アーティスト、音楽プロデューサー、作曲家
Yaffle (小島裕規)さん
ポピュラー音楽の世界において「音大で学ぶ」意味とは
ヒットチャートを賑わす数々のアーティストをプロデュースすると同時に、自らの作品も発表し続け、ポピュラー界の第一線で活躍するYaffleさん。大学時代に学んだことや、音楽との向き合い方、ポピュラー音楽の世界での自分の立ち位置などについてお話を伺いました。
プロフィール
Yaffle (小島裕規)さん
Profile:国立音楽大学音楽学部音楽文化デザイン学科 音楽創作専修(作曲)2014年卒業。アー ティスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。藤井風、iri、米津玄師、SIRUPなどさまざまなアーティストの楽曲をプロデュース。ポケモン25周年を記念したコンピレーション・アルバムには唯一の日本人アーティストとして参加。自身の最新作『After The Chaos』はクラシックの名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからリリース。また映画『ブルーピリオド』、『キャラクター』をはじめとした劇伴も数多く担当している。
100年後も変わらない普遍的な学びが
より広い世界を見せてくれる
──国立音楽大学に進んだ理由を教えていただけますか?
ポピュラー音楽の道に進もうと決めたのは高校生のころ。アプローチの方法はいろいろあって、極端な話、ギターを持って駅前広場で歌うことだってありえたかもしれません。けれど、祖母が音楽大学への進学を勧めてくれて、調べてみると卒業生で活躍している作曲家に親近感が持てたのが国立音楽大学だったんです。漠然としたイメージですが、商業的なものに対してフレンドリーである印象でした。
──実際に進学してみての感想は?
大学での学びで予想していたのは、ポップスの作り方のような実学ベースのものでしたが、実際には理論とコンセプチュアルな話がメインでした。でも今思えば、実学ベースの知識は劣化が早くて、情報があふれる社会の中では急速に価値を失っていく。一方、コンセプチュアルなものって、100年後になっても変わらない普遍的なものですよね。考え方や姿勢を含めてそれを学べたのは大きいし、4年間にわたり音楽の長い歴史の一端に触れてきたという矜持を持てたことで、その後に音楽を続けていく上で精神面で楽になっているなと感じます。自分の予想とは違っていましたが、思っていたよりもっと広い世界が広がっていたということです。
聴いてきた音楽の影響は意識的にコントロールできない
──Yaffleさんの音楽性は、どこから来ているのでしょうか?
影響を受けた人は誰かと聞かれたら、僕らの世代ぐらいはぎりぎり、外国人を挙げる方がかっこいい、みたいな空気がありましたね。僕より上の人だと「クイーンに影響を受けて…」とか何とか。嘘つけ、J-POPだろ、みたいな(笑)。結局、大きなポップスの流れから完全に遮断するのは無理があるんです。自分が意識的にできることなんて20%ぐらいで、80%ぐらいは環境要因。家庭環境ももちろんあるし、マクロもミクロも含めていろんな要因で、ちまたに溢れる音を聴いちゃっている。逆に言うと「クールジャパン」みたいに意図的に日本を押し出すのはどうなのかと思うときもあります。「わざわざ意図しなくても君の醤油らしさは漏れているから、わざわざ自分が醤油だということを押し出さなくてもいいんじゃないか」って思いますね。
そんなわけで、影響を意識的にコントロールするのは不可能だから、自然と出た目で何をするかですね。
──作曲で煮詰まることもあると思いますが、そういうときはどうしていますか?
リファレンスを音楽に求めてしまうと、つまらないものになってしまいますね。結局、手法のヒントを手法に求めることになってしまう。だったら、まったく違う分野のものに求めた方がいいと思います。例えば映画は、分かりやすく映像が入ってくるから、ヒントになるかもしれません。要は何か別のお題を求める、お話だったり風景だったり、標題音楽だったり。他のアーティストと一緒に制作するときも、相手のイマジネーションで自分に分からないことを言い出したら、ちゃんと聞くようにします。
──ソロワークと、他のアーティストとのコラボレーションワークに違いはありますか?
昔は意識せずに作っていましたね。20歳前後の頃はみんな、例えば国立音楽大学という文脈を共有しているから、同じようなコミュニティの人と、そこそこ楽しくできていたんですよ。けれど歳を重ねると、一緒にやる人もみんなそれぞれの歴史を持っている。勝手に文脈が備わっていた時代と違って、相手がどういうことをしてきたとか、それぞれの背景を考慮しないといけなくなります。提供する人にもファンがいるわけですから、その人たちの流れは共有しておかないといけないなと思っています。楽曲を提供する人に喜んでほしいし、できた曲は聴いている人みんなに喜んでほしいという気持ちがありますね。
自分の価値を上げるためにやっておくべきこと
──くにおんで学んだことは、今のお仕事にどのような影響がありますか?
ポピュラー音楽業界全体で見たら、音大で体系的に学んだ人はそう多くありません。僕は大学でクラシック、中でもいわゆる前衛音楽を中心に学んでいたわけですが、くにおんには、コマーシャリズムに対してポジティブな態度を出しても問題ないとするカルチャーもあります。他方、音大を出て「音楽でお金を得ていく」ことに対して、批判的に捉える人もいます。しかし業界には、様式化されたサウンドを量産して、それが擦り切れてトレンドとして消費され切るまで稼いで、お金にならなくなったら別のことをやる、というようなスタイルもある。そんな人と比べると僕は、ずっと純粋培養。アート系の残り香をずっと嗅ぎながら生きてきたな、と自覚しています。
──作曲家を目指す上で、学生のうちにやっておいたほうがいいことはありますか?
ちょっと危惧しているのは、大学で作曲のテクニックを学ぶと、「ニーズに応えて早く安くお届けする」ということができてしまう。行き着く先が、「これと似たような曲でかつ訴えられないような曲を書いてください」とか言われて書いて5万円くらいもらって、というような「職人」になってしまう危険性を孕みます。それは自分の価値を落としますよね。
自分のバリューを上げようという話って、和音を勉強しましょうみたいなこととは全然違うベクトルの話です。逆にそういうところは普通の大学を出ている人のほうが上手だったりします。ですから音大でも、テクニックの話と、もうちょっと上のレイヤーの、経済とか経営とかの話、両方の学びが必要なんじゃないかと思うんですよね。
──「音楽は心を豊かにする」とよく言いますが、Yaffleさんの考える豊かさとは?
個人の尺度によるでしょうけど、僕は豊かさって「余裕」とか「余白」だと思うんです。たとえば、めちゃくちゃお金を稼いでいても、スケジュールが詰まりすぎていて、何かを考えることもできない状況だったら、それは豊かではないわけですね。逆に、極貧でも自分にとって有益なものがあれば豊かと言えるかもしれない。長期で見たときに「余白」がないと、ギリギリになってしまいます。なんとか飯を食えるっていう状況の中でも音楽をやるっていうのは心の「余裕」じゃないですか。経済的な話だけじゃなくて、いろいろな意味での長期的なリターン、自分の評価であったり、目標の実現であったり、そういうものを獲得するためには「余裕」が必要なのではないでしょうか。
嫌いなものをたくさん見つけておこう
──Yaffleさんにとって、くにおんでの4年間はどんな時間でしたか?
当時は気づいていなかったけど、思えば贅沢な時間でした。本当に、なんにもしなかったなと思います。僕は早く大学を出たかったんですよ。要は、モラトリアムである状況から早く抜け出したかった。いまもし後輩に何かアドバイスをするとしたら、余裕があるわけだから、もっといろいろやれることがあるはずと伝えたいですね。いろいろな投資……お金ではなくてスキルという意味で、いろんな人と友達になったりしておいたほうがいい。
ドラッグレースというモータースポーツは、アクセル踏んでふかしながらブレーキ踏んで止まっていて、3、2、1!の瞬間、ブレーキを離して一気にスタートする。大学時代ってああいう感じですよね。エンジンをふかしておかないと、スタートダッシュができない。
結局、大学時代の人脈にいまも助けられている部分もあるんです。
──これから大学で学ぼうとする後輩へのメッセージをお願いします。
大学生のころは、好きなものを見つけようとよく言うけど、何が嫌いかを見つける時代でもあると思います。そこがあやふやなままだと、さっき言った「職人」になってしまう。軸がなくなっちゃうんですね。これは嫌い、というのはたぶんもう高校までにできあがっているんだけど、大学はそれを自覚する時間かもしれません。
簡単に言えば、いろんなことをやった方がいいと思います。リスクを恐れずに。嫌いなものをたくさんみつけてほしいです。
