会でこのようなアクシデントに遭遇したのが初めてだったため、その回避のパフォーマンスに大変感激してしまった。
もう一つは、野外コンサートである。芝生の上に寝転がり、開かれた空間の中で聴く音楽はまた格別であった。東京ではなかなか見られない大規模の野外コンサートに酔いしれながら、大学生最後の夏を噛みしめた。

7. PMFオーケストラのリハーサル聴講

  • バーンスタイン作曲/交響曲第2番《不安の時代》
  • バーンスタイン作曲/《キャンディード》序曲、セレナード
  • バーンスタイン作曲/ミュージカル《ウエストサイド・ストーリー》から「シンフォニック・ダンス」
  • R.シュトラウス作曲/交響詩《ドン・キホーテ》作品35
  • ベルリオーズ作曲/《幻想交響曲》作品14

PMFオーケストラリハーサルは、全て英語で行われた。そのことはどこにも表記されていなかったため、ものすごく戸惑ってしまい、初めのうちは全く何を言っているのかわからなかった。しかし、ある程度の予習は行なっていたため、そのうちなんとなく解かるようになっていった。私は今まで「英語の勉強」「音楽の勉強」と分けて勉強していたが、こうして実際の練習風景を見ることで効率よく両方の知識を得ることができると知った。これからは、このような学習活動をもっと多く取り入れていきたい。

研修を終えて

PMF教育セミナーでの風景
PMF教育セミナーでの風景

PMF教育セミナーでの風景研修で学んできたことを、キーワードとして3つ挙げるとするならば、「尊敬するということ」「頑張らないということ」「反応を大事にするということ」である。
「尊敬」は、子どもたちへの尊敬、他の指導者への尊敬、音楽への尊敬を特に意味し、この「尊敬する姿勢」が教育者としての原点であることに気付くことができた。そして、「頑張らないこと」は、私にとって最も衝撃的なものであった。つい「頑張る」ことを自分にも他人にも求めてしまいがちなのだが、それよりも大切なことは「Have fun!」なのかもしれない。
最後に、「反応」について述べておきたい。音楽というものは、実に様々な要素が反応し合って創造される。それは、演奏家同士であったり、演奏家と聴衆であったり、指導者と生徒であったり、あるいは演奏家と空間であったりする。しかし、そのひとつひとつがその場限りの「反応」によって生み出されるものであり、同じ音を奏でることは二度と出来ない。そんなことを実感させられた。

おわりに

このPMF教育セミナーで得たこと、それは、音楽や教育に限るものばかりではなく、社会の中にも通じる「姿」「原点」だったように思う。
このような機会に巡り合わせてくださった皆様に感謝の意を表したい。

最後に、バーンスタインが残したメッセージを載せておく。

私は今、再び選択に迫られています。
音楽のために、そして音楽を通じて人々のために何をなすのがベストであるか。
神から与えられた残りの時間を、一番最初に愛したピアノに立ち返り、ベートーヴェンのソナタ全曲を演奏すべきものなのか。
あるいは指揮者としての活動に専念し、ブラームスの交響曲全曲を演奏し続けるべきか。

それとも作曲家としての活動に専念し、様々な曲を作るべきなのか。
71歳にもなれば、そのような問題について、考えるものです。

そして、それほど迷うこと無く、このような結論に達したのです。
残ったエネルギーと神があたえたもう時間を教育に捧げ、私が知っていることすべて、分かち合えるものは何でも、(‥中略‥)特に若い人たちと分かち合うべきだと。音楽についてだけでなく、芸術についても、そして芸術についてだけではなく、芸術と人生の関係についても。更に、自分らしくあることについて、真の自分を知ること、「自分が何であるのかを知ること」、そして最善を尽くすことについても。このようなことについて、できるだけ多くの人々に伝えることが出来るなら、私はとても幸せです。

(1990年PMF開会式にて)

(『PMF2008公式プログラム』P.2より

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